第十八話 行くな、の理由
帰還の翌日の昼の鐘のあと、面会室の卓には三人が着いていた。
リディアとユリウスが並び、向かいにアレクシスが座っている。ローランはその後ろの壁際に立っていた。今日は茶器がない。リディアの前に水の入った杯が一つ置いてあるだけだった。
リディアは帳面を卓に広げ、昨日の経過を順に話した。入口の図形から、自分が読むたびに光った奥の線、退く途中に残った弱い光まで。ユリウスが、古い術式と新しい線を混ぜずに補った。
アレクシスは途中で一度も口を挟まなかった。最後まで聞いてから言った。
「もう行くな」
短かった。
ユリウスが横で小さく息を吸った。ローランが壁際で、目だけを天井へ向けた。
リディアは帳面から手を離さなかった。
「前にも言われました。何があるか分からない場所に行かせたくない、と。私は、仕掛けですかと聞きました」
「ああ」
「では今日は教えてください。何があるんですか。私たちは昨日、知らないまま、あの光の二十歩手前にいました」
アレクシスは卓の上で手を組んだ。手袋の指が、一度だけ強く握り込まれた。
「奥の新しい線は、遺跡のものではない」
「それは私たちも書きました」
「置いたのは、王家の名で動いている研究の部署だ。騎士団は北の遺跡の警備の届けを受けている。奥に作動する仕掛けがあるから、広間より先へ人を入れるな、という届けだ」
リディアはユリウスと顔を見合わせた。
「その届けは、いつ」
「君が申請を出す前から、騎士団にあった」
リディアは杯に伸ばしかけた手を止めた。
「では、私が仕掛けですかと聞いた時には、もう知っていたんですね」
「置かれていることは知っていた。何をするものかは、届けに書いていなかった」
「置かれていることだけでも、先に教えてもらえませんでしたか。知っていたら、広間の手前まで読み進める計画は立てませんでした」
アレクシスはすぐには答えなかった。
「届けには、外に漏らすなと書き添えてあった。範囲を入口側に限れば足りると、俺が判断した」
一度言葉を切って、彼は続けた。
「足りなかった」
言い訳は付け足されなかった。リディアは責める言葉を探して、それ以上は見つけられなかった。代わりに、もう一つ聞いた。
「研究の部署というのは、院のですか」
「届けは王家の名で出ている。それ以上のことは、届けには書いていない」
「何のための仕掛けですか。何に反応するんですか」
答えがなかった。
アレクシスはリディアを見ていた。口が一度開いて、閉じた。
「言えない」
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「言えない」は、「分からない」とは違う。
前に面会室で彼は分からないと言った。その時にはもう、知っていることがあった。今日は言えないと言った。少なくとも今日は、知っていることがあると認めた。
「言えないのは、あなたが決めたことですか。それとも、誰かに止められているんですか」
「両方だ」
ローランが壁際で、わずかに身じろぎした。
リディアは帳面の右の欄を見た。奥の新しい線。自分の申告と、ユリウスが見た光。三度。
奥へ行けば、読める。あの術式が何を溜めて、どこへ渡すのか。その代わりに、何に反応するのか分からない仕掛けの前へ、自分の体を出すことになる。
研究を止めるなと言ったのは自分だ。けれど研究を続けることと、何も分からないまま奥へ踏み込むことは違う。
「奥へは行きません」
アレクシスの肩が、わずかに下がった。
「ただし、研究はやめません」
リディアは帳面の左の欄に指を置いた。
「当面は、持ち帰った写しを研究室で読みます。残す術式の構造と、末尾の一行と、図形。それだけでも、しばらくは手が足りません」
「入口は」
「入口なら大丈夫だとも、今は言えません。範囲を院に見直してもらってから、計画を出し直します。奥は、何に反応するのか分かるまで保留です。保留の理由も報告書に書きます」
アレクシスは長いこと黙っていた。
「……範囲を決める時は、騎士団からも意見を出す」
アレクシスがようやく言った。
「現地へ出る時は、ギルベルトを必ず連れていけ。光ったら、すぐ出ろ」
「昨日もそうしました」
「知っている」
アレクシスは立ち上がった。ローランが扉を開ける。廊下へ出る前に、アレクシスは一度だけ振り向いた。
「報告書を書くなら、君の名前が奥の仕掛けと並ぶことになる」
「並べるつもりです」
それには何も答えずに、彼は出ていった。
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その日の午後、リディアとユリウスは研究室で報告書をまとめた。
採録の範囲と、推定と、不明の項目を段に分けた。最後の段にリディアは一行を書いた。
調査者リディア・エルフォードが次の項の予測を申告した三度の読解中、奥の新規術式に発光を視認した。読解を行わない間は発光を認めず。退避中に弱まったが、読解の停止と距離の変化は分けて確かめていない。調査者の接近または予測行為が発光の誘因である可能性がある。
ユリウスがその一行を読んで、ペンを取った。
「僕の名前も書く。見てたのは僕だ」
二人が自分の手で署名した原本を、バルドが読んだ。最後の段で少しだけ目を止め、それから自分の署名を加えた。
「院の文書係へ回す。受理されれば正式な閲覧版が作られて、研究室にも一部届く。原本は院で保管する。手元に要るなら、今のうちに写しておきなさい」
リディアはその場で原本を写し、バルドに確認の印をもらった。最後の段の一行も、一字ずつ写した。
翌朝、研究室の机に一綴りの書類が置いてあった。表紙に受理の印と、正式閲覧版の文字がある。中は文書係の整った手で清書されていた。
リディアは頁をめくった。どの段も、昨日書いたとおりだった。
最後の段まで来て、手が止まった。
署名欄には三人の名前が文書係の字で転記されている。その上の段に、書いたはずの一行がなかった。段の端に小さな角印が一つ押してあり、横に番号が書き添えてある。見たことのない印だった。
リディアは手元の控えを開き、正式閲覧版の隣に並べた。採録の範囲から一行ずつ指で追う。どの行も同じだった。最後の段だけ、控えには自分の字で一行があり、閲覧版には印があった。
戻ってきた報告書には、いちばん大事な一行がなかった。




