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1x01 Part 3 / 4

ストレッチャーが外傷1号に入った瞬間、外傷1号のルナが反応した。

【ツピ!警告、有機化合物検出 物質、ベンゼン 濃度、2.5ppmから急速に…… ツピ!修正して警告 濃度100ppm突破 警告、防護レベルB以上の防護服着用を強く推奨】


「うわあ速いなー」さほど危機感もなく南がのんびりつぶやく。

ルナに言われる前に、南と西園寺はレベルBの防護服を1号外傷の入り口のロッカーから取り出している。


「ルナ!西園寺だ!外傷1号負圧開始、マイナス50パスカルからスタート、ヴェンチレーション全開、方向はオートで任せる!1号入り口の隔壁も閉めろ、防護服を付ける」

【ツピ!西園寺先生了解しました。直ちに外傷1号NBCレベル3で閉鎖、負圧マイナス50Pa、ヴェンチレーションを床から天井に向け全開】


同時に外傷1号室の扉のシャッターが閉まっていき、赤い回転ランプがぐるぐると回る。


あぶない(DANGER)さがれ(STAND BACK)!』


の表示が外傷1号室の入り口のディスプレイに赤文字で出る。

入り口と外傷室の間は空間になっていて、ここも自動で隔離される。いわば外傷室と外との緩衝地帯バッファだ。


「ルナ、先程のストレッチャーを搬入した救急隊員の男に見覚えがない 聖路都が持っている出入りの救急隊員のデータベースと照合し、写真を東京消防庁に送信 照合結果を北条先生に伝達されたし」


ツピ!とだけルナは反応する。

プライヴァシーに関する部分の復唱は、場合によってはしないことになっており、個人情報保護法に関する法令違反の危険性を判定してルナが決める。


「あー先に来たストレッチャー取ればよかったな…結衣のヤツ…上手いことやりやがって…」南が心の底からぼやく。

「もう外傷2号は終わってるみたいですね…参りましたね…」西園寺もハズレかーという感じでつぶやく。

外傷1号の処置スペースの手前にある隔離スペースは、大人が2人で防護服を着るには狭すぎる。

特に西園寺は179センチ、南も168センチある。どちらも日本人の標準身長よりは随分と高い。


「っ…!ちょ…西園寺!あんた胸触るんじゃないわよ!」

「ち、違いますよ南先生!手の甲が当たっただけですよ!わかりませんでしたよ!」慌てて否定する西園寺。

「わからなかった…?ほー、するってえと何かな?私には当たるべき乳が無いとでも?」眉を吊り上げて南が怒る…が、半分以上はからかっているだけだ。

「あーもうああ言えばこう言う!早く着ましょうこれ!冤罪で社会的に抹殺される前に!」

「おばさんの胸を触って社会的に抹殺とか…マジでウケるわ」ニヤニヤする南。


『外傷1号聞こえてる?北条よ、状況を知らせなさい』苛立たしそうに北条がマイクで聞いてくる。

「北条部長、ちょっと黙ってようね、なんせこっちは狭いところで速攻で防護服着てる最中だから」

南がわざとらしく苛立たしい声で答える。

『っ…!了解!……まったくあいつらときたら…』

「聞こえてるぞ結衣!ルナのマイクは地獄耳だねえ」

【ツピ!ありがとうございます南先生】


「 <謙遜するところではありませんよルナ> 」角が立たないようにアラビア語で突っ込むアルサウードだったが、

「 <おっ、そうだねサラ!お前さんも言うようになったじゃない?> 」とアラビア語で喋りニヤッと笑う南。

(<しまった…南先生はイスラエルにいらっしゃったんだった…!>)アルサウードは少し赤面する。


「ファスナーよし、フラップ密閉 西園寺、マスク吸ってみて」着用の安全チェックを南が行う。

西園寺がズズッ……と息を吸い、マスクが顔に張り付くのを確認する。

「陰圧よし ノーリークです 先生の背中、バルブ全開。圧力300で満タン…よし」

「…お前さんのグローブのテープ、シワがあるから貼り直せ そこから洗浄後のベンゼンが入ってくるかもしれない」

「あ、おっと…了解です…」と西園寺がテープを貼り直す。

「よし! グローブ、シール完了!南先生、僕はオールクリア」力強くサムアップする西園寺。


「…ベエズラト・ハシェム(神の助けを借りて行く)…行こう、西園寺」ヘブライ語でお祈りをする南だが、別に特定宗教を信じているわけではなく、単なるおまじないにすぎない。

「了解です南先生…ロックン・ロール!」

西園寺が隔離スペースの開閉スイッチを蹴飛ばす。

誤動作を防ぐため、あえてここの開閉スイッチはセンサーを使っていない。


「 <さてと、サラ、いや、アルサウード先生、ベンゼン事故のケーススタディになるから、ルナ越しにはなるけどよく見ておくといいよ> 」

『<あっ、ありがとうございます南先生!ベンゼンは毒性が極めて強い化合物です、気を付けてください!インシュアッラー!> 』

「 <ありがと…でもまあ…このくらいは…とりあえずまだ人間で対応できるよ、アッラーにはその辺で見学しておいてもらおう、お茶を出しといてね> 」


クスっと笑うアルサウードだが、北条は笑っていない。

『ちょっとあなたたち!いつまでアラビア語で喋ってるの!わかんないでしょ!あとでルナのログ見るからね!』

「はーい北条部長 変なことは喋ってないから隅々まで見てちょうだい ねえ?アルサウード先生?」

「えっ、あっはい、もちろんです!」



「ルナ、ヴェンチレーションの状況はどうか?」南が聞く。

【ツピ!現在負圧マイナス50Paで進行中、濃度は5分間で120ppmから95ppmへ減少、さらに減少中】

「もっと強い負圧が必要かな?ルナ、もし表示できるならちょっと流体モデル見せてもらえるかい?」西園寺が確認する。

ツピ!と了解音が鳴った後、即時に外傷1号の一番大きなディスプレイに流体モデルが出てくる。

もちろんリアルタイムで完全にベンゼンが見えるわけではないが、空気の流れはわかるので気休め程度にはなる。

それよりも外傷1号内のベンゼンの平均濃度と、滞留場所が重要だ。

ベンゼンは空気よりも重いため、下から上に向けて撹拌しヴェンチレーションを行っている。もちろんルナがフルオートで判断して設定している。


いわゆる普通の空気は薄い青、ベンゼンは毒々しい紫で表示されている。

「これは…まるで…」とディスプレイの極彩色の流体モデルを見ながら西園寺がつぶやく。

南は何か気が付いた事でもあるのかと眉を上げながら聞き返す。

「…まるで?」

「…洗牌シーパイのようです」

「この場で麻雀かあ…西園寺、お前さんも太くなったねえ」

防護マスクの下で南はニヤリとする。

「姉御が何人もいますからねうちには……現状では十分に洗牌されてるので、負圧はこれで行きましょう」

「了解、イカサマは無さそうね」


外傷1号はある意味静かだったが、外は大変な騒ぎになっている。

マスコミは完全にシャットアウトしているが、ERは閉鎖されている。そのため待っている患者を一般受付に誘導する作業に受付の2人は忙殺されている。

「本宮さん、変なのがいたら、俺に振ってくれればいいからね」193センチの巨体に似合わない優しい声で塩谷が本宮に話しかける。

「あ、ありがとうございます塩谷さん!あ、あの、これってどのくらい続くのでしょうか…」

「んーそうだなあーレベル3はあまりないけど、状況に応じて変わってくるね…6時間から12時間かな」

「ろっ…ろくじか……んーそうですか…」


「まあ夜勤の(しま)(しま)さんが来るまでは終わると思うよ。こういうことはあるのさ、NとBはあったら困るけど、Cは兵器じゃ無いやつは割とね」

Nが核兵器、Bが生物兵器、Cが化学兵器なのは本宮にもわかる。つまりCは化学薬品による事故だ。

それよりもなによりも、本宮は暗澹たる気持ちになってくる。あーこれ「バイト」に間に合わないやつかも…と。



外傷1号。


「さて…と…じゃないよね、これ確実にCAだわ… どう思う西園寺?」

CPA(心肺機能停止)ですよね…ベンゼン事故で…見た感じベンゼンを飲んでますからね…もう即死ですよねこれ…」

日本で使われる用語「CPA」と一応訂正を入れながら、西園寺が遺体の周りをぐるぐる回りながら観察する。


DOA(到着時死亡)とわかってて死体を持ってきて、それでERが汚染されるって何の冗談かなあ…」うんざりしながら南が言う。

「困ったんでしょうね、燃えるごみの日にはちょっと捨てられませんから」きわどいジョークを西園寺も飛ばす。


「うちは死体預かりません…って看板作って外に立てときましょう」

「南先生…それ映画のネタですよね…ルナが拾ったら知りませんよ?」

「ま、これで東京消防庁には貸しを作ったかな」苦々しくも何かカードを得たような嬉しそうな顔をする南。

「またそんな…一応…診ますか?そろそろいいでしょうかね?」

「そうだね…西園寺、お前さんが見る?ベンゼン事故の患者を見たことは?」

「うーん…軽い症例ならありますけど、こんなのはちょっと珍しいですよね…」と西園寺が答える。

「こんなのしょっちゅうあったら…私もう医者辞めるわ」首をかしげたくなる南だが、防護服が重すぎる。

「ルナ、死体の汚染状況は目視で確認できるかい?」


挿絵(By みてみん)


【ツピ!警告です西園寺先生、当該部分を「遺体」と言い換えないとコンプライアンス上問題を残します 当該箇所は消去します 消去しました】


「ルナチェックー!デデーン!西園寺、アウトー!」南が茶化す。

「参ったなーもう今月3回目なんだよなあ…ひと月に5回やってしまうと」

「なんか管理に報告が行くって話だよね セリカちゃんが言ってた」

ITディレクターの原田芹香はらだ せりかは南と同い年のため、気さくにファーストネームで呼び合っている…が別に恋愛関係には無い。

「ええ…まあ…」

「まあ私はしらんけど」しれっと南が答える。

「先生……ひとごとだと思ってまったく……それでルナ、分析はどうだい?」


【ツピ!遺体の汚染濃度は空気濃度よりは高いものの、正確な汚染状況は不明です】

「まあ遠隔じゃわかんないわよね」

【しかしながら水と中和剤を使用して遺体を洗浄し続ければ、搬出しても問題ないレベルになるものと考えられます デコンタミネイションシャワーシステムの使用を推奨します】


「あー洗うやつね、本来のベンゼン事故では屋外で洗うからね」

「ここのやつを使うと汚染水は下に行きますよね、下水に流せませんよね」

「そのまま流せるわけないでしょ…医療廃棄物とも違うし…タンクに溜めるのよ ルナ、当該手順を確認されたし その通りか」


【ツピ!その通りです 当院ではレベル3以上のデコンタミネイションシャワーシステムによる汚染水は、汚染の種別や濃度により一時的に地下のタンクに保管されます】


「そのあとは…どうなるんです?」

「災害時の協定によって、自衛隊…まあここからだと練馬の(りく)さんなんだけど、そこが取りに来る」

「あとで陸上自衛隊が汲み取りに来るってことですよね?」

「…お前さん、地方大財閥の御曹司にしては汲み取りなんて知ってんだね」

「またそれですか…そのくらい知ってますよ、うちの田舎にはまだあるんですよ」

「にしても…陸自に頼むのはなんか気が進まないなあ…」

「元航空自衛隊の隊員としては気になりますか?」西園寺がニヤっと笑って南を見る。

「うるさいなあ…」


お互いいじられるポイントを殴り合っているだけなので、虚しさに苦笑する。

20kg以上あるレベルBの防護服は着ているだけで疲れるが、文字通り重い腰を上げて南はルナに指示を出す。


「ルナ、デコンシャワー起動準備進めよ 起動許可は西園寺先生が出す」

「あれ、僕じゃないと出せないんでしたっけ?」

外様(とざま)の私は出せないでしょう…NBCレベル3だよ?」

「ああ…そうでした…ルナ、パラメータ確認 まずは…界面活性剤を蒸留水に3%添加…非イオン系だね…毎分…そうだな…時間はオートにしよう」


【ツピ!了解です西園寺先生、適切にノニオン系界面活性剤を使用、まずは残留ベンゼンを乳化させます そのあとはPEG400で洗い流し、最後に次亜塩素酸ナトリウムでクリンナップします この手法でよろしいでしょうか?】


「ホントこういう計画立案はルナ早いよな…どっからデータ持ってくるんだろうね」

「今度ラシッドに聞いておきます…ルナ、このプランだと時間はどのくらいを見込んで、汚染水はどのくらい排出の見込みだい?」


【ツピ!最初の15分で毎分600リッター、次の45分で毎分300リッター、1時間と仮定した場合、合計22.5トンです】

「ええっと…ここのタンクは5トンが5個だよな……足りるけど」

「そのあとでしばらく換気すれば…ルナ、当該計画における解決予測時間を聞かせよ」


【ツピ!1時間洗浄後、フルパワーでヴェンチレーションすればおよそ12時間で検知以下になると推測されます】

「推測では不足である、確定情報を知らせよ」南が鋭くルナを詰問する。


【ツピ!失礼しました南先生、これで確定で間違いありません】

「了解したルナ、では当該計画で実施する 以後、西園寺先生の指示を待て」


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