第十三話 持ち出さないこと
バルドが作業台に置いたのは、封の切られた厚い封筒と、布に包んだ板が一枚だった。
「騎士団から解析の依頼が来た。月が替わってからの地下の巡回の途中で、古い遺構を見つけたそうだ。壁に術式が残っていた。写しと、崩れて外れていた欠片の一つがこれだ」
布をほどくと、掌ほどの石の板が出てきた。表面に細い線が浅く刻まれている。古代の線だった。
「担当は君たち二人に頼みたい」
ユリウスが眉を上げた。
「僕はいいとして。新人をいきなりですか」
「整理の記録を見た。二人で読むのがいちばん速くて、いちばん人に渡せる」
バルドは封筒から依頼書を抜いて、二人の前に置いた。騎士団から古代術式研究室へ。遺構にて発見された術式の解析を依頼する。期限は設けない。
一番下に署名があった。アレクシス・ヴァルディエ。
「ヴァルディエって」
ユリウスが依頼書を覗き込んで、それからリディアの顔を見た。
「君、あそこの縁談を断ったんだって? ニコが言ってた」
「……はい」
「断った相手から仕事が来るのか」
ユリウスは感心したように言った。皮肉の響きはなかった。
リディアは依頼書から目を上げた。
「写しと欠片は、どこで扱いますか」
「院の資料庫に置いて台帳に載せる。閲覧は二人以上の立会いで、院の外へは出さない。先方の条件でもある」
バルドが依頼書の余白を指で叩いた。但し書きが一行あった。写しおよび欠片を院外へ持ち出さないこと。
但し書きだけ、本文と字が違っていた。一字ずつ区切って、強く書いている。署名と同じ手だった。
「依頼は私宛てでも、エルフォード君宛てでもない。研究室宛てだ。成果も院の記録として残す」
リディアは頷いた。誰かの私的な贈り物のような形で受け取るのなら、断るつもりだった。研究室の仕事として受けるなら、話は別だ。
それに、石の板の線が気になっていた。細い線が三本、一つの点で交わり、そこからさらに細い一本が板の縁へ向かって消えている。板の外にも続いていたはずの線だった。
「お受けします」
「僕も」
ユリウスはもう、板を光にかざしていた。
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写しは六枚あった。
二人は作業台に並べて、いつもの決まりで読んだ。ユリウスは外から、リディアは中から。合わないところだけを突き合わせる。
受け取る項の線は太く、迷いがなかった。通す項は三つに分かれ、また一つに戻る。そこまでは書庫で見た古い術式とよく似ていた。
四枚目の途中で、線の性質が変わった。
流れていくはずの力が、そこで止まっている。止まって溜まり、通ったものの形をなぞっている。こんな書き方は書庫のどの本にもなかった。
答えが浮かぶより先に、知りたいと思った。リディアは息を詰めて次の線を追った。向かいでユリウスも黙って紙をめくっている。灯りを入れに来たニコが二人を見て、何も言わずに出ていった。夕方の鐘を二人とも聞いていなかった。
三日目の昼には、術式の骨組みが一枚の紙に収まった。
「早いな」
ユリウスが紙を見下ろして言った。
「骨組みだけです。細かいところは、まだ」
言いながら、もう細かいところへ戻りたくて指が動いていた。
翌日の午後、依頼主への中間の報告をすることになった。面会室は研究室の棟の入口にあり、研究員でない者も入れる。
面会室の卓にアレクシスが座っていた。その後ろに、試験の日に「あんた」と呼んだ若い騎士が立っている。
「ローランです。団長の付き添いで。この遺構、見つけたの俺なんですよ」
若い騎士は気安く名乗って、それから小声で付け足した。
「中間報告って、もっと時間かかると思ってました」
卓の上には茶器が一揃い置いてあった。騎士団の側で用意してきたらしい。アレクシスが目で示すと、ローランが茶を注いだ。濃い色の茶だった。
「どうぞ」
リディアは礼を言って、一口飲んだ。
苦い。煎りの強い、舌に残る茶だった。前世で公爵邸の客間に出ていたのと同じ種類の茶だ。リディアは昔から、もっと軽い茶の方が好きだった。
杯を受け皿に戻した。それきり手をつけなかった。
アレクシスの目が、一度だけ杯に落ちた。何も言わなかった。
リディアは骨組みの紙を卓に広げた。
「この術式は大きく三つの部分に分かれます。外から力を受け取る部分、受け取った力を通す部分、そして、ここです」
指で紙の端の一画を囲んだ。
「ここだけ、線の性質が違います。通した力をそのまま流すのではなく、壁の中に溜めて、形を写し取っています。流れていったものの形を、跡として残しているんです。たとえば、ここを通った力がどんな強さで、どの向きだったか、そういうものを――」
言葉が速くなっていた。ユリウスが横で、また始まった、という顔をしている。
「続けてくれ」
アレクシスが言った。
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リディアは続けた。受け取る部分の線の太さ、通す部分の分かれ方。ユリウスが外から読んだ根拠を一つずつ添える。アレクシスは途中で口を挟まなかった。聞いているのか、聞き流しているのか、顔からは分からなかった。
話が一巡したところで、アレクシスが口を開いた。
「残すと言った部分について聞きたい」
リディアは指を止めた。
「何を残す。どのくらいの間、残る。残ったものは、読めるのか」
三つの問いは短かった。受け取る部分にも、通す部分にも触れなかった。
ユリウスが横で小さく首を傾げた。リディアも同じことを思った。術式の専門家でない人が、骨組みの中から一つの部分だけを選んで聞いてくる。
「通った力の形を残す、というところまでは読めます。何の力なのかは、写しの範囲では分かりません。どのくらい残るのかも」
リディアは紙の上の、写しが途切れている端を指した。
「ここで線が切れています。欠片の縁と同じで、この先に続きがあったはずです。何をどれだけ残すのか、残ったものを誰が読むのか。それはこの先に書いてあると思います」
「写しを増やせば分かるか」
「写しでは足りないかもしれません。写した人が、意味のない線だと思って省いたところがあるかもしれない。壁そのものを見て、写しと照らし合わせる必要があります」
言ってから、自分が何を言ったか気づいた。
現地で照合したい。誰に頼まれたのでもなく、自分から言った。
アレクシスがリディアを見た。口が開きかけて、ローランが茶器を片づける音の中で閉じた。
「検討する」
それだけだった。
面会室を出ると、廊下でギルベルトが待っていた。ユリウスは研究室へ戻る道すがら、まだ首を傾げていた。
「あの人、受け取る部分のこと、一つも聞かなかったな。何に使う術式か知りたいなら、そっちも気になりそうなもんだけど」
リディアは答えなかった。卓の上に残してきた、苦い茶の杯を思い出していた。
なぜ彼は、残るもののことだけを尋ねたのだろう。




