1x07 Part 3 / 4
ワン、ツー、スリー、カンカンカンカンカンカン!
『決まったぁぁぁーーッ!! まさかまさかの電光石火! 試合開始からまだ数分! 大幅な予定変更、いや、これがガチの生存本能だ! 勝ったのはレジェンド、寿界☆雲雀!
……しかし! おかしい! 雲雀が立ち上がらない! 銅鑼伊右衛門が血相を変えてリングに飛び込む!
見てください、雲雀の右目を! カカウルの下から……ああっ! いけない! これはいけない!
ドクター! 誰かドクターを! 放送席、カメラを止めてくださいッ!!』
即座にリングに上がる塩谷。
蛭子本の顔を見る。カカウルの下から右目が完全に脱臼している。
「眼球脱臼だ!紙コップとミネラルウォーターを持ってこい!急げ!清潔なハンドタオルもだ!」塩谷がレフェリーに指示を出す。
気絶からすぐに復活し、矢矧がかなり慌てている。「目が…目が!!すいません蛭子本さん!!」
「バッキャロー、俺も受け身をミスっちまったんだ、おめえのせいじゃねえ」
レフェリーが「こ、こ、これを!」とAEDを差し出す。
「馬鹿野郎!心臓じゃねえよ!目だよ目!搬送まで守るんだよ目を!」塩谷が怒鳴る。
観客が騒然としている。
『あーっと! レフェリーが慌ててAEDを持ち込んだ! しかし銅鑼伊右衛門がこれを一喝ッ! 心臓ではない!
見てください、あの悪役レスラーの顔を! 完全に仮面が剥がれ落ちている! そこにいるのは新宿の処刑人ではありません! 命と向き合うプロフェッショナルだ!
場内騒然! これはアングルなのか、現実なのか!? いや、あの震えるほどの緊迫感は本物だ!
プロレスのリングが、戸山公園ホールが、今まさに救命救急の最前線へと姿を変えようとしていますッ!!』
ふぁーまーずの能代から、紙コップと2リッターのミネラルウォーター、それにハンカチよりやや大きいタオルが塩谷に差し出される。
「どもです能代さん…よしおやっさん、応急処置しますからね、じっとしててくださいね」塩谷がミネラルウォーターをタオルにブチまけ、外れている眼球をそっとガードして紙コップでふさぐ。
「それから119番!救急だ!搬送先は聖路都を指定する!俺が電話しとく!おい!俺のスマホ!」
裏巣鴨プロレスの若手が、塩谷のスマホを差し出す。
片手で器用にメモリを呼び出し、聖路都ERを呼び出す。
『はい、聖路都…』本宮の声だ。塩谷はすぐに叫ぶ。
「本宮さん!急患!重症患者1、そちらに搬送する!右目眼球脱臼!」
「救急には連絡したのか?」塩谷がレフェリーに怒鳴る。
「も、もうしている…」
「よし…マイク貸せ、それから!古橋さん!状況を俺が言うから会場にアナウンス頼む!」
眼球脱臼は重傷だが、試合の流れはあくまでも絶やさない。それが塩谷が蛭子本から口を酸っぱくして言われてきたことだからだ。
今はそれを実践するときだ。
『おうお前ら!寿界☆雲雀は見事に勝利したが、右の目がちょっとトラブルだ!よってこれから病院に行くが…心配すんな!!!「どこへでもドア」で帰ってくるからよ!』
混乱している観客を鼓舞するように絶叫する塩谷。
怒涛のような声援が沸き起こる。
『ああーっと!! 聞きましたか、今のマイク! 凍りついた戸山公園ホールを、一瞬にして熱狂の坩堝へと引き戻したぁぁーッ!
これがプロだ! これがリングに生きる男たちの矜持だ!
悪役という仮面すらもかなぐり捨てて、銅鑼伊右衛門が、いや、一人の不器用な男が、血まみれのレジェンドの「誇り」を全力で守り抜いたぁーッ!
これは単なる医療搬送ではありません! 伝説の鳥人が、次なる神話へと飛び立つための凱旋パレードだ!
遠く新宿の街から近づいてくる救急車のサイレンすらも、今日ばかりは寿界☆雲雀を讃えるファンファーレに聞こえてくる!
祈れ! 叫べ! 網膜に焼き付けろ! これが、令和のインディープロレスが産み落とした、美しき、あまりにも美しき鎮魂歌だぁぁーーッ!!』古橋が興奮しすぎて泣いている。
…
…
バーンとERの扉が開き、ストレッチャーが入ってくる。
…のはいつもの光景だが、ストレッチャーに乗っている人物とその取り巻きが異様だ。
「66歳、男性、プロレスの試合中に頭から落下、右眼球の脱臼、血圧130の80、脈拍触診で100、出血は軽微」
「ってなんで塩谷さんが申し送りするんですか!それは私の仕事ですよもう!」救急隊員の南雲が憮然としている。
「ああ、ごめんごめん南雲さん」ニッコリ笑って南雲を見たつもりの塩谷だったが…
「ヒィッ!!ちょ…怖いです塩谷さん!!」南雲は救急隊員とはいえまだ30手前の若い女性だ。そんな女性に悪役レスラーの顔が迫ると、ある意味恐ろしい。
「んもーメイクくらい落としてきなさいよ塩ちゃん…南雲さんご苦労様、これらは預かりました」
「おいねーちゃん、これらとはなんて言い草でい?」蛭子本が憮然とした表情で北条に抗議する…が、右目には外れかかった眼球をガードしている紙コップが当てられており、布テープで乱暴に止められている。
「いやもー、みなさん怖そうな人たちですから、私たちも困惑するんですよね…あれ?でもこれいい応急処置ね塩ちゃん」紙コップを外して患部をチェックしながら、塩谷の応急処置を誉める北条。
「あざっす北条先生、それよりもこれ、おやっさん治るんですか?」
「眼球脱臼は見た目はショッキングだけどよくある症例…だけどこのような年齢の方では珍しいわね…」
「あんだと?おいねーちゃん、あんたに旦那がいるならば、あんたの旦那よりもよっぽど俺の方が堅牢だぜ?」
「んなっ…!弘はそんなワイルドな男性じゃありません!もっとスマートです!」自然にダンナラヴなムーヴをかます北条。
「あーはいはいみなさんそのへんにして、じゃあ2号に入れますよ?いいですね?」グエンがたまらず場を仕切り出す。
「いいわよランちゃん、眞山先生は今はランチ休憩?」
「はい、超遅いランチだトホホーとおっしゃって、さきほど外に行かれたばかりです 呼び出しますか?」
「んー……勉強にはなるけど……大丈夫でしょう」
「んだとおい、勉強ってのはどういうこってい?」
「わかりました、わかりましたからおやっさん、あんた目が取れかかってるんですよ、もうちょっと静かにしましょうよ」
「血算、生化学、血液型とクロスマッチ、アレルギーテストと毒物検査、それと塩ちゃん、そこに邪悪な顔で立ってるとめちゃくちゃ気が散るのよ」うんざりしながら北条が言う。
「そんなこと言われましても、今日は患者の付き添いですし…」
「んーわかったわ、じゃあ隅で見てなさい 医療行為はしちゃダメよ?」
「しませんよ…!そんな恐ろしいこと…なあランちゃん?」塩谷がたまらず準備を進めているグエンに助け舟を求める。
「レスリングの技はここでは禁止ですよ塩谷さん…」と塩対応するグエン。
グエンは塩対応しながらも確実に準備を進めていく。
眼球脱臼は、平たく言えば目玉が取れてしまうことである。しかし視神経が繋がっており切断されない以上は、完治する可能性は高い。
グエンが超音波センサーの小さなプローブを準備している。
「ルナ、超音波準備してください 右眼窩付近を超音波ですべてチェックします」
【ツピ!グエン先生了解しました アルトラソニックで右眼窩をスキャンします】
「な?なんでい今のは?」ルナの滑らかな女性の合成音声に驚く蛭子本。
「もーわかりましたから蛭子本さん、少し落ち着きましょう!ルナ、プロポフォールを80、ラインからフラッシュでお願い」
【ツピ!プロポフォール80mg、ラインより即時投与します】
「ルナ、メインディスプレイに超音波映像出してください…大体分かりましたけど、念の為」グエンがスキャンしつつルナに命令する。
【ツピ!スキャン内容を即時表示します 明度100】
「明度は50で十分です あとは私が解読します」明るすぎるよりも若干暗くて情報量が少ない方がグエンには読めるのだ。
ヴン…と8K相当の超高解像度メインディスプレイに、やや暗めに超音波の画像が表示される。
北条には正直暗すぎてよくわからない。が、グエンにはやすやすとすべてが読み取れるようだ。
「…やはり瞼が奥に引き込まれています…が、10ミリ程度ですから修復は比較的容易です、北条先生」
通常の状態で眼球はもちろん出てしまうことはない。瞼によって常に圧力をかけた状態で蓋をされているからである。
したがって眼球が脱臼してしまうと、瞼が眼窩に引き込まれてしまう。このままでは眼球は戻すことはできない。
「よし私は眼球を眼窩に戻すから、グエン先生は瞼を引っ張り出しててね、できる?」
「もちろんです、北条先生」ニッコリとグエンが自信を含んだ笑みを見せる。
グエンがグローブをはめ、滅菌ガーゼを手に取る。
【ツピ!アレルギーテストはすべてネガティブ】
「じゃあ通常の滅菌ガーゼでいきますね 鉗子よりも指の方が簡単です」恐ろしいことをグエンがあっさりと言う。
「あーわたしも目に鉗子当てるのは怖いわ」北条も同意している。
「俺もこええんだよ、つーかそんなので目ん玉入るのかよ?」プロポフォールでやや落ち着いているが、蛭子本も減らず口はそのままだ。
「入ります 心配しないでご老体…北条先生、1%キシロカインを20mlでいいですよね?」既にシリンジにセットしているグエン。
「いいわよ、やっちゃって そろそろ事故から30分だから、早めにいきましょう まだ全然間に合う」
「了解です」
「ご老体とか、ずいぶん難しい言葉しってんじゃねえか?わかいねーちゃん?」
「ええ、ベトナムに…私の祖父が存命ですから、まずはその辺の日本語から勉強しました」
「おやっさん…ここのドクターは世界一ですから、もうしゃべらないでおとなしくしましょう」塩谷がたまらず口を出す。
「あら塩ちゃん、嬉しいこと言ってくれるわね?」北条がニヤッと笑う。
「世界一という言葉は、直視できないほど眩しいですね…」グエンも悪い気はしないようだ。
…
…
「…「バーカ」だって、ひどい」莉愛が暗い顔をしてスマホを見つめる。
「まあそりゃそうよね…これからラブホで一発ヤれると思ったらドタキャンだからねー」ひとごとのようにあっさり由依が言う。
新宿が勤務先ということなので、その北にある戸山公園を指定したのちに、すぐに「都合が悪くなったからごめんなさい!」とドタキャンさせるというのは、男を誘き寄せるために由依が考え出したプランだ。
「ちょ…由依…あんた一発ヤるとか、マジで下品よ?」
「おほほのほー 真実をあばくためにはいくらでも悪女になりましてよー」手を垂直に向けて口の横に付ける由依。
「…でもさ、付き合ってるカノジョにバーカとかメッセするのは、ちょっとひどいと思わない?」
「…そうだよね…なんかふっと冷たくなることがあるんだよね…」
「それだけで怪しいとは言い難いんだけど、でもひどいね」
「そうだね…由依はカレシはいないんだよね」
「いないね、というより秘密」
「なにそれイミフなんだけど」
戸山公園の外れにあるファストフード店に待ち合わせ場所に来ていた男。
それを通りの反対側の陰から由依と莉愛が監視している。
なにやらスマホをいじっているようだ。
「ドタキャンされてて帰らないってのはなんだろね」由依がつぶやく。
「そうだねーワトソン君」サラッと返す莉愛。
「え”?私が助手なの?つーかワト「ス」ンって言えってうちのおじさんがイラッとしてた」
「あーシャーロキアンかあ…やっかいなおじさんだね 超絶カッコいいのにね」
「超絶カッコいいかあー?莉愛大丈夫あんた?」
「何言ってんのよ由依、授業参観の時に騒然となったのをあんた知らないの?」
「知らん」
男がスマホをいじっている最中に女が男に近づく。普通の主婦っぽいが、少し様相が違う。
年齢は20代後半だろうか、それにしては派手目な服を着ている。
何やら親しげに話をしている。そして二人で店を出て歩き始める。
「…は?何あの女?」莉愛が憮然としている。
何でそんな短時間で女がやってくるのかも不思議だったが、雰囲気がもう普通のカップルにしか見えないのが不思議だった。
なんかフォローを入れなくては…と思いつつも、由依も言葉が見つからない。
とりあえず二人して距離を取り、男女を尾行する。
歌舞伎町の北のはずれまで歩く。数分の近い距離だ。
そして自然と親し気にラブホに入っていく。
「…はい、ビンゴでした どうする莉愛?」自分の予測が当たったとは言え、こうもテンプレ的なものを見せられるとは由依も思っていなかった。さぞかし莉愛は悲しいだろうな……と思い、思わず自分の手を莉愛の肩に乗せる。
「よし、ブロックするわ」あっさりと言う莉愛。
「…は?それだけでいいの?」由依がかなり驚いている。
「なんか、怪しいとは思ってたからね、でもこれでスッキリしたよ」スマホをすごいスピードで操作している莉愛。
「ハヤシヤスヒコ」というユーザ名をブロックしている。
連絡で使っていたSNSは、自分がブロックしたら自動的に相手のリストからも削除されるようになっている。表向きは。
「でもさ、そんな好き勝手にさせてたのに、そんな簡単でいいの?それに中出しまでさせててさ」由依が尋ねる。
「あー、それはもういいや別に いいトレーニングになったということにしとくわ それに…」
「それに?」
「サカガミで買ったアフターピル飲んでた」
「……オトナかよ……ま、まあ、ああいう男ならさ、いつかは二股がバレて酷い目に遭うんじゃないかな」
「それを私は期待しているのだよワトソン君」
「いや、ワトスンだってば」
…
…
「あーなんかだんだんわけわかんなくなってきちまったぜ…これが麻酔ってやつかい?ねーちゃん?」蛭子本に投与したプロポフォールと眼窩の下に打ったリドカインが効いてきたのか、だんだんと呂律が回らなくなってきている。
「…ねーちゃんって私かしら?グエン先生かな?」
「私はねーちゃんと言われる歳では…あっいえ、別に変な意味では」少し顔を赤くして、慌てて撤回しようとするグエン。グエンは28歳だが、北条は40歳と干支一周分違う。ベトナムにも干支の概念がある。
「…まあそれはランちゃんもわかるわよそのうち……それよりそろそろ着手しようかな?」
「…そうだよこの感覚、<メキシコ行ってた時にガンガン呑んだ時の感覚にそっくりだぜ 空気も薄くてなあ…>」
「…は?これどこ語、ルナ?」北条は優秀なERドクターではあるが、外国語は英語すらも結構怪しい。
【ツピ!スペイン語ですがいわゆるメヒカニスモスです】
スペインよりもメキシコのほうが人口ははるかに多い。つまり一番使われているスペイン語はメキシコなのだ。
「あー、おやっさん若い時にメキシコで修行してたって言ってました」ちまちまと銅鑼伊右衛門のメイクを落としながら、塩谷が答える。
「そうよ、こいつはアタシと一緒にメキシコ行ったこともあってなあ!」
バーンと外傷2号の扉が開き、屈強そうな老女が入ってくる。勅使河原院長だ。
「え…院長先生、どうしてここに?」北条が流石にビックリしている。
「あ、勅使河原先生、お疲れ様です」軽く笑顔で会釈するグエン。
「おうグエン、元気そうで何よりだな!じい様の膝は良くなったか?」
「ふふっ…おかげさまで、今はピンピンしていますよ」真面目なグエンがふっと柔らかい笑顔に戻る。
しかし蛭子本は柔らかいどころではないようだ。
「…なんだ…おいお前、テッシィのババァじゃねえか…なんで…てめえこんなところに」
「ああーん?お前知らないのかい?ここはア・タ・シの病院なんだよ!」
「…やべえ…厄日…だ…ぜ…」
「なんかお前が下手打って目玉が飛び出てるって聞いてよ、笑いに来てやったぜ…って寝ちまったか…おい北条、どんくらい入れた?」
「プロポフォールを80なんですけど、意外と効きましたね…じゃあ始めます院長先生」
「おう、アタシは見学させてもらうぜ北条、グエンと一緒に好きなようにやんな…アタシは…」
ガシッと蛭子本の頭を押さえる。最高のホールドだ。
「…あれはもしやラ・ボンバ・テッシィ…!伝説の女子プロレスラー!そしてアマレス界最強の塩谷さん…この病院は…いったいどうなっているんだ…」阿賀野が2号の扉の外に立って中を伺っている。矢矧は泣きそうな顔で中を見ている。そのほかの裏巣鴨プロレスの若手も、ふぁーまーず♡ぷろれすの能代や酒匂も見ている。
「私が聞きたいです…この一角はいったいどうなっているのよと……」それを受付から本宮が見ながらつぶやいている。異様な光景だ。




