第十二話 団長の予定
ローランは、非番の前の空いた時間に割り振られた雑用で、勤務日誌の束を綴じ直していた。
公爵邸の騎士団詰所は朝の鐘のあとがいちばん静かだ。夜番が引き上げ、昼番はまだ馬場で馬の脚を見ている。机に残っているのは、日誌の整理を言いつけられた者だけだった。
綴じ紐を通そうとして、ローランは手を止めた。
魔導院の入院試験の警備の束だった。試験の日、演習場で焦げた皿の後始末をしたのはローラン自身だ。あの日の割り振り、配置図、当日の報告。その一番上に院からの正式な警備依頼の通達が挟んである。
通達の日付を見た。
試験の九日前。
その下の、騎士団内の準備指示の写しを見た。配置図、人数、交代の順。書いたのは団長の字で、日付は試験の二十日以上前だった。
ローランは二枚を並べて、もう一度見比べた。
院から頼まれる前に、団長は警備の配置を決めていた。
偶然、ということもある。毎年の試験なら、頼まれる前に準備しておくのは手際がいいだけだ。けれど去年までの束をめくると、騎士団が院の試験を警備した記録はなかった。今年が初めてだった。
ローランは束を抱えて、団長の執務室の扉を叩いた。
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アレクシスは机で書類に署名していた。顔を上げずに「入れ」と言った。
「団長、試験警備の綴じ直しなんですけど。院からの通達より、こっちの準備の方が十日以上早いんですよ。どこから話が来てたんです?」
ペンが一度止まった。
「必要だと判断した」
「判断って、何を見て」
「警備の記録に要るのは、配置と人数と結果だ。それは揃っているか」
「揃ってます」
「なら綴じておけ」
それで終わりだった。ローランは束を抱え直した。団長が答えないと決めたことは、何度聞いても出てこない。仕えてきて、それだけは分かっている。
「じゃあ、勤務の方の確認だけ。ギルベルトの報告、今後もここ通しでいいですか」
「朝と夕に一度ずつ。俺が不在の時はお前が受けろ」
「了解」
ローランは机の端の予定帳に目をやった。来月の頁が開いたままになっている。団長の予定帳は、ローランが清書を手伝うことになっていた。
「ついでに、予定帳の清書もやっときます」
アレクシスは頷いただけだった。
ローランは予定帳を取り上げて頁をめくった。来月、再来月。王宮の定例、地方の砦の視察。一年先までの頁に、もう鉛筆で書き込みがある。
建国祭の頁で、指が止まった。
祭の当日の欄には例年どおり広場の警備指揮とある。その二日前の欄から祭の前日まで、細い線が引いてあった。
北辺の砦、視察。王都不在。
ローランは眉を寄せた。祭の直前に団長が王都を離れる。警備の準備でいちばん忙しい時期だ。去年はそんな予定はなかった。
「団長、これ、祭の二日前から北辺ですか。準備の真っ最中ですよ」
「先方の都合だ」
「先方って」
「それから、来月から地下の巡回の担当を替える。お前が持て」
ローランは予定帳から顔を上げた。
王都の地下には魔法網の点検路が走っている。騎士団の巡回は、その出入口の見回りだけだ。担当は昔から古参の騎士が持ち回りでやっていて、若手に回ってきたことはない。
「俺がですか。地下なんて、鍵の確認して戻るだけでしょう」
「出入口の鍵だけでなく、点検路の手前まで入れ。魔導院の点検員と顔を合わせたら、誰が来ていたか記録しろ」
「それ、何のために」
アレクシスは署名の終わった書類を脇へ積んだ。
「記録が要る」
ローランは予定帳を閉じた。祭の前の不在と、地下の担当替え。どちらも、一つずつなら団長の気まぐれで済む。並べると、何かがある気がした。何があるのかは分からない。分からないことを、分かったような顔で口にするほど、ローランは気楽ではなかった。
「了解しました。来月から地下」
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昼前の馬場は蹄の音と土埃で満ちていた。
ローランは柵に肘をついて、若手が馬を走らせるのを見ていた。その隣にいつの間にか団長が立っていた。
横顔を見て、ローランは口を開きかけ、閉じた。
目の下が暗い。試験の日から、ずっとそうだった。夜番の報告を受けに詰所へ来ると、団長の執務室にはいつも灯りが残っている。
「団長。今日の午後、俺が執務の方を回しますんで、少し寝てきたらどうです」
「要らない」
「顔色、ひどいですよ。あの伯爵令嬢の方が、まだ血色がいい」
アレクシスがこちらを見た。睨まれたのかと思ったが、そうではなかった。ただ、少し驚いたような目だった。
「……お前が見たのか」
「試験の日に。止めろって叫んだ人でしょう。あれは度胸がありましたね。演習場の廊下に人を張らせてたから、すぐ入れました」
アレクシスは何も言わなかった。柵の向こうの馬を見ている。
「休まないなら、せめて夜の巡回、俺が一本増やします。団長が夜中に見て回ってるの、知ってるんで」
「勤務表を勝手に変えるな」
「勝手には変えません。俺の非番を削るだけです」
アレクシスは短く息を吐いた。それが笑ったのかどうか、ローランには分からなかった。
「……好きにしろ」
「はい、好きにします」
若手の馬が柵の前を駆け抜けていった。土埃が舞い、ローランは手で払った。払い終えて隣を見ると、団長はもう馬を見ていなかった。
馬場の東の柵の向こうには、王都の屋根が低く連なっている。団長の目はその一角に向いていた。ローランも同じ方を見た。屋根の並びの中に伯爵家の屋敷の高い煙突が一本見える。
「今日、彼女は遅くなる」
アレクシスが言った。誰に言うともない声だった。
ローランは隣を見た。ギルベルトの今朝の報告は、まだ届いていない。
昼の鐘が鳴る頃、遅れていたギルベルトの使いが詰所に来た。報告は短かった。エルフォード様より今朝お申し出あり、本日は研究の区切りまで残られるため、下院は夕の鐘より遅くなる見込み。
ローランは報告の紙を持ったまま、しばらく立っていた。
誰かから先に聞いていたのかもしれない。院に知り合いがいるのかもしれない。いくらでも説明はつく。
それでも、正式な報告が届く前に、団長はあの令嬢の今日の予定を知っていた。どこから知ったのか、ローランには分からなかった。




