1x01 Part 4 / 4
「よし、じゃあ行こうルナ デコンタミネイションシャワーシステム起動」
【ツピ!外傷1号室のデコンタミネイションシャワーシステム起動が、スタッフドクター西園寺玲先生から発令されました 使用目的、揮発性有機化合物の洗浄 プライマリターゲット ベンゼン これより10秒のカウントダウン後洗浄開始 水圧と窒息に十分留意してください じゅう きゅう はち…】
ルナがカウントダウンを始め、ぜろ、と同時にシャワーによる洗浄が開始される。
一秒間に10リットルは、場所を死体周辺に限定したとしてもベンゼンを洗い流すには十分な水圧だ。
ストレッチャー真下の床にある排水溝の自動フラップが全開にされており、勢いよく汚染水が落ちていく。汚染水は病院内の隔離された排水システムにより、コンクリートで固められた地下のタンクに収納される。
今回はベンゼンだが、いわゆる放射性物質や化学兵器、生物兵器も処理することが可能だ。
こうなると南と西園寺には何もすることがないが、考えを巡らせるにはかなりいい時間帯だ。
「ルナ、洗浄された物質の化学組成を実施し、精査して終了したら知らせよ」
【ツピ!了解です南先生 精査には5分ほどかかる見通しです】
「了解だルナ、逃走した男の追跡はどうか?状況確認せよ」
【ツピ!当該人物は搬入直後、業務用通用口から逃走 敷地外に出るまで全カメラで追跡・録画済みです 顔認証は部分的にマスクされていますが 骨格照合用データは確保しました】
「了解したルナ…完璧だ ありがと」南がマスクの下でニヤリとゲスな顔で笑う。
「逃げたってことは…こっちの遺体は捨て石ですか」うんざりしながら西園寺が言う。
「うん 見てよこの安っぽいスニーカーに使い古されたジャージ こいつはただのパシリ」
「闇バイトってヤツですか?」
「でしょうね カネ持ちにはちょっと見えないし」
「可哀想に…中身が猛毒のベンゼンだとも知らされずに、事故ったら即座に見捨てられたわけですね」
「そういうこと 組織力に感動するわあ」南は軽く嫌味を言う。
「なんでベンゼンなんでしょうね」
「大昔なんだけどね、これを使ってメタンフェタミンやMDMA、コカインを作るときの溶媒に使ってたんだよ」
「えっベンゼンでですか?バカですか?」
「ハッキリ言うわね…まあその通りバカなんだけど 今だとトルエンを使うところに……あえてベンゼンを使ったのよ」
「あえて?」首を傾げようとする西園寺だが、レベルBの防護服を着ていると一苦労だ。
「『古いレシピ』しか持ってないのよ 応用も効かないバカの集まりか、あるいは……昔の製造法にこだわる奴がいるか…いずれにしろ、バカには変わりないわ」
「…先生、薬剤師もできるんじゃないですか?」半分冗談で西園寺が聞く。
「いや薬剤師は違法薬物は作らないでしょ…作れないこともないけど…でもそれ天音ちゃんの前で言っちゃダメだぞ?彼女マジギレするよ?」
「妊婦の佐々木さんにそんなこと聞けませんよ…」
佐々木はER受付メンバーの中で、唯一の薬剤師だ。本来は受付では薬剤師の資格は無くてもいいが、あった方が薬品の注文では役に立つことは間違いない。
「しかし、ホントに詳しいですね先生…」少々呆れて西園寺が肩をすくめる。
「亀の甲より年の功…ってね」ウィンクしながら南が答える…が、クールビューティーの割には南は壊滅的にウィンクが下手だ。西園寺はツッコまずに黙って見ている。
【ツピ!汚染物質の精査完了、水70%、ベンゼン29%、エフェドリン0.4%、フェニルアセトン0.3%、チオフェン0.2%、その他一般的なものが10種類ほどが0.1%未満】
「なにそれ…ヤク精製後の廃液じゃないの…」南がうんざりしながら言う。
「水と油が分離してますね……ベンゼンの純度が低すぎる…」西園寺が死体からIDを探しながらつぶやく。
「純度が低いから売り物になるとは思えないけどね」
「それにエフェドリンとフェニルアセトンが両方? 製法が違うのに?」
「そう、だからこれは残りカスね 水と油を分ける手間すら惜しんで、全部まとめて捨てに出かけた…ってところかしら」
「分離もせず、不純物もそのままで……まさに『動く産業廃棄物』ですね」
「まあ、いい迷惑ね…上半身にはIDあった?」
「ID、なしです。完全に身元不明のジョン・ドウです」
「なるほど了解、下半身も見てみたが何もなし、粗末なモノが一本だけ」
「南先生…粗末なモノって…」
「あっ、ルナが拾わなかったからセーフよ あらいやだわー」南がわざとらしくおばちゃんムーヴをする。
「あーはいはい…あと40分たったらとりあえず出られるって感じですかね?先生」
「そうだなー…というか私タバコ吸いたい ナプキンも変えたい…生理中だから気持ち悪いのよ」
「…それは…僕に言われても…」
「何照れてんのよ西園寺、お前さん医者でしょ?」
「いやそれはそうなんですが…あんまり直球だと…その…」
「単なる生理現象でしょう…文字通り生理だけどね」何がおかしいのか南はプッと笑っている。
「…そ、それにしても…タバコとベンゼン…究極の選択ですね…」話題を変えたかったが、さらに地雷を踏みぬく西園寺。
「タバコは栄養でしょ?違うの?」当然なことを聞くなとばかりに呆れながら南が答える。
「…違いますよ…あんなものやこんなものや、そんなものまで入ってます」西園寺はため息交じりに答える。
「…見なかったことにしてるんだよ」
「HALOは世界禁煙デーってうるさく設定してますよね」
「あるね…先代の時代からあるそうよ…5月31日ね」
「喫煙者にプレッシャー掛かるとか、そういうのありますよね」
「ある…かもしれない」
「先生はその時にはどうされているんです?」
「嫌味言われる前に有給取って華麗に美容室行ってる 酒井やランがメッセ送ってきても知らんぷりしてる」
「理乃ちゃんもランちゃんも災難だ…まったく…先生よくHALOクビになりませんね」
「そうよねー私も不思議だわ」わざとらしく南が驚く。
…
何事もなく1時間経過し、二人はようやく閉鎖された外傷1号から外に出る。
外傷1号の出口には簡易テントが張られている。
その中で南と西園寺は防護服とマスクを引きちぎるように取り、バイオハザードのマークの付いたごみ箱にブチ込む。
外の空気が吸いたくなったのか、二人ともER出口から外に出て、マスコミの目やカメラやドローンがいないところまで移動する。マスコミがたくさんいるようだが、存在そのものを無視している。
西園寺が、かっはあーと深呼吸する。
南が加熱式たばこを取り出して吸い始める。紙巻きよりは香りや副流煙は出てこない。ニコチンが心地よく南の身体を駆け巡る。
北条とアルサウードがやって来る。
「お疲れ様二人とも 頑張ったね!」爽やかで優しい言葉なのに、北条があまり心のこもってない声でわざとらしく言う。
「結衣…あんたさ…2つ目のがとんでもないババってわかってて先に1つ目行ったでしょ?」加熱式たばこをふかしながら南が北条を問い詰める。
「さあ…それは…ガラガラポンですから」北条がわざとらしく肩をすくめる。
「あーもう汗だくでこのシャツ台無しですよ…経費で落ちませんかね北条部長?」西園寺がチラ見しながら言う。
「却下」無表情で却下する北条。
「あーもう…今日も厄日でした…」
「そうだね、毎日がエヴリデイ的な何かね」
「なんですかそれ南先生…」
アルサウードが2本のペットボトルの水をそれぞれ南と西園寺に差し出す。
「シュクラン、サラ」南はお礼を言う。優しい表情だ。
「アフワン、南先生」アルサウードが気さくに答えてニッコリと笑う。この病院の中では一番邪気のない笑顔だ。
「…どうサラ、勉強になった?」ペットボトルの水を豪快に飲みながら南が聞く。
「はい、でも、あの、 <これは最初のトリアージに失敗したのではないでしょうか?> 」
「 <…それを言っちゃあおしまいなのよ> 」
「 <しかし、そのあとの処理はお見事でした、さすがです!> 」
「 <ありがと…まああんましょっちゅうあっても困るけどね…> 」
「 <…ところで南先生、あの…お聞きしたいことがあるのですが…よろしいでしょうか?> 」
「 <んー、プライヴァシーに関すること以外はオッケーよ> 」
「 <んー…えーっと…イスラエルやパレスチナ…レヴァントのアラビア語は、私のハリージとはずいぶん違うはずです> 」
「 <まあ…そうだよね> 」
「 <先生のアラビア語は完璧に私にもわかるのですが…別に勉強なさったのですか?> 」
「 <それは…まあ…秘密> 」
「 <先生……よくわかりませんが、いつか教えてくださいね> 」
「 <そうね、機会があったら……あ……>」
「<どうなさいました?南先生?>」
「<…ナプキン替えに行くわ…ごめんサラ>」
なんとも複雑な顔をしているアルサウードを残し、南が女性用トイレに駆け込みに行く。
…
外傷1号以外はすべての危機が去ったので、ERは外傷1号を除いて閉鎖が解除される。
夕方、島が出勤して引き継ぐ。「そりゃあ大変だったねえ…」と割と本気で心配し、特に本宮に語り掛ける。
ERの受付は圧倒的に人員不足、しかももうすぐ佐々木は産休に入ってしまう。
ここで本宮に辞められては塩谷も島も、今日は来てない野川、皆にとって大打撃となる。
まだ若いのに飲み込みはとてもいい。孫のように愛くるしいが意外と度胸もありそうだ。
長く続けて欲しい。
じゃないとワシの腰も悪化する…と島は心配している。
「だだだいじょうぶですよ!ありがとうございます!それでは急いでいますので、でわでわっ!」
本宮はそそくさとERを後にする。
女性用ロッカールームの入り口で、入ろうとしたアルサウードと出てきた本宮がすれ違う。
「あっサラ先生!お疲れ様でしたー」
「はい、梨沙ちゃん、お疲れ様です」
ぺこりとお辞儀をしたアルサウードだったが、ふっ…と甘い香りがするのを感じた。ベンゼンとは違う香り。
生まれ故郷のドバイによくある乳香とも違う香り。
…香水?
「 <梨沙ちゃんのようなまだ若い女子には似合わないような…大人の女性の香り…なんでしょうか…?> 」
アルサウードは不思議がるが…実はそれどころではない。
(<先週偶然見つけたハラールのスーパーに行かなくては…この遠い日本であの品揃えの多さは…まさにアッラーが私にお与え頂いた倉庫です!>)
アルサウードも手早く着替えるためにロッカールームに入る。
本宮のスマホには「お客」からの「遅れるとお姉さん悲しいなあー樹里ちゃあーん」というメッセージが入っている。
(はい、「樹里ちゃん」は急がなくては!)と本宮はダッシュで地下鉄の駅に降りていく。
シフトが終わり帰っていく南と北条が駐車場まで一緒に歩いていく。
「今日の事故処理は…見事だったわ真琴さん」と北条が素直に褒める。
「あれ?褒めてくれるとは珍しいね結衣?」
「今日のはね…あれはERとしては機能してないわよね…ベンゼン事故の患者はほぼ即死だったし…本来連れてくるべきではなかった」
「そうだね…結局あの死体は身元不明、新人救急隊員も身元不明、薄気味悪いったらありゃしない」
「ええ…気持ちの悪い話ね…明日警察が来て事情を聞きたいそうよ」
「一応データは全部ルナ経由で法務に渡してるから…法務からの戻りデータ使って、安蒜か朋世先生ならどうにか説明できるでしょう」
「そうね…特に安蒜先生は…最近はかなり慣れてきたわね、やはり元診療部長、頼れるわ」
「HALOとしてもデータ欲しいので、そこんとこもよろしく」南がプレスリーの真似をしつつ北条に言う。
「あー…はいはい…協定に従ってご自由にどうぞ…日本支局の局長代理さん」
「ま、死神の鎌を折るのが私たち公共の奉仕者たる医療従事者、ここはさしずめ「公共への奉仕者の巣」といったところかな」
「また意味の分からないことを……おやすみなさい、お疲れ様でした真琴先生」
「うん、お疲れ様 明日は死神の鎌を折りまくろうぜ、結衣」
南は日ごろから「Powered by HONDAだ、いいだろー」と自虐的に言っているオンボロのシビックで帰っていく。
それを見て「新車くらい買えばいいのに…」とあきれて笑う北条だったが、北条は…車を持ってなかった…
「なんで駐車場に来てるの私は…話し込むとつい熱中して…いけないなあ…」とぼとぼと地下鉄の駅に向けて歩き出す。
「やっぱり車買おうかな…かわいいのがいいな…フィアット500(チンクエチェント)とかMiniとか…トゥインゴもいいな…カングーは…ランちゃんとマギーちゃんが乗ってたわね…」
聖路都国際病院のER部長たる北条結衣。
その気になればそのランクの車はキャッシュでポンと買えるくらいのサラリーはある。
しかし一番大事なことに気が付いてがっくりと肩を落とす。
「その前に…運転免許取らなきゃ……」
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