1x01 Part 2 / 4
【ツピ!東京消防庁から入電、交差点で自動車同士の交通事故発生、怪我人は2名、当院の患者受け入れ態勢を聞いています】
受付で対話型医療支援AIのルナ(LUNA)の自動音声が聞こえる。
「あー塩ちゃんも梨沙ちゃんもいないのか…」南がつぶやく。
受付は出払っているのか、2人で回すはずのERの昼間受付にはだれもいない。
さっき罵声を上げていたモンペ中年を警備に引き渡しているのだろう。
こういう修羅場は塩谷は慣れているが、本宮はそろそろ産休に入る佐々木の代わりに来たばかりの学生バイトだ。
(ビビッてやめてもらっては困るな…)
そう思いつつ、南が発声する。
「ルナ、私だ」
【ツピ!おはようございます南先生】
「現在の職員稼働数と受け入れ可能患者数はいかほどか?」
【現在はスタッフドクター3、研修医1、看護師5、オンコールで外科医2の稼働数です したがって重症2、軽傷5の受け入れが可能です】
「了解、では当該内容でルナ自身が東京消防庁に無線で伝達されたし」
ツピ!
と了解音が鳴る。
「でもこれ現場でトリアージした数よね、ホントはどうなのかしら…」北条が受付内部のディスプレイを見上げて話す。
ディスプレイには、現在の受け入れ態勢と救急搬送の要請がリストになって出ている。
巧みに配置されていて、受付の外からはディスプレイの内容は全くわからない。
「うーん…事故の状況がわからないからね…そこはなんとも」と南が言ったそばからバーンとER入り口の観音扉が開き、ストレッチャーが入ってくる。
2名の東京消防庁の救急隊員が付き添う。
「よしまず一つ目は私が担当します、二つ目は南先生、お願い」
「えー結衣、トリアージ無しで決めるの?」
「ガラガラポンよ!あなた好きでしょ?」北条がニコッと笑う。
少々困った顔をしている南を華麗にスルーして、北条が救急隊員から申し送りを聞く。
「信号機のある交差点で出合い頭に衝突、こちらは40代女性でおそらく赤信号側、免許証では牧野と書いてあります。エアバッグは動作しましたがそのあと頭部を強打し意識不明、推定出血量は50㏄以下、現場で挿管、ヴァイタルは165の110で心拍110、グラスゴースケールは7、痛みに反応」
「赤信号…ね…」とあきれつつ北条がストレッチャー上の患者を見る。確かに挿管されてバッグされている。前頭部に裂傷はあり出血してはいるが、見る限りは大きな怪我はなさそうだ。
「よし私が引き継ぐわ。ありがとう南雲さん」
「それじゃあよろしく!北条先生乙です!」女性としては背がやや高い北条をさらに見下ろす形で颯爽と挨拶するのは、聖路都によく搬入に来る南雲だ。南雲は山本という別の救急隊員とバディなので、南は「海軍」と呼んでいる。理由は北条にはわからないが、どうせ大した理由ではないのだろう。
「まきのさーん?聞こえますかー?ここは病院ですよー…って聞こえてないわね」
ストレッチャーに寄り添いながら北条が患者に話しかけるが、やはり意識は無いようだ。
北条が一応確認のために、「外傷、どこが開いてるの?」と声を大きくして受付の方角に向けて聞く。
「いっ1号、2号、4号です!3号は西園寺先生がした…遺体処置中です!あと数分で3号は空きます!」
受付からちょっと気弱そうな女の子の声が聞こえる。本宮はバイトに入って1か月、ようやく慣れてきたようだが、明らかに死体と言いかけたのはご愛嬌だ。
「了解ーありがとう梨沙ちゃん…よし…2号に入れるわよー…サラ!2号に行きましょう!」
「はい!北条先生!」薄いラヴェンダーのヒジャーブを頭部に巻いた若い女性が外傷2号室に入り、ルナを呼び出す。
「ルナ、私です」
【ツピ!おはようございますアルサウード先生】
「えーあー、ルナ、言語切り替えます <アラビア語で話しましょうルナ> 」
【ツピ! <了解です 湾岸アラビア語モード> 】
「 <頭部を強打して意識喪失し、そのあとに挿管からバッグなので頸椎損傷も懸念されますが、まずは目視ののちに触診します> 」
【ツピ!<了解です 引き続き待機します>】
「んもー、サラ!それじゃわからないでしょう私たちが」
「はっ、はい、まずは目視で確認し、骨折の可能性を否定するために頸椎四方向の写真を撮ります」
「うん…その前に?」北条が首をかしげてアルサウードを見つめる。
「あっ、まずはチェックです!血算、生化学、血液型とクロスマッチ、アルコール検査と毒物検査、ですね!」
「頭部のCTはどうしようかサラ?」
「出血なし…瞳孔は…反射ありですから、一時的な昏倒と思われます、緊急性はそこまで高くない…です!」
北条がアルサウードにサムアップする。
「パーフェクトよサラ、赤信号で事故だからアルコールは確認すべきね、…若干酒の匂いもするし」
【 <ツピ!ポータブルX線は3階放射線科から30秒で到着可能 オーダーしますか?> 】
「あー…アラビア語わからないから…ルナ!日本語とアラビア語で状況説明お願い」
【ツピ!了解しました北条先生、<アルサウード先生>】
患者の意識が戻りつつある。それを北条が確認する。
「意識回復…自発呼吸が戻りつつあるから…抜管しても問題なさそうね…サラ、抜管行ける?」
「はい、了解です!ルナ、酸素飽和度はいくつですか?」
【ツピ!酸素飽和度は99】
「ありがとうルナ 行きます」
そしてアルサウードは引き続き流暢な日本語で患者に呼びかける。相当いい日本語教師に教わったのだろうか、かなり丁寧な日本語だ。
「まきのさん、私は医師のアルサウードです。今から呼吸を助けていた管を抜きます、いちにのさんで大きく息を吐いてください、よろしいですか?」
患者は憮然としている。私の日本語が悪いのかしら?と北条をチラ見するが、北条は首を横に軽く振ってそれを否定する。
「いち、にの、さん…」一気にチューブを引き抜く。患者は少しせき込んだがすぐに普通の呼吸に戻る。
アルサウードは妙な匂いにすぐに気が付く。
宗教的な嫌悪感はあるがあえて隠している。
でもこれは…明らかにアルコール。
「ルナ、ヴァイタルを確認してください」アルサウードが引き続きアラビア語ではなく日本語でルナを呼ぶ。
【ツピ!血圧120の90、心拍98、酸素飽和度100】
「良好です…ところでルナ、先ほどの血液検体からアルコール濃度はもう出ましたか?」
突然患者が叫び出す。
「てめえ…っ!言うな……言うなっ!!!!」
どうやら患者は自分の声で音声認識されると思ったのだろう。
ルナは、あらかじめ登録指定がある人物の声以外は一切命令を受け付けないし、反応すらしない。
ルナは女を完全に無視してレポートする。
【血中アルコール濃度は180、したがって呼気アルコール濃度は最低でも0.9と推定されます】
「…はい失格ー、警察呼びましょう ルナ、よろしくね」北条は呆れた顔をするが、予想の範囲内だったようだ。ウーバーイーツで昼食を頼むようなトーンで普通にリクエストをする。
【ツピ!警察へ通報します 容疑、酒気帯び運転の疑い 通報しました】
ルナが一瞬で処理を行う。
「…日本だと基準値の6倍…飲み過ぎというレベルではありませんね…」
「飲むのは勝手だけどね……そしてねサラ、今抜管したけど、昔は救急隊は現場で挿管もできなかったのよ」
「えっ…本当ですか北条先生?」
「ええ、法規制がガチガチでね」
「…それは救命措置ではないのではないでしょうか」
「そうね、いろいろ遅れていたの。今は緩和されて当たり前になったけど、挿管ですら反対意見もあったのよ 人間がそこで死にかけているのにね」
「< ああアッラーよ……知恵を授かったのにそれを使わない人間の愚かさをお許しください > 」
アルサウードには人間の命よりも法的規制が優先されていたことが信じられず、アッラーもそれを許さないと思ったのだろう。
「それでは…5-0のナイロンを使います、リドカイン3mlで局所麻酔…でよろしいですね?」
「オッケーよサラ、続けて」
手際よくアルサウードが「患者」の頭部裂傷を始める。この血中アルコール濃度なら局部麻酔も効かないのだろう、しきりに暴れようとするが、アルサウードは気にも留めずに縫合していく。
北条はさりげなく警察を呼んでいる。いつの間にか外傷2号室は2名の屈強な警備員により立哨されている。
そしてアルサウードは、隣の外傷1号の不穏な空気を感じ取る。
「…北条先生…なんかさっきから1号が騒がしくありませんか?」
「……ええ……あっちはハズレだったようね…」
…
北条から華麗にスルーされた南が2台目のストレッチャーに向かう、が。
強烈な違和感。
なにこれ、なんだ?
ケミカルな甘い香り…これは。
こちらは男性の救急隊員が申し送りをする。「交差点で助手席側から衝突されました、こちらは氏名不明ですが恐らく20代後半男性…」
南はもどかしくそれを遮り「佐藤ちゃん、それよりその車、なにを積んでた?わからないの?」
「いえ、ただの白ナンバーのウォーレのぺステロ…なんスけど、運転手1名です」
ウォーレは新興の電気自動車専業のメーカー、ぺステロは日本のワンボックスカー市場に投入されたクルマだが…運転手のマナーが悪いケースが多く、普通のドライバーからの評判はあまりよくない。
「違う中だよ、中に何を積んでた?液体は無かった?」
「そういえば少しエナメルみたいな…いや違うっスね…甘い匂いが………あっ!!!!」
しまったという顔をする佐藤。
もう一人の新人隊員を呼ぼうとする佐藤だったが、いつも組んでいる小林ではない。マスクと帽子を目深に被り喋らない新人だが…テンパっているのか?
「おい!そこのストレッチャー止まれ!中に入るな!」
そう叫ぶ南をよそに、ER入り口の自動扉の観音扉がバーンと開いてストレッチャーが建物内に入ってしまう。
ストレッチャーに近づいて患者を見ようとしている西園寺が見えた。
「西園寺!もう入ったそのストレッチャー、外傷1号に入れて陰圧だ!ヴェンチレーション全開!」
ほんの一瞬だけ訝しい顔をした西園寺だったが、すぐに事態を理解した。
「了解!モノは何ですか南先生!」
「揮発性有機化合物、おそらくベンゼン!」
「っ…!なんで入れちゃうんですか!」
「知らないよ!もうストレッチャー入れてやがった!」
ストレッチャーを勢い良く押し込んだ救急隊員風の男は、南が叫ぶのとほぼ同時に、閉まりかける自動ドアの隙間をすり抜けて背後の闇へ消えていく。
一瞬、南と目が合う。
大きめのマスクをしてゴーグルをしている。面が割れないようにするためだろう。
そのゴーグルの奥にはおびえ切った目…南にはそう見えたが…
「チッ…逃げ足の速い男だわ…」 追いかけたいが、今は目の前のベンゼン汚染が最優先だ。どうせルナがすべてを「記録」しているだろう。
「逃げた馬鹿野郎はどうでもいいわ、こっちを優先よ西園寺!NBCレベル3を推奨する!」
肩をすくめる仕草を見せた西園寺は、あっさりと覚悟を決めた顔をして、南に話す。
「スタッフドクターの権限でNBC危機管理レベル3で行きます、HALOの南真琴ディレクター、異存はありますか?」
「なし」あっさり答える南。
「二重管理原則の手順終了」そして西園寺はさらに続ける。
「ルナ、現時刻をもってNBCレベル3を発動し、ERを閉鎖する!時刻確認、全パラメータ記録開始」
【ツピ!ERのすべての外傷室と処置エリアを閉鎖します 現時刻11時03分 NBC危機管理レベル3で閉鎖プロトコール進行、関係機関への通達開始 東京消防庁宛、完了 警視庁宛、完了 防衛省宛、完了】
同時に、ER内にあるすべてのディスプレイには、黄色の帯に「3」と書かれた危機管理レベルが表示される。
「本宮さん!ER閉鎖だ!NBC危機管理レベル3、確認、5段階中の3、二重復唱を頼む!」
「えっ…あっ…了解です!ルナ、ER受付の本宮です、い…ERをNBCレベル3で閉鎖します!」
本宮が、カウンターテーブルの内側に貼ってあるカンペを読みながら宣言する。
初めて自分が言う緊急事態の宣言だったが、それゆえに本宮は若干テンパっている。
【ツピ!了解です本宮さん、既に西園寺先生によってER閉鎖が宣言済み 全部門オールベリファイドで閉鎖プロトコールを継続します ERはNBC危機管理レベル3で閉鎖されます 現時刻11時04分】
本宮は(なにこれどうしよう、今夜「バイト」行けるかな…)と思い戸惑う。
待合エリアのすべてのディスプレイには別途、
『ER閉鎖』
と表示される。
待合エリアにいる人間には内容はわからないが、大変な事態が進行中なのは理解できる。




