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1x02 Part 1 / 4

「あちゃー、ここもダメかなあ…」

屋根に上って修理をしていた酒井(さかい)。コーキング材が劣化しているらしい。

「いや、もうこれ次のお休みで…」材料を買いに行こうと決意した。そろそろ遅番の出勤時間だ。

バスルームに入って手早くシャワーを使う。


胸の高さまである黒髪を手早く乾かしつつ、郵便物に目を通す。

「同窓会…これはいいや」酒井の出身大学の同窓会からのお知らせ。

日本における最高学府「帝国大学」の名前が書いてある…が、そんな権威には酒井は特に興味はなかった。


読まずにごみ箱直行。


HALO(ヘイロー)からの郵便。後期研修過程でHALO、世界保健連盟に参加している酒井にとってこれは重要なのだが…

「電子メールで先に貰った内容だから…まあいいや」

と整理ボックスに放り込む。

あとはここの土地の税金系のものが来てないかをチェックしているが……無さそうだ。


(めんどうだなあこれ…時間かかるし…切ろうかな…いやいやいやいや、待て待て早まるな…)

と悩みつつ長い髪をシニヨンにきゅっとまとめ、手早く着替える。


天気のいい日などは歩いて通勤するが、今日は雨が降りそうなので車で出勤することにした。

聖路都(せいろと)国際病院まで歩いたとしても、30分ちょっとで行ける。

そして車といっても、まだ酒井にいい車は買えない。


HALOの都市部IT臨床プロジェクトに新規で入ると、国連職員でいうところのP-1相当のサラリーがある。

HALOは国連の付属機関ではないが、形式的に国際機関に準ずる地位にいる。

それこそ一般の研修医に比べればいい方だろう。

しかしまだまだ…足りない。


車は亡き両親が残してくれた作業用のスバル・サンバーをそのまま使っている。

「サンバー君もそろそろフライホイール見てあげないとなあ…ホムセン行ったら修理工場も行ってみるかあ…」

26歳の女子が乗るにはあまりにも奇妙に見える軽トラックだが、酒井にとっては大切な、しかも実利も兼ねた「スーパーマシン」だ。


慎ましいが想いのこもった手入れがされている祭壇に挨拶する。


「では、行ってきます。おとうさん、おかあさん。」


「差押物件」と札の張ってある玄関の横にある簡易ガレージから、酒井はサンバーを発車させる。


660㏄のクローバー4が控えめな咆哮を上げる。

うら若き女の子があんぱんを食べながらクラッチペダルを蹴飛ばし、2速から3速に叩き込む。

「農道のポルシェ」が北新宿の裏道を慎ましく疾走(かけ)る。



「つまり…そいつの身元は分からないわけですね?」高嶺(たかみね)がコーヒーサーヴァーからコーヒーを紙コップに注ぎながら刑事に聞く。

「ええ…事故そのものは捜査中ですが…」築城(ついき)が紙のファイルを閉じながら答える。

「救急隊員のコスプレは…あからさまにいかがわしいお店でやってほしいものですね」高嶺がいやらしい顔をして言う。


先日起こったベンゼン事故。

交通事故で運ばれた患者は、車内積載のベンゼンが事故のショックで容器が割れ、ベンゼンを大量に浴び即死。

同乗していた救急隊員は偽物で該当者はいなかった。


「はい、どぞー」高嶺は築城にコーヒーを注いだ紙コップを渡す。

「あ、ありがとうございます先生…ベンゼンを運ぶ事それそのものは違法ではないのですが、明らかに違法薬物の生成に使われていた廃液でした」

「それはうちのルナの分析結果でもわかったんですけど…」

ルナは対話型AIで、医療行為のすべてをサポートする革新的な技術だ。

「逃走した男のデータ、骨格データもあってありがたかったのですが、結局この男もよくわかっていません」ミルクと砂糖は入れずに築城がコーヒーに口を付ける。

「つまり…うちが丸損ということですよねー 廃液集めに来た練馬の自衛隊にも挨拶しに行ったし…あーあ…まったくもう…」呆れるように高嶺がため息をつく。砂糖をカップに大量に入れている。


「これちょっと見てくださいよ築城刑事…あ、ルナ、築城巡査部長に一時的なアクセス権限をあげて」

【ツピ!了解しました高嶺先生 当該記録のみへの一時的なデータのアクセス権を 警視庁翡翠橋(ひすいばし)警察署 刑事1課の築城詩織(ついきしおり)巡査部長に付与します】


「このルナ…って凄いですよね。本庁のサイバー部門の警部補も驚いてましたよ、私も見たい!って」

「それうちのIT部門が聞いたら泣いて喜びますよ…うちの院長は『売り物にしようぜ!』とか身も蓋もないこと言ってますけど」

「声で命令を受付け、瞬時に判断、音声認識率はほぼ100%、病院中のIoTと接続し集中管理する、医療機器の操作もできる…確かに売れそうですね」

「まあ…高そうですけどね」高嶺が苦笑する。

「でも…「ルナ」という名前の人がいたら、起動はどうするんですか?」

「なんかその…なんかあるみたいです、声紋と文脈で判断するようですね」

「…実は本庁のその警部補、名前が「瑠奈(るな)(るな)」なんですよ 千歳瑠奈(ちとせるな)警部補」

「…」

「…」

高嶺と築城は、顔を見合わせて爆笑した。


酒井が出勤し、女性用ロッカーで着替え、聴診器を取ろうと自分のロッカー内上段を見る。

聴診器が二つ置いてある。どちらもリットマンの標準的なものだが、身長152センチの酒井にとってはどちらも少々チューブが長い。

そしてそのチューブが深い紺色とピンク色のものがある。

「今日は…おとうさんのを使わせてもらうね」そのうちの一つ、深い紺色のチューブのリットマンを手に取り首に掛ける。


この二つの聴診器は、両親の形見だ。


酒井からは家族はもう見えないが、ここには確かに家族の肖像が残っている。

最後に首からIDカードを下げる。この病院の職員は首から下げるにしろ、白衣などの胸ポケットに装着するにしろ、横型のものを使っている。

HALO側のディレクターの(みなみ)をはじめとして、オニール、ンゲマ、グエン、そして酒井、HALO組はすべて縦型のものを使っている。


挿絵(By みてみん)


容易な識別のための形状変更だが、それ以外にもHALO組は同じデザインの国連ブルーのスクラブを着ており、さらに両肩にHALOのロゴが入っている。

同じ位置にHALOロゴが入ってる白衣も用意されているが、スクラブとIDで判断ができるため、白衣は着なくてもよいことになっている。

HALOの白衣を着ているのはオニールだけだ。


酒井がロッカールームを出て受付に顔を出す。今日は本宮(もとみや)野川(のがわ)がシフトのようだ。

「野川さん、梨沙(りさ)ちゃん、おはようございますー!」屈託のない元気さで二人に挨拶する。

「あよーさかいせんせー」かったるそうだが失礼には聞こえない声で野川が答える。

「おはようございます、理乃(りの)ちゃん先生!」本宮が挨拶を返す。何やら二人で菓子のたくさん入った袋をあさっている。スーパーで5円で買う袋の優に4倍はある。

「おぉ…そんなお宝どこで手に入れたんですか…?」目を輝かせて酒井が聞く。

「あーこれ、おたくんとこのボスが差し入れーってさ」どこか嬉しそうに野川が答える。

「ボスって南先生ですか?」

「そうです!いつもお疲れさまーって!餌付けされていますねーうふふ」

「餌付けじゃないよ梨沙っちー?こないだまたアタシの名前で吹きやがったからね…補償を求めるって言っただけだよ」

「えー?萌那莉紗(もなりざ)ってかわいいじゃないですか?」本宮が普通に答える。

「モナリザってグローバルスタンダードだね、と言い終わらないうちに吹きやがってあの女…今度吹いたら現金だな、キャッシュだキャッシュ」野川は高そうな焼き菓子を集めている。

「ふぅん…私たちにはあんまりくれないんですよね、お菓子」口を少しとがらせて酒井が言う。

「えっ、そんなことないですよ?ラン先生にもマギー先生にも…ビル先生にもあげてたみたいですよ?」本宮が答えながら、チョコレート系を自分に確保しようと袋を漁っている。

「なっ、なんだとー!あの女狐、私だけ餌付けしないと言いやがるか!!」ぷんすかしながら酒井が答える。

「餌付けじゃないよ補償だよ補償」野川が邪悪な笑顔を浮かべる。


ERのエントランスに親子連れがやって来る。

12歳くらいの少女と錆びた茶髪の母親、小太りであまりガラの良さそうではない父親。

皆がそそくさと仕事モードに変わる。酒井の菓子あさりはお預けだ。


「おはようございます、どうされましたか?」酒井がまず少女に向けて聞く。

「あ…あの…」少女は若干おどおどしながら伏し目がちに酒井に答える。

「なんかねえこの子学校でドッジボール?やってて突き指したそうなんですよ」母親が娘を遮るように話す。続けて、

「ホントこいつさあ、どんくせえんだよな」父親がニヤニヤしながら話す。歳はどちらも40過ぎだろうか。

(なんだこの親…ひどいなあ…)と酒井は不快感を覚える。


「ん?なんだいどうしたんだい理乃先生?」と(チェン)がその会話に入ってくる。

チェンは早番で既に勤務中だ。

「あー小梅(こうめ)先生おはようございます 突き指…しちゃったそうなんですよ」酒井が答える。

陳 小梅(ちぇん しゃおまい)は香港の大学から交換留学プログラムで聖路都国際病院で後期研修医として勤務している。

しゃおまい、は日本語でシュウマイにも聞こえるため、チェン本人としてはそれはちょっと…と感じていた。

本人はPlummy、つまりプラミーとミドルネームで呼んでくれ、あるいはチェンで、と言っている。

何人かは「かわいいから」と小梅と呼んでいるが、チェンも悪い気はしていない。


「理乃先生はまだ勤務時間前だろ?私が受けもつよ」チェンはウィンクしながら気さくに言った。

「ええホントですか?ありがとうございます!ではお願いしますね!」酒井はいったん関係者ラウンジにたたっと駆けて行く。


「それでは…こんにちはお嬢さん。私はここの医師のチェンです」とチェンが言いかけた瞬間、

「なんだガイジンかよ…」小太りの父親がわざと聞こえるように悪態をつく。

「…私は香港の医科大学を卒業し、日本語もこの通り支障なくこなしておりますが…何か問題でも?」

「中国人か…にーはおー」と小馬鹿にして言う。


「 <…ルナ、プラミーだ、広東語で話そう> 」

【 <ツピ!広東語了解です チェン先生>】


「 <香港と中国の違いも判らないこのクソバカの娘さんは私が看る どこが開いてる?>」

【 <カーテン1、4号がそれぞれ使用可能です> 】


「 <よし、じゃあカーテン1号を使うよ、このクソバカは一応記録しておいてくれ、なんかムカつくわこいつ>」

【 <ツピ!記録了解です 行き過ぎた暴言等あった場合には速やかに申し出てください 警備を手配します> 】

「 <はは、それには及ばないよ、私がチオペンタールを50gほどこいつの脳髄に刺すだけだ> 」

【 <冗談としては面白いのですが それはアメリカ各州の死刑執行に使われる量の10倍に相当しますので危険な冗談です 記録からは消去しておきます 消去しました> 】

「 <君にはかなわないね、ルナ>」苦笑するチェン。

広東語は香港をはじめとする中国大陸の広東地方で広く使われている。

そして、チェンの口の悪さは100万香港ドルのレベルの高さである。

だが日本語は別だ。日本のアニメだけでほぼ完璧に日本語を習得したチェンは、優しい日本語で娘に話しかける。

「さあ、いきましょうか」

「………」


「野川さーんカーテン1号使いまーす」チェンが受付に告げる。

「りょうかーいチェンせんせー」けだるそうに野川が答える。

隣の席では本宮が保険証の情報を入力しようとしているが…

「おっかしいなあー」

「ん?どした梨沙っち?」

「この保険証の番号入らないんですよ 何回やってもエラーって出ます」

「あーしのほうで打ってみるわ、コピーかしてみ?」

「あっはい、すいません!」

コピーといっても紙ベースでは取っておらず、預かった保険証をカメラで撮り情報をスキャンしているだけだ。

聖路都国際病院では、紙ベースの事務作業は極限まで少なくなっている。


「どうかしたのー?」高嶺が築城と一緒に受付に来る。少し早めのランチに上のカフェテリアに行く模様だ。

「あぁ高嶺先生、この保険証の番号がエラーになるんですよー」本宮は答えつつ、何回か見たことがある刑事の築城をチラ見する。

「んー、どれどれぇー?」高嶺がカウンター越しに体を伸ばして受付PCのディスプレイを覗き込む。


「…」

白衣を脱いでいる高嶺は身体を伸ばしているので、ライトブラウンのワイドパンツのヒップラインがはっきり出ている。

それを本宮はチラ見している。

(やっぱり高嶺先生いいスタイルしてるなー…今はカレシはいないそうだけど…おなかも全然出てないし、おしりも落ちてない…35でこのくらいって「バイト先のお客さん」にもあまりいないわよね…)


「…んー?ねえ築城刑事、この番号ってなんか変じゃないかな?」高嶺は保険証を指でつつく。

「え、私見ていいんですか?ではちょっと失礼して…」

築城も同じように体を伸ばしてカウンター越しにカードを確認する。

築城は現場で動きやすそうな濃いグレーのチノパンを履いている。

普通はヒップホルスターの拳銃に目が行くところだが、それには目もくれずに築城のヒップをチラ見する。


「…!?」

(えっ!この刑事さん、こんなにスタイル良かったんだ…おしりが小さいのに腰がくびれてて、胸も結構ある…28くらいよね……)


そして本宮は妄想モードのスイッチが入る。


野川さんは裏表なくて親切、いい人なんだがそれどまりで恋愛対象にはならない。

佐々木さんはもちろん人妻だから手は出せない。「お客さん」には人妻はたくさんいるが、それは別の話だ。


でも高嶺先生と築城刑事はかなりいい。別の意味で。

(どちらもアリだな…口説かれたら普通に抱かれたいかも…)



「…みやさん、本宮さん?梨沙ちゃーん、おーい?」高嶺が本宮の目の前で手のひらをひらひらさせている。


「っ…??はい!!すいません高嶺先生!」慌てて妄想モードから現実世界に引き戻される本宮。

「どしたの?疲れてるの?」

「い、いえ、なんかぼーっとしてました、すいませんっ!」

「おーいたのむぜえーアネキー?」高嶺は自分がまさか同性から性的な目で見られていたとは疑いもせずにおどける。


「つーかこれさあ…」野川が保険証をひらひらさせて言う。


「偽造じゃね?」

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