第25話 初めての召喚
温室が落ち着いてから、舞はしばらく召喚魔法のことを考え続けていた。
「……せっかくのスキルなんだよね」
ステータス画面を開くたびに、目に入る文字。
召喚魔法。
種族として得意な力のはずなのに、ずっと使わずに眠らせたままだった。
「……いつまでも放置してるのも、なんか勿体ないな」
禁忌の魔族召喚とは、恐らく別物のはずだ。
日記にあった通り、危険なのは相手の強さと意思。
力任せに大物を呼ばなければ、そこまで無茶なことにはならないだろう。
「……それに、今なら」
舞は庭に整列したスライムたちを見渡した。
ライム、バスタ、ウィザード、ビッグ、ヒール。
何かあっても、支えてくれる戦力がある。
一人きりだった頃とは、状況が違った。
「……よし、やってみよう」
◇
舞は小屋の前の広場に、簡単な陣を描いた。
万が一に備えて、周囲にはスライムたちを配置する。
「みんな、危なくなったら助けてね」
ぷるん、と頼もしい返事。
舞は深呼吸をして、両手を陣の中央へ向けた。
「……いきなり全力は、やめておこう」
自分の魔力は無限だ。
だが、加減が分からないまま無茶をして、とんでもないものを呼び寄せても困る。
「……少しずつ、控えめに」
そう思いながら、魔力を注ぎ始める。
――もっとも、無限を基準にした「控えめ」が、果たしてどれほどのものなのか。
その物差し自体を、舞はまだ持ち合わせていなかった。
「召喚魔法」
陣が、淡く光り始めた。
中心に、渦のような揺らぎが生まれる。
空間そのものが、じわりと歪んでいくのが分かった。
「……お、来る……?」
渦の奥に、輪郭のようなものが浮かび上がる。
四本の足。
太い胴体。
そして――頭が、三つ。
「……ケルベロス!?」
牙を剥いた獣の顔が、三つ並んで形をなしていく。
鑑定するまでもなく、それとわかる姿だった。
「おお、当たりっぽい……!」
舞が思わず声を上げた、その瞬間。
渦の中で、三つ首の獣の輪郭に、もう一つの影が重なった。
黒々とした、人のような輪郭。
二つの影が、渦の中でせめぎ合う。
獣の影が牙を剥き、押し返そうとするように輪郭を膨らませる。
人の影が、それを力ずくで押し潰すように広がっていく。
バリバリッ、と空間そのものが軋むような音。
渦の中で、光の筋が幾つも弾け飛んだ。
獣の輪郭が、悲鳴じみた歪みを見せながら、じりじりと押しのけられていく。
「……なにこれ、喧嘩してる……!?」
舞は、目の前で繰り広げられる無言の攻防から、目を離せなかった。
最後に、一際大きな音と共に、獣の影が完全に掻き消えた。
「……え?」
渦の中心に残ったのは、人の形をした影だけだった。
すらりとした、長身の男の輪郭が、少しずつ像を結んでいく。
「……人……?」
その瞬間、背筋が凍った。
脳裏に、日記の一文がよぎる。
――人に近い姿を持つ存在ほど、知能が高く、意思を持つ。だからこそ危険視され、禁忌とされている。
「え、噓でしょ、これ、まずいやつじゃ……!」
声が震えた。
獣なら、まだ気が楽だった。
だが、人型となると話が違う。
意思がある。
考える。
こちらの都合など、無視するかもしれない。
「……止め、止められない……」
注ぎ込んだ魔力は、もう戻ってこない。
舞は、こわばった顔のまま、渦の中心を睨みつけることしかできなかった。
仕立てのいい執事服を思わせる装束を纏い、白い手袋をはめている。
舞が呆然としている間に、渦は完全に晴れた。
地面に片膝をつき、恭しく頭を垂れる男が一人、そこにいた。
鼓動が、まだ速い。
さっきまで、命の危機を覚悟していたくらいだ。
「……あの、あなた、敵、じゃないよね……?」
声が、まだ少し震えていた。
男が、ゆっくりと顔を上げる。
その瞬間。
「――ッ、ああ、ああ、ついに、ついにこの目で……!」
男が、突然両手を広げて天を仰いだ。
「……え?」
「なんという魔力の輝き……! いえ、輝きなどという言葉では到底言い表せません、これはもう、光そのもの……!」
早口で捲し立てながら、男は地面に額をこすりつけるように深く頭を下げた。
「テオドール・パブロと申します。以後、何卒、何卒お見知りおきを……!」
「……お、おう」
あまりの勢いに、舞の恐怖は一瞬で吹き飛んだ。
代わりに湧いてきたのは、別の意味での警戒だった。
「あの、私、そんな人呼ぼうとしてなかったんだけど……」
「存じております」
パブロは、顔を上げるなり、けろりとした顔で頷いた。
「本来であれば、別の存在が召喚に応じるところだったかと存じます。恐れながら、割り込ませていただきました」
「……割り込んだ? さっきの、喧嘩みたいになってたやつ?」
「あれしきの雑魚、視界に入れる価値もございません」
パブロは、事も無げにそう言い切った。
先ほどの、渦の中で牙を剥いていた三つ首の獣を思い出す。
あれを「あれしき」と言い切れる存在感が、確かにあった。
「……あなた、何者なの」
「詳しくは、追い追い」
パブロは、急に神妙な顔になったかと思うと、すぐにまた表情を崩した。
「それより、あなた様! この日をどれほど、どれほど待ちわびたことか……!」
「……待ってた? なんで」
「それも、追い追い」
「……はぐらかすじゃん」
パブロはそう言って、片膝をついたまま、恭しく胸に手を当てる。
――かと思えば、次の瞬間には、地面に伏せて肩を震わせていた。
「……え、なに、泣いてるの?」
「感激のあまり……! まさかこの目で、この生涯のうちに……!」
「……情緒、忙しくない?」
舞は、じりじりと一歩後ろへ下がった。
得体は知れない。
過剰な敬意も、忠誠らしきものも、ひしひしと伝わってくる。
だが、それはそれとして。
「……とりあえず、落ち着こうか」
「はい!」
パブロは、涙を拭いながら、勢いよく立ち上がった。
切り替えの早さも、どこか常人離れしていた。
「……とりあえず、よろしくね」
「はい! この身命に代えましても!」
「……そこまでは求めてないんだけど」
舞は、少し呆れながらも、つい笑ってしまった。
久しぶりに、人と――少なくとも人の形をした誰かと――言葉を交わしている。
どう考えても普通ではないが、それでも、思ったより嬉しい自分がいた。
「……とりあえず、家、案内するね」
「かしこまりました!」
パブロは勢いよく一礼し、恭しく一歩下がって舞に道を譲った。
庭のスライムたちが、興味津々といった様子で新参者を取り囲む。
「……みんな、この人は敵じゃないから」
舞がそう言うと、ライムをはじめとしたスライムたちが、警戒を解いてぷるぷると揺れた。
パブロは、そんな彼らを見て、なぜか感極まったように目を潤ませた。
「……従魔たちにまで、これほど慕われておいでとは……!」
「いや、そこでまた泣かなくていいから」
「はい!」
即答して涙を拭う姿は、忠実なんだか、単に情緒が忙しいだけなんだか、よく分からなかった。
「さ、行こっか」
舞は小屋へ向かって歩き出す。
その後ろを、パブロがやけに弾んだ足取りでついていった。
賑やかだった小屋の暮らしに、また一つ、なんだかとても騒がしい住人が加わった。




