26.ケーブタウン討伐作戦、その一
ケーブタウンは、閑散としていた。
あれほどいた観光客が一人もいない。観光客用にオープンした店の類は、すっかり寂れてしまって開店休業状態だ。
ただし、それはケーブタウンが飽きられてしまったという訳ではない。今でも観光したいと考えている人間は大勢いる。そして、ケーブタウンから消えてしまったのは観光客ばかりではなかった。魔石や、その他の特産物の取引をしていた商人達の姿も消えている。
「あー… 久しぶりにまったりしているわねぇ」
そう、まるで大きく息を吐き出すように言ったのは、ダークエルフのラーだった。
彼女は観光客用の喫茶店で働いていたらしく、そのカウンター席ですっかり溶けていた。近くには同じくダークエルフのクーの姿もある。
「そうだねぇ。観光客が来るようになってから、大忙しだったから、偶にはこーゆーのも良いかもしれないねぇ」
彼はラーにそう同意する。
「何を言ってるんですか!」
そこで、それにそう反論したのは兎人のラットだった。
「これは重大なビジネス的損失ですよ! 被害申請を出したら、幾分かくらい国に補償してもらえないですかね! 私達に落ち度はまったくない訳ですから!」
彼は喫茶店のオーナーでもある。
そう。彼が言う通り、彼らに落ち度はまったくなかった。何しろ、客や商人達がケーブタウンを訪れなくなったのは、軍隊がこの街に攻めこもうとこの近くに駐留しているからなのだ。これから戦争が始まろうとしている街に、人が来るはずもない。
ただ、この理由で国がケーブタウンの損失を補償してくれるはずがない。だって、攻め込もうとしているのが軍隊で、その大元が国なのだから。
……と言うか、そもそも絶対にそんな事を気にしている場合ではない。相変わらずに、彼らは非常にのん気で危機感の欠片もないようだった。
「でも、まぁ、観光地化する前に戻ったと思えば、別にどーってことなくない?」
ラーがあまりよく考えずにそう言った。
「ま、そう言われるとそんな気がしないでもないですが」
などとラットは返す。
もちろん、そんなはずはない。これから軍が攻めこんで来ようとしているのだから。
そんな会話にツッコミを入れるように、近くのテーブルがカタカタと揺れた。見ると、テーブルの影にノッカーのアインの姿があって、彼女がテーブルを揺らしているようだった。
「アイン、どうしたの?」
クーが傍によってそう訊くと、アインは小声で何事かを言った。その小さすぎる声の言葉を、クーが皆に伝える。
「“商人達も来ていないから、以前と同じじゃないじゃない”だって」
「ま、そう言われれば、そうですかね」と、それにラット。こいつも、かなりてきとーに発言しているっぽい。
アインは更に続けた。やはり小声だったので、クーがそれを伝える。
「“お陰で、魔石を掘り当てて発掘しても売れやしないわ。商売あがったりよ”だって、さ」
そうして、アインは“怒っているアピール”の仕草をする。なんだかちょっと可愛い。
それにラットは頷いた。
「そうですよ。私のこの店だって、客が急に来なくなるもんだから、食材が余ってしまって。
保存食にするのも限界があるし。このままじゃ、腐らせちゃいますよ」
一応断っておくと、軍隊が来ると分かったのは随分前なので“急”ではない。
そうラットが言うと、「分かるわ~」と声が聞こえた。
声のした方を見ると、散歩でもしていたのか、オークのアニガニットが店先に立っていた。
「うちも急に客が来なくなっちゃったもんだから、食材が余っちゃって」
もう一度断っておくが、“急”ではない。
「どうにかならないかしらねぇ? もう、もったいなくって。アタシ達だけで食べきれる量でもないしさぁ」
本当に、とことんのん気。これから軍が攻め込もうとしている街とは思えない。
ただ、彼らも今が危機的状況下だとは頭では分かっていた。実感と感情がそれに追いついていないだけだ。
彼らの中では、いざとなったら、逃げれば良いくらいの認識なのかもしれない。
ただ、もう一点だけ、彼らがのん気でいられる理由があった。
実はアカハルから、「なんとか軍を防いでみせるから、下手な行動は慎んで欲しい」と彼らは言われてもいたのだ。間違っても、自分達から軍を攻めるような真似はするな、と。計画が水の泡になってしまうから。
彼らはそこまでアカハルを信用していた訳ではなかったのだけれど、言われなくても軍に攻め込む気なんて毛頭なかったし、実感と感情が追いついていなかったから、「何にもしないで無事に済むのなら、何もしないで待ってみようか」くらいにそれを聞いて思ったのだった。
まぁ、いずれにしろ、ケーブタウンの住人達は、アカハルの忠告に従う形となっていたのだ。そしてそれは、もちろんシロアキにとって都合の良い、彼の台本通りの展開でもあった。
ここまでケーブタウンの住人達がのん気だとは、流石の彼も思っていなかったかもしれないけど。
ケーブタウンの入り口から少し離れた場所に開けた土地がある。そこにヘゲナ国のケーブタウン討伐隊が陣を張っていた。
その討伐隊の隊長は大将ラオ・ゴールドの愛娘のアニア・ゴールドで、参謀は野心家のコーエンである。
ケーブタウンに対し、圧倒的に軍事力で優位に立つ討伐隊が、一気にケーブタウンに攻め込まないで、そこに留まっているのには訳があった。
ケーブタウンは戦力は弱小だが、かなり攻め難い地形をしているのだ。
ケーブタウンへと続く出入り口のトンネルはかなり狭い。攻め入る時にそこで攻撃されたなら、手酷いダメージを受けてしまうのは明らかだったのだ。他のルートもあるにはあるらしいが、それは地下に適応した種族用の道で、つまりは更に狭いのだ。実質、人間の軍隊が通れるルートはそこ一つだけ。普通に考えるのなら、罠を張っておくだろう。
それでも物量に物を言わせれば攻め落とせるだろうが、できる限り味方の損害を低く抑えたいのは当り前の話。
特に、隊長を務めるアニア・ゴールドはそれを強く要望していた。
「戦闘による犠牲者など、一人も見たくない」
それを受けて、隊の参謀のコーエンは、自信あり気に「お任せください」とそう言った。その言葉に、アニアは感心する。テキストで学んだ兵法では、このような状況で執るべき手段は“兵糧攻め”くらいしかなかったが、ケーブタウンには効果はない。何故なら、地下にいながら、森の植物達から彼らは食糧を手に入れられてしまうからだ。水も地下水がある。
軍事用の魔法疑似生命体を活用して、兵隊の代わりに攻め込ませれば罠の除去もできるだろうが、先の大戦の終了時に軍事用の魔法疑似生命体を使う事は国際協定によって禁止されていた。
後は防御力に特化した部隊を、ダメージを受ける覚悟で突入させるくらいしか彼女には思い付かない。
つまり、打つ手はなさそうだった。
――だから、
実戦経験豊富ならコーエンが、一体、どんな打開策を提示してくれるのか、彼女は大いに期待していたのだ。
きっと自分などには考えも及ばないような魔法のような作戦なのだろう、と。物語に出て来る有能な軍師が見せてくれるような。
「そろそろ、準備が整いました」
陣を張ってから数日後、突然、コーエンがそう言ってアニア・ゴールドのテントに訪ねて来た。彼女はそれを聞いて喜んだ。その瞳は、まるで謎々の答えを聞こうとしている子供のように純粋だった。
「有難い。
立場上、私が隊長を務めているが、本来ならば、私のような若輩者ではなく、数多の実戦を潜り抜けて来た貴殿のような歴戦の勇士が隊長を務めるべきであったろう。
是非とも、ご教示願いたい。学校で学んだような知識では決して身に付かない業の片鱗を少しでも知りたく思う」
それを聞いて、コーエンは上機嫌になった。
彼はアニアが父親の権威を借りて威張り散らすような気に食わない小娘なのではないかと心配していたのだが、実際に会ってみるといたって謙虚で、年配の自分を立てる事を忘れないその態度には好感が持てた。
この分なら、父親のラオの印象を良くする事も容易いだろう。再び出世のチャンスが巡って来たと彼は野心を燃やしていた。
「よろしい。では、付いて来てください。実際に見せながら説明した方が分かり易いでしょうからな」
コーエンはそう言うと、テントの外に出て行った。
「おお!」
と返すと、やや興奮しながら、アニア・ゴールドは彼に付いて行った。一体、どのような秘策が待っているのか……
コーエンはテントを出ると、陣の中をしばらく歩き続けた。主力部隊の前で説明を受けるのだと彼女は予想したのだが、その場所を過ぎ、陣の後方にまで彼は歩いて行く。彼女が何処まで行くのかと訝しげに思っていると、少年兵達がいる場所で彼は足を止めた。
その少年兵達はクルンの街に討伐隊が立ち寄った際にコーエンが加えたのだが、彼女はどうして彼がそのように年若い者達を参戦させるのかまったく理解できなかった。
しかも、その少年兵達は、“兵”とは名ばかりで実戦経験はないらしかった。
ただ、“かわいいもの”が大好きな彼女は、彼らの参加を密かに喜んでいたのだが。本当はなでなでとハグくらいしたかったが、目で見るだけ我慢した。それだけでも、充分に楽しめたし。彼女にとっては、眼福である。
ただ、戦場になるケーブタウンが近づけば近づくほど、少年兵達が明らかに怯え始めたので、彼女は胸はどんどん痛くなっていったのだが。
「まったく訓練されていませんでしたから、多少は使えるようにするのに時間がかかってしまいましてな。
ケーブタウンの攻略には、この者達を使うのです」
少年兵達に話声が聞こえないくらいの位置で、コーエンは彼女にそう説明した。
――は?
と、彼女は思う。
「あの子達を使うのですか? 屈強な戦士が他にいるのに?」
思わずそう疑問を口にしてしまった。
そうか、あの子達は背が低いから、狭いトンネルでは有利なのだ。それを利用して…… などと無理矢理に彼女は戦闘と結びつけようとしたが、それでは子供達が危険な目に遭ってしまいそうな気がしてならなかった。
そもそも、少年兵達はろくな装備も身に付けてはいなかった。冗談のような軽装備。まるで鍋ややかんで武装しているよう。コスプレだと言われても納得するだろう。
少年兵達を見ると、とても憂鬱そうにしているように思えた。或いは、戦場に赴くという緊張感に耐え切れず、精神を蝕まれているのかもしれない。
今すぐにでも、近くに寄って「大丈夫だから」と抱きしめて安心させてやりたい。アニアはそう思った。
ところが、そんな彼女の心中とはまったくかけ離れた言葉を、それからコーエンは述べるのだった。
「屈強な戦士を護る為に、あの子供達を使うのです」
――は?
やっぱり、理解できない。
「屈強な戦士が子供達を護るのではなく、子供達が屈強な戦士を護るのですか?」
それにコーエンは大きく頷く。
「左様」
「それはどのような作戦なのです?」
どうしても理解できなかったアニアはそう質問した。
すると彼は、「ケーブタウンの出入り口は、罠を張るのに絶好の場所。それは理解できていますな?」と尋ねて来た。
「はい。もちろんです。だからこそ、それをなんとかする方法を貴殿にご教示願おうとしているのです」
その彼女の返答に、彼は満足げに「うむ。よろしい」と返す。
「ですから、その罠を回避する為に、あの子供達を使うのですよ」
「はぁ、ですから、それはどのような作戦なのです?」
アニアは“まったく分からない”といった表情で、コーエンを見つめていた。それを見て、ふふんと、楽しそうな表情を彼は浮かべる。
「分かりませんか? これは非常に単純な作戦です」
それから彼は目を剥くと、こう告げた。
「あの子供達をケーブタウンに向けて突撃させるのです。それこそが、私めが考えた秘策」
そう告げられても、アニアにはコーエンが何を言っているのか分からなかった。
「いや、あの、あの子供達はろくな装備も身に付けていないではないですか? それに、訓練だって充分ではない。そんな子供達を正面から敵地へ突撃させるのですか?」
だから、そう疑問を口にする。
するとコーエンは当り前の事を言うように、
「それはそうでしょう。あの子供達は、使い捨てのコマですからな。金はかけない」
と、冷淡に言い放った。彼女の頭の上には大きなクエスチョンマークが浮かんだ。
――は? 使い捨てのコマ? あんなにかわいい子供達が?
コーエンは更に続けた。
「あの子供達を突撃させ、それで出入り口に張ってあるだろう罠にかからせ、罠を除去するのです。爆弾を持たせるのも面白いですが、そうすると出入り口が崩れてしまいかねないですからな、それはできない。
その後で主力部隊を突入させれば、安全にケーブタウンを攻め落とせます」
そのコーエンの説明は、アニア・ゴールドにとって想像をはるかに超えていた。しかも、非道な事を言っているのに、恥じ入るどころかコーエンはむしろ誇らしげにしている。
あまりのカルチャーショックに、彼女の視界がぐにゃりと歪む。
「あの…… しかし、そんな事をすれば、あの子供達の親が許すはずがないではありませんか?」
そう弱々しく抗議する。
すると、それにもコーエンは誇らしげに答えた。
「それも、心配はいりません。あそこいるのは、孤児や貧乏で親に売られた子供達ばかり。例え殺されても、文句を言う者などどこにもいない」
その説明に、更にアニアはショックを受ける。
――この男は、そんな可哀想な子供達を、戦争の犠牲にしようとしているの?
このコーエンの作戦は、彼がかつて戦場で得意としていた戦術だった(それが戦術と言えるのならば、だが)。ただし、今回その手段を執ろうと思い至ったのは、シロアキ達の組織に「親に見捨てられた子供を大量に用意できる」と促されたからだったのだが。
つまり、これもシロアキの台本の内なのだった。
「……すいません。コーエン殿。その作戦は、一時、停止いたしましょう。
考えてみれば、彼我の戦力分析がまだ充分ではありませんでした。敵を知り己を知れば百戦危うからず、と言いますからな」
茫然とした頭で、彼女は気付くとそう言っていた。
もちろん彼女は、ただ単に子供達を犠牲にしたくなかっただけだ。
その言葉の半分は、何かの軍記物語で呼んだ文面そのままだったが、一応は言い訳になっている。
その発言を受けると、コーエンは少しだけ苦々しい表情を見せた。どうやらそこでようやくアニア・ゴールドが彼の作戦にどんな感想を持ったのか察したようだった。
「アニア様。実戦経験のないあなたには分からないかもしれませんが、戦場においてはこういった非情な作戦も当たり前に行われております。
そうでなくては、過酷な戦場を生き抜く事などできませんから」
そして、不機嫌を隠しもせずに、そう訴えた。
その言葉に、彼女、アニア・ゴールドは、微かに震えていた。
――ケーブタウンの出入り口付近にある飲食店。
その中では、無口なイノマタさんがとても暇そうにしていた。
軍が攻めて来るというので、客が減ってしまった所為だ。彼女の店には観光客だけでなく、国知らずの森で害虫駆除に勤しむ冒険者達もよく立ち寄っていたが、そろそろ戦場になろうかという場所の近くにある店を利用する者は少ない。
このままでは、客がたくさん来るからと多めに仕入れておいた食材を腐らしてしまう。もったいない。
……急に客足が遠のくから、
と、そう彼女は思っていたが、何度も書くけど、軍が来るという情報は随分前から入っていたので、“急”ではない。
食材をハダカデバネズミ達の餌にするにしても多過ぎる。彼らも働いているから、一度にたくさんは訪れない。
……さて、どうしたものか?
彼女はしばらく悩むと、外に散策に出かけてみる事にした。
どうせ暇なのだから。
何か良いアイデアが思い浮かぶかもしれない。