第10話「境界の外側」
結界の存在に気づいた翌朝、舞は地図を広げてため息をついた。
これまでの調査範囲は、結界の縁をぐるりとなぞるような、いびつな輪っかになっている。
「……行動範囲、思ったより狭かったな」
これまで安全だと思っていた場所は、自分の実力で確保したものじゃない。
賢者が張った結界の恩恵に、無意識に頼っていた部分が大きい。
だったら、その境目を自分の感覚で把握した上で、そこからさらに外へ――足を延ばしていなかった場所まで、調査範囲を広げておく必要がある。
舞はローブの内側に、筆記具と採取用の小瓶、そして賢者の書斎から見つけた古い方位磁針を突っ込んだ。
「よし、今日はもっと遠くまで行ってみよう」
誰に言うでもなく、舞は小さく気合を入れて小屋を出た。
結界の縁は、目を閉じて意識を集中させるとなんとなく分かる。
薄い膜のような感触をなぞりながら、地図に結界のおおよその輪郭を描き足していく。
輪郭が分かれば、あとはそこを起点にしてさらに外へ向かえばいい。
舞は境界を越え、これまで足を延ばしていなかった方向へと歩き出した。
しばらく進んだ。
景色は、それまでと大きく変わらない。
木々が並び。
地面には土と落ち葉が積もっている。
見慣れない植物はいくつかあるものの、特に気になるものはない。
「……この辺も普通だな」
舞は周囲を見回しながら歩く。
地図へ位置を書き込むため、方角を確認しようとした。
そこで。
「……あれ?」
腰から方位磁針を取り出す。
針が。
ぐるぐると回っていた。
「……?」
舞は足を止めた。
方位磁針を持ち上げる。
少し待ってみる。
それでも針は止まらない。
「壊れた?」
軽く振ってみる。
もう一度確認する。
やはり、ぐるぐると回っている。
「……いや」
舞は少し歩いてみた。
針が回る。
さらに進む。
それでも回る。
少し戻る。
やっぱり回る。
「……この辺一帯?」
舞は首を傾げた。
周囲を見回す。
しかし、特に変わったものは見当たらない。
森の様子も、それまでとほとんど変わらない。
「磁気……?」
舞は考える。
方位磁針が狂う以上、何らかの磁気的な異常が起きている可能性は高い。
ただ。
「原因が見えないな」
地表には、それらしいものがない。
地下に何かがある可能性も考えられる。
けれど、地面を掘ってみなければ確認できない。
「……今は保留かな」
舞は方位磁針をしまった。
そして、ふと思い出す。
「そういえば……」
賢者の日記に、似たような記述があった気がする。
――この辺りは、方位が定まらない。原因は分からない。
当時は何気なく読み飛ばしていた一文。
まさか自分が実際に遭遇するとは思わなかった。
「賢者さんも、原因は分からなかったんだ」
舞は周囲を見回す。
何が原因なのかは分からない。
けれど、ここでは方位磁針が正常に機能しない。
それだけは確かな事実だ。
「じゃあ、記録しておこう」
舞は地図を取り出した。
「方位磁針、異常。原因不明……っと」
位置を書き込む。
いつか、もっと調査できるようになったときに、改めて調べればいい。
「……こういうのも面白いな」
舞は方位磁針をしまい、再び歩き出した。
小屋に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
地図を広げ、今日の成果を書き足していく。
・結界の輪郭:おおよそ把握。
・方位磁針の異常:特定の範囲で正常に機能しない。原因不明。
書き終えて、舞は椅子の背にもたれかかった。
「……範囲、少し広がったな」
まだ分からないことばかりだ。
あの場所でなぜ方位磁針が狂うのか。
何が原因なのか。
今の舞には分からない。
でも、それでいい。
分からないことは、少しずつ調べていけばいい。
日記に残されていた謎を一つ見つけた。
それだけでも、今日の調査には十分な成果があった。
「――さて、次は何から手をつけようかな」
舞はランプに火を灯した。




