第11話 森の足跡
方位磁針が狂う場所を見つけた翌日。
舞はまた森へ向かった。
「今日はどっちに行こうかな」
地図を広げる。
結界の輪郭。
磁針が狂う一帯。
沢の位置。
少しずつ、白紙だった地図に情報が増えている。
「……まだ全然埋まってないけど」
それでも、昨日より今日の方が、確実に世界を知っている。
舞はそのことが、少しだけ嬉しかった。
今日は、沢の上流を辿ってみることにした。
水源をもっと詳しく知りたい。
それに、水辺なら動物もいるはずだ。
「お肉、食べたいし」
植物ばかりの食生活も悪くはない。
けれど、せっかく異世界に来たのだ。
できることなら、もっと豊かな食卓にしたい。
沢に沿って歩く。
水音が少しずつ大きくなっていく。
しばらく進んだところで、舞は足を止めた。
「……あ」
地面に、何かの跡がある。
しゃがみ込んで観察する。
蹄のような形。
それなりに大きい。
新しいものではなさそうだが、古すぎもしない。
「動物、いるんだ」
鑑定用の魔道具を向けてみる。
しかし、対象がいなければ情報は読み取れないらしい。
足跡そのものからは何も表示されなかった。
「……まあ、そりゃそうか」
舞は苦笑した。
便利な道具でも、万能ではない。
足跡を地図に書き込む。
今日のところは、記録だけで十分だ。
さらに上流へ進む。
その時。
「……ん?」
妙な感覚があった。
視線でも、音でもない。
もっと曖昧な、肌で感じるような何か。
森の奥、少し離れた場所に、何かが「いる」気がする。
「これ……」
自分の中に、感覚を研ぎ澄ませるような妙な感覚があることに、最近気づいていた。
名前は分からないが、恐らくステータスにあった何らかのスキルの働きなのだろう。
「……使えるものは使わないと」
感覚を研ぎ澄ませる。
気配は一つ。
大きい。
そして、こちらへ近づいてきている。
「……マズい」
舞は身構えた。
次の瞬間。
木々をなぎ倒しながら、それが飛び出してきた。
「――っ!」
巨大な影。
牛のような体躯。
けれど、普通の牛ではない。
全身を覆う黒い体毛。
背中に隆起した瘤のような筋肉。
そして、額から突き出た二本の太い角。
人間の背丈をゆうに超える巨体が、まっすぐこちらへ突っ込んでくる。
「うわぁぁぁ!」
考えるより先に、身体が動いた。
横っ跳びに地面を蹴る。
巨体が、舞のいた場所を通り過ぎた。
ドンッ、という重い音と共に、巨体が近くの木へ激突する。
メキメキ、と嫌な音がした。
「……え」
木が、ゆっくりと傾いていく。
根元から折れた木が、そのまま倒れてくる。
「うそでしょ!」
舞は慌てて距離を取った。
倒木が地面を揺らし、砂埃が舞い上がる。
「……ヤバ」
巨体――たぶん、あの牛のような魔物――は、木にぶつかった衝撃で少しよろけていた。
だが、すぐに体勢を立て直す。
こちらを見る、赤く光る目。
殺意は明確だった。
命を害してくる相手なら、殺生も仕方がない。
舞はそう理解している。
舞は腰のナイフを引き抜いた。
武器はある。
あとは、これでどうにかするしかない。
巨体が、再び地面を蹴った。
突進が来る。
「――魔法障壁!」
舞はとっさに両腕を交差させ、目の前に光の膜を展開した。
巨体が、真正面から膜へ突っ込む。
ドッ、と重い衝撃。
膜は激しく波打ち、亀裂のような光の筋が走った。
だが、割れない。
「……押し切られる……!」
舞は歯を食いしばりながら、魔力を注ぎ足す。
膝が地面にめり込みそうになる。
この牛型の魔物は、あの羽虫より一回り力が強い。
「――っ!」
巨体が、膜を押し込んだまま止まっている。
拮抗している、今のうちに。
「逃げながら考える……!」
舞は障壁を維持したまま、横へ大きく跳んだ。
支えを失った巨体が、勢い余ってつんのめる。
舞はその隙に距離を取った。
狙うのは、さっき遠目に見えた崖のある方角。
地形は、多少覚えている。
背後から、地響きのような足音が追ってくる。
速い。
しかし、舞の脚も速い。
距離を保ったまま、舞は木々の間を縫うように走り続けた。
やがて、視界が開けた。
目の前に、切り立った崖。
高さはそれなりにある。
「……ここだ」
舞は寸前で身をひるがえした。
勢いのついた巨体は、止まりきれない。
そのまま、崖の岩肌へ激突した。
ドゴォッ、という重い音。
巨体が大きくよろける。
「今のうちに……!」
舞は握りしめたナイフを構え、隙のできた首元へ踏み込んだ。
振り抜く。
――手応えが、おかしい。
「……っ、硬い!」
刃が、皮に弾かれた。
浅く切れただけで、致命傷には程遠い。
巨体が、痛みに怒りを増して暴れる。
舞は慌てて飛び退いた。
「このナイフじゃ、駄目だ……!」
刃こぼれした刃先を見て、舞は舌打ちしたい気分になった。
牛型の巨体を相手にするには、あまりに頼りない一振りだった。
巨体が、再び体勢を立て直す。
時間がない。
舞はしゃがみ込み、地面に手をついた。
崖の下、砂の中に、黒っぽい粒がわずかに交じっているのが見える。
――砂鉄。
鉄分を多く含む砂。
主成分は酸化鉄。
Fe₃O₄《四酸化三鉄》、あるいはFe₂O₃《酸化鉄(III)》
精錬すれば鉄になる。
「創造術」
砂の中から鉄分だけを集め、圧縮し、形を整える。
工程を飛ばして、結果だけを得る。
その手の中に、一振りの刃が生まれた。
粗い。
美しくはない。
けれど、鋭さだけは十分だった。
よろめく巨体へ、舞は迷わず踏み込んだ。
「――ッ!」
振り抜く。
感触は一瞬。
巨体が、大きく傾いだ。
そして、そのまま動かなくなった。
「……終わった?」
舞は肩で息をしながら、その場に立ち尽くした。
しばらく、動けなかった。
心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
やがて、少しずつ呼吸が落ち着いてくる。
舞は手の中の刃と、刃こぼれしたナイフを見比べた。
「……道具、ちゃんと選ばないと駄目だな」
急場しのぎの一振りが、頼りにしていた実用ナイフをあっさり上回った。
知識があれば、こんな咄嗟の場面でも武器を作れる。
それを実感すると同時に、別の感情も湧いてくる。
目の前に横たわる、巨大な魔物。
初めて、自分の手で命を奪った。
「……ごめん」
小さく呟いた。
無意味な殺生をしたつもりはない。
向こうが、明確に自分を殺しに来た。
それでも、少しだけ胸が重かった。
舞は深呼吸をして、鑑定用の魔道具を取り出す。
倒れた魔物へ向けた。
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《ブラックバイソン》
魔素の影響を受けた大型の草食獣。
気性が荒く、縄張りに入った者を積極的に排除する。
肉は食用可能、皮は加工に適する。
主な攻撃手段は突進と角による攻撃。
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「……食べられるんだ」
舞は少しだけ表情を緩めた。
殺したことに対する重さは消えない。
けれど、この森で生きていく以上、こういう瞬間もある。
せめて、無駄にはしない。
舞は魔道具をしまい、周囲を見回した。
崖の下には、まだ砂鉄が眠っている。
「……これも、覚えておこう」
水源。
食用植物。
巨大羽虫。
方位磁針の異常。
そして今日、鉄資源の存在と、初めての戦闘。
それから――ナイフ一本じゃ、この森はやっていけないという実感。
地図に書き込むことが、また一つ増えた。
舞はブラックバイソンの巨体を見上げ、小さく息を吐いた。
「……とりあえず、持って帰ろう」




