都合がいいからな
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もともとの姿は、ただの小さな猫の精霊だった。
森の奥、光のほとんど届かない古い木々の根元に彼女は生まれた。最初はほとんど丸く、淡い緑の毛並みに濃い緑の葉模様がまだらに浮かんでいた。遠くから見ると、大きなまりもが転がっているようにしか見えなかったという。森の古い精霊たちは、そんな彼女を自然と「まりも」と呼んだ。
彼女自身は、その名前をあまり好いていなかった。
守り神になる身で、まるくて柔らかそうな名前は似合わない。もっと威厳のある呼び方があるはずだ、と思っていた。
だが、森の者たちは長くその名で呼び続けた。最初は訂正しようとしたこともあったが、次第に「まりも」という響きが、彼女の存在そのものに結びつくようになっていく。気づけばその名で呼ばれることが当たり前になり、いつしか彼女自身も完全には拒めなくなっていた。
それから長い年月をかけて、彼女は少しずつ力を蓄え、誇り高い森の守り神になった。猫の姿のまま木々の気配を読み、境界を見張り、小さな精霊たちを導く日々が続いた。
あるとき、彼女は大きな傷を負った。
詳しい理由は今も多くを語らない。ただその傷は深く、力を大きく削いだ。そして猫の姿のまま、森の端で動けなくなっていたところを、一人の人間に見つけられた。
なんの力も持たない、ただの人間に介抱される。
彼女にとっては、生まれて初めての「守られる」経験だった。最初は強く警戒し、どうにか森の奥へ帰ろうとした。人間など信用できない、と心の中で繰り返していた。触られるたびに体を硬くし、敵意を隠そうともしなかった。
けれど、その人間は何度も森へ通ってきた。
無理に近づこうとせずただ静かに世話をして、必要なものだけを置いて去っていく。警戒している自分を特別扱いもせず、かといって放置もしない。その淡々とした態度に、彼女は徐々に戸惑い始めた。
ある日、傷の痛みが少し和らいだとき、彼女はふと思う。
——このまま猫の姿では、ただの動物として扱われて終わる。
精霊として、ちゃんと礼は言いたい。そして文句も言いたい。名前を呼ばれる不快さも、自分の言葉で伝えたい。
だから彼女は、無理をして人の姿を取った。
淡い緑の長い髪に濃い緑の葉模様が残っているのは、そのときの名残だ。力が足りない中で形を変えたせいで、完全には消えなかった痕跡。
人の姿になってからも、すぐに一緒に暮らし始めたわけではない。
傷が癒え始め、彼女が少しずつ元気を取り戻すと、人間はいつまでも森から出ようとしなくなった。様子を見に来るうちに長居するようになったのだ。
だが、人間が森に長く留まるのは好ましくない。彼女自身もそれは分かっていた。だから彼女は何度か、「早く帰れ」と促した。しぶしぶ立ち上がる人間を、安全のためにと森の外まで付き添うようになり、そのうち少し先まで送るようになった。気づけばアパートの前まで一緒に歩く日が増え、そのまま中に入ってしまうことも珍しくなくなっていた。
今はもう、力はほとんど戻っている。
それでも彼女は、人の姿のままその人間のアパートで暮らしている。理由を尋ねると、こう答える。
「この姿の方が、キミと話すのに都合がいいからな」
本当のところは、猫の姿で守られるのが、少しだけ照れくさかったというのもある。
最初は警戒ばかりしていた彼女も、今では同じ屋根の下で日常を共にしている。
誇り高い森の守り神は、今も「まりも」と呼ばれるのを嫌がる。
でも、その名前で呼ばれながら、人間の日常を少しずつ受け入れ始めている。




