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二度目の人生では、公爵様と結婚しません ~前世の夫が、なぜか今度は私を守ろうとします~  作者: かなりあ


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第二十八話 招待状

 それから数日たった休みの日の昼、リディアはローデン侯爵邸の温室にいた。


 硝子の屋根から日が降りて、鉢植えの葉が光っている。ミレイユは籐の椅子に座り、焼き菓子の皿をリディアの方へ押しやった。


「食べて。今日のは私が焼かせたの」


「焼かせた」


「指図したのは私だもの」


 リディアは笑って一つ取った。甘い香りがした。


 ミレイユは自分も一つかじり、それから少しだけ声を落とした。


「あのね。言おうかどうか迷ったんだけど」


「何を」


「公爵様のこと。王女殿下と、よく会ってるって話があるの」


 リディアは菓子を持つ手を止めた。


「母のお友達の、文官の奥様から聞いたの。王宮の東の棟に、王女殿下の書庫があるでしょう。そこへ公爵様がよく出入りしてるって。報告会の前にも、後にも。人払いをして、二人だけで長くいることもあるって」


 ミレイユはリディアの顔をうかがった。


「ごめんなさい。舞踏会の夜のこと、まだ気にしてるかと思って。黙ってるのも違う気がして」


「ううん。教えてくれてありがとう」


 声は普通に出た。けれど、胸の奥で何かが静かに冷えていくのが分かった。


---


 覚えている。前世の公爵邸で、家令に頼まれて、届いた書類を置きに行ったことが、十年の間に幾度もあった。夫のいない書斎は片づいていて、机の上には封の切られた手紙が積まれていた。


 その中に同じ封蝋の手紙がいくつもあった。王家の紋に、細い枝の意匠を添えた封蝋。王女の私的な封蝋だと、家令が教えてくれた。行くたびに、新しい一通があった。何年も。


 リディアは中を読まなかった。読んではいけないと思った。夫の書斎の手紙を、妻が読むものではない。そう教えられていた。


 読まない代わりに、考えた。夫が夜会に来ない理由。食卓の空席。社交界の扇の陰の声。王女殿下とお会いになっているのですって。机の上の、何年も途切れない封蝋。


 それらを並べて、一つの話にした。誰にも確かめずに。


 十年、その話を信じていた。信じることで、空席の理由を自分の中に置いておけた。夫が自分を見ないのは、別の人を見ているからだ。それなら、仕方がない。


 リディアは焼き菓子を皿に戻した。


「リディア?」


「少し考えていたの」


 前世の自分は確かめなかった。手紙を読まなかったし、夫にも聞かなかった。王女に会おうと思ったことは一度もない。


 けれど今は、舞踏会の夜の手帳がある。説明のつくところと、つかないところを分けて書いた。朝の会議で、図と実測を並べて見ていた彼の目も覚えている。分からないところを、分からないまま自分の気持ちの話にはしたくなかった。噂を聞いて身を引くだけなら、前世と同じになる。


「ミレイユ。その話、どこまでが見たことで、どこからが誰かの想像か、分かる?」


 ミレイユは目を瞬いた。それから、少し考えて指を折った。


「東の棟に出入りしてるのは、奥様のお知り合いが見たって。でも、その方から直接聞いたわけじゃないの。人払いは、奥様がそう聞いたって。二人だけで長く、は……誰から出た話か、分からないわ」


 ミレイユは指を下ろした。


「私が自分で見たことは、一つもないわね」


「ありがとう。それが分かれば十分」


 どれが本当なのかは、まだ分からなかった。分からないまま、確かめる方法を探せばいい。そう決めると、胸の冷えが少しだけ和らいだ。


 リディアはもう一度、焼き菓子を取った。今度は最後まで食べた。


---


 伯爵邸に戻ったのは夕方だった。


 玄関で、執事が銀の盆を持って待っていた。


「お嬢様宛てに、お手紙が届いております」


 盆の上の封筒を見て、リディアは足を止めた。


 封蝋に王家の紋と細い枝の意匠があった。


 前世の書斎の机の上で、何度も見た封蝋だった。


 自室で封を切った。短い手紙だった。


 成果報告会での説明を興味深く聞いた。北の遺跡の研究について、非公式に話を聞きたい。王宮東棟の書庫にて、茶を用意する。日時は、と、一つの日付が記されていた。署名は、エレオノーラ。


 リディアは日付を見て、眉を寄せた。


 その日は北の遺跡の追加調査の申請面談の日だった。合同報告で決まった待機位置と、中止の取り決めを入れた計画書を院の安全審査に出す。審査役と騎士団の担当者の前で、リディアとユリウスがそれぞれの担当を説明する。審査役と騎士団の予定を合わせて、ようやく取れた枠だった。


 王女の招きを断ることはできない。少なくとも、普通の伯爵令嬢なら断らない。予定を動かして、王宮へ行く。父ならそう言うだろう。あるいは、父が代わりに返事を書く。娘は喜んで伺います、と。


 リディアは机に向かい、便箋を出した。


 お招きをありがとうございます。お話を伺いたく存じます。ただ、ご指定の日は、院の安全審査で調査計画を説明する面談が先に入っております。共同研究者と二人で担当を説明する場で、審査役と騎士団の方々にも日を合わせていただいております。先のお約束を守らせていただきたく、恐れ入りますが、別の日にお時間をいただけませんでしょうか。


 そこまで書いて、少し迷った。それから続けた。


 申請の後でしたら、半月の間はどの日でも伺えます。


 署名をして、封をした。


 執事を呼んで、王宮への返書を頼んだ。父の名ではなく、自分の名で。


 返事は翌日の夕方に届いた。同じ封蝋の、さらに短い手紙だった。


 申請を先にするのは当然。では、その五日後の午後に。


 署名の横に、日付と、午後の鐘のあとに、と書き添えてあった。リディアはそれを二度読んで、机の引き出しにしまった。


---


 その夜、夕食のあと、廊下で兄に呼び止められた。


 兄の顔色は、あの夜よりは少しましに見えた。それでも、灯りの下で目の下が薄く翳っている。


「王女殿下から手紙が来たそうだな」


「はい。北の遺跡の研究の話を聞きたいと」


「返事は」


「日を変えていただくようにお願いしました。申請の面談と重なっていたので。今日、殿下から承知のお返事をいただきました。面談の五日後の午後です」


 兄は少し眉を上げた。


「王女殿下に、日を変えろと書いたのか」


「別の日をお願いして、代わりの日も書きました。殿下が選んでくださいました」


 兄はしばらく黙っていた。


「殿下は、王家の記録を預かっておられる方だ。院の指定にも、王家の名で関わる立場にある。言葉には気をつけなさい。慎重に」


「気をつけます」


 リディアは兄を見上げた。


「でも、お会いすることは、私が決めました。日を変えていただくようお願いしたのも、私です。兄様にも、父様にも、代わりに返事をしていただくつもりはありません」


 兄は何か言いかけた。それから、ゆっくり息を吐いた。


「……分かった。当日は、行く前に一言かけなさい」


「はい」


 兄が廊下の先へ歩いていくのを見送ってから、リディアは自室へ戻った。


 机の上に王女の手紙が置いてあった。封蝋の細い枝の意匠が、灯りを受けて小さく光っている。


 前世の十年、この封蝋を遠くから見ていた。机の上に積まれていくのを、読まずに、聞かずに。


 今度は違う。


 前世の恋敵に、自分から会いに行く。

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