1x07 Part 2 / 4
1時間ほど前。
新宿区戸山公園ホール。
戸山公園は明治通りにまたがって2つの地区に分かれており、西側が大久保地区、東側が箱根山地区となっている。
戸山公園ホールは長い歴史を誇る体育館で、箱根山地区の外れに位置している。
格闘技の聖地とされており、数々の名勝負が繰り広げられてきた。
この時代は大きなプロレスリング団体が少なくなり、逆に中小規模の数多くのプロレス団体が活動するようになっている。
今日は聖路都国際病院ERの受付、塩谷がアマチュアレスラーとして在籍している「裏巣鴨プロレス」と、農業従事者をメインとした一風変わった団体「ふぁーまーず♡ぷろれす」の交流戦が行われているのだ。
塩谷伊右衛門ことリングネーム「銅鑼伊右衛門」は、メインイヴェントのタッグマッチに登場する。
その一つ前の試合では、裏巣鴨プロレスとふぁーまーずの若手同士のタッグマッチが行われている。
『おおーっと!今度はハーヴェスター能代、華麗なアームホイップで反撃だあー!』
プロレス実況からF1実況、そして報道キャスターになったのちに引退した古橋次郎がリングアナを担当している。
もういい加減いい歳なのだが、ほとんどボランティア感覚で今回はリングサイドで往年の「古橋節」を披露している。
『そしてバックホウ酒匂にタッチ……おぉーっと!いきなりバックホウが大技だあー!回す、回す、回す!グルグル回すぅ!』
『大地と格闘して得たこのパワー!恐るべきはふぁーまーずのパワー!蹂躙、まさに蹂躙であります!』
「かっはぁー!やっぱふぁーまーずの奴らパワーで押してきやがるぜ……」リングコスチュームをバッチリ決めている蛭子本がやきもきしている。
「まあ、あいつら農業でめちゃくちゃ鍛えてますからね…パワーの乗せ方が全然違いますぜ…おやっさん…」こちらは悪役レスラーのメイクを決めた塩谷が控室のテレビを見ながら言っている。
結局、ここまでの3試合はすべてふぁーまーずが蹂躙している。交流戦とはいえ、全カードで敗北することは避けたいと蛭子本は考えている。
蛭子本は「寿界☆雲雀」としてリングに立ち40年、今は還暦を優に超えた老体だ。
とはいえ、かつてはスピード系レスラーとして名を馳せ、メキシコの英雄「ミリョン・マスカラス」との空中戦の末に勝利した試合は名勝負の一つとして語り継がれている。
今日は屈指のパワーレスラーで悪役の銅鑼伊右衛門とタッグを組み、「レジェンド・リターンズ」と銘打ったメインイヴェントを飾るのだ。
「おやっさん、あんま身体動かないんですから…受け身の時には特に気を付けてくださいね、とくに矢矧はすごく組みにくいです」
矢矧…つまりパティシネ矢矧はパワーレスラー系が揃ったふぁーまーずの中では異色のスピード系レスラーだ。なんでも、本職は洋菓子店を経営している…そうだ。パティシ「エ」ではない。パティ「死ね」だ。
「うるせえぞ塩谷…それよか、天井の照明が不均一なのが気にならねえか?」蛭子本が天井を指差して言う。
確かに照明の数個が新型のLED照明に替えられており、古い照明と並ぶと気にはなるかもしれない。
「…そうっすね、そこはいつも通り照明は直視しない…ということで行きましょう」
「そうだな…どうも老眼が進んじまっていけねえや…まぶしいのもかなわねえ」
「最初は恐らく阿賀野がきますから、僕とのパワー勝負です…そのあとが…」
阿賀野…つまりコンバイン阿賀野は塩谷同様パワーレスラーだ。
観客はもちろん蛭子本の年齢を感じさせない空中戦を見に来ているが、銅鑼伊右衛門とコンバイン阿賀野の質量のぶつかり合いも楽しみにしている。
「まあ気を付けちゃいるけどよ…それにしてもあの矢矧の「ふれんちくるーらー」だっけか?あれはヤバいな、今回は「アングル」は一切なしだもんな」
アングルなし、つまり台本は一切存在しないというガチ勝負のタッグマッチだ。塩谷は最初はアングルなしには反対だったが、「悪役のてめえがアングル推奨とはどういうことなんでい?」と蛭子本に一喝されて押し切られてしまった。
…
『さあー最後は本日のメインイヴェント、レジェンド・リターンズ!60分1本勝負のタッグマッチであります!まずは赤コーナーから…おおーっと!またしても上井草あたりから抗議が来そうな入場曲だあー!』
80年代中盤にヒットしたロボットアニメのオープニング曲だ。チョッパーベースの効いたイントロの曲に合わせ、コンバイン阿賀野が入場してくる。
『……聴け! このイントロを聴け! 今、戸山公園に越後の風が吹いている!水田のオーラが、今、新宿のロードを開いたぁぁ! コンバイン阿賀野、入場オッ!!』
とてつもないバルクを持った大男がクールな顔をして入場してくる。コンバイン阿賀野だ。
『そしてご覧ください、この軽やかなステップ! かつて日曜朝のテレビ画面を彩った、あのキラキラしたパティシエ戦士たちを彷彿とさせる……いや、違う! これはアニマルではありません! 洋菓子店の皮を被った殺人鬼だぁぁーっ!大泉からの刺客、いや、大泉への刺客であります!』
細マッチョのパティシネ矢矧が入場してくる。ものすごい筋肉だ。
そして青コーナーからレジェンドが入場してくる。
いつもの通り、昭和から平成を彩ったあの曲が流れてくる。
『このイントロ、このメロディ! 20世紀の子供たちが、そして21世紀の大人たちが、遺伝子レベルで記憶しているあの旋律だぁーっ!
しかし、「どこにでもあるドア」などありません! 頭にタケトンボはついてはおりますがしかし! あるのは一ツ橋の巨壁をも穿つ、銅鑼伊右衛門の鋼鉄の拳だけだぁぁ!!』
「あれ」を間違いなくインスパイヤしたリングコスチュームに身を包み、塩谷が病院内にいるときとはまるで正反対の邪悪な顔をしてリングに上がる。
そして、
「バカヤロー!一ツ橋から怒られとけや!」
「ポケットつけて凶器ださんかいオラァ!」
「メガネのガキはどうしたメガネは!」
「耳かじられとけやボケェ!」
罵詈雑言である。
つまり、塩谷伊右衛門こと銅鑼伊右衛門は大人気の悪役レスラーなのである。
『さあ、最後はこの男だ! 誰が呼んだか新宿のイカロス! 還暦を過ぎてもなお、その翼に衰えなど見えないッ!かつてメキシコの空を舞った「千の顔」と渡り合い、伝説を刻んだあの空中戦法が、今、令和の戸山公園に蘇る!必殺、スカイレイダーは炸裂するか! 永遠のレジェンド、寿界☆雲雀ゥゥゥ、入場ッ!!』
顔を半分だけ隠したカカウルを被り、しなやかにバク転を繰り返しながらリングサイドまで近づき、最後は高くジャンプして青コーナーのポストにシュタっと立ち腕を組む。
蛭子本力也こと寿界☆雲雀である。
『おおーっと! 見よこの華麗なる滞空時間! 重力という名の絶対法則すら、この男の前では忖度するのか! メキシコの熱風を新宿に運ぶ、まさに生きた鳥人伝説! 還暦? 老体? 冗談ではありません! その背中には確かに翼が見える! 戸山公園のキャンバスに舞い降りた、永遠のスカイ・ラァァーック!!』
場内の興奮は最高潮に達し、うなりのような声援が場内を包み込んでいく。
銅鑼伊右衛門の入場時には一つもなかった推しうちわやサイリウムが乱舞している。
リングの中央で4名のレスラー。そして比較的若そうなレフェリーがひとり。
「控えの選手はアー必ずコーナーのタッチロープを掴んでリング外で待つことオー、そして私がタッチの成立を確認するまでリングにはアー…」
とレフェリーが試合の注意について話す。
が、突然銅鑼伊右衛門がレフェリーの話の途中にマイクを奪い、
『聞き流し耳ィー!』
と絶叫し、矢矧の頭をヘッドロックする。
「…ちょ、ちょっマジですか塩谷さん、こんなのは」と呻きながら矢矧が話しかけるが…
「むん!!」と銅鑼伊右衛門が矢矧をロープに投げる。
細マッチョとはいえ180センチ以上ある矢矧が軽々とロープに投げられていく。
『ああーっと! 聞いたか、見たか、今この耳で! レフェリーの厳格なるルール説明を、文字通り「聞き流し耳」で完全シャットアウトだぁぁ! 22世紀のテクノロジーを精神的拒絶に使うという、あまりにも非道なマインド・ブロック! そして180センチのパティシネ矢矧が、まるで無重力空間に放り出されたかのように宙を舞う! これはもはやスイーツ作りではありません! 生地ではなく人間をこね回す、怒りの乱れ打ちでありますッ!』
「(おやっさんがけがしないようにするには、ここで矢矧をある程度痛めつけとかないと…!)」
軽めのラリアットで削っとこうと思った銅鑼伊右衛門だったが、しかし矢矧もロープから戻ってくる途中に華麗にサイドステップし、銅鑼伊右衛門のラリアットを寸前でかわす。
「…ちっ…塩谷さん…マジですか…じゃあ毒入りシュークリームでもお見舞いしますね?」不気味に笑いながらリングサイドに避けていく。若干キレているのかもしれない。
「えっ、あっ、名前で言うのはやめろ、俺は銅鑼伊えm」
「ハイパアアアアアアア!!!」
コンバイン阿賀野が両腕を使い、掌底を銅鑼伊右衛門に叩きつける。
重量級相撲力士の立ち合いのようなズシン、という鈍い音が響く。
『出たぁぁーっ! 阿賀野の脱穀掌底ッ!! まるでコンバインの刈取刃が唸りを上げたかのような衝撃音! 銅鑼伊右衛門、未来のあやしいひみつ道具も出す暇がない! 越後の大地を耕起したその掌が、処刑人の肉体を文字通り脱穀しようとしているのかぁぁーっ!!』
一瞬ひるんだ銅鑼伊右衛門だが、コンクリ壁でも穿つのではないかという阿賀野の掌底をものともしない。
「効かねえんだよ阿賀野ァー!『ヒラリマントオーァ!』」
絶妙にオリジナルから名前を変えて銅鑼伊右衛門が叫ぶ。
もうめちゃくちゃなのだが、おざなりにゴングが鳴る。
『効いていない! コンクリすら粉砕するはずの阿賀野の脱穀掌底が、全く効いていなーい! 出たぞヒラリマントォォーッ! 法務部アウト確定のネーミングセンスで、ダメージをゼロに変換だぁ! そして今、戸山公園ホールのゴングが、コンプライアンスの終焉を告げるかのように打ち鳴らされたぁーっ!!』
「フン!!!!!」
銅鑼伊右衛門と阿賀野がリングの中央で両手を組み対峙する。控えめに言って暑苦しい。
「(塩谷さん、じゃあ俺からいくっすね)」
「(おう、やってくれ阿賀野さん)」
技をかけあう時には危険が伴うため、ある程度の申し合わせはする。
台本といえばそれまでなのだが、命まで賭す必要はない。
塩谷には聖路都ERの仕事が待っている。
阿賀野には豊かな水田が待っている。
阿賀野が華麗な足技で銅鑼伊右衛門のガードを崩す。
刹那、相撲の張り手のような掌底を高速で繰り出す。
すべてを刈り取る小技だが、地味に効く。
『おおーっと、ここでコンバイン阿賀野、重機らしからぬ繊細な足回りでガードを崩す! そしてすかさず顔面への高速回転張り手だ! まさに秋の収穫祭! いなほを刈り取るかのように、伊右衛門の顔面を刈り取っていく! 地味だが効く! 農作業で鍛え抜かれた無酸素運動の極致が、伊右衛門のスタミナを確実に奪っていくゥ!』
…と見せかけて、ブレーンバスターの一種、耕起蹂躙に入ろうとする阿賀野。たまらず銅鑼伊右衛門がガードに入る。
あの巨体からのブレーンバスターをくらうと、冗談じゃないくらいに削られる。
この辺はアングルでも何でもない、ガチの勝負だ。
そして逆に銅鑼伊右衛門が阿賀野の足を掴む。しめた、チャンス到来!
そう思った銅鑼伊右衛門は、阿賀野の両足を引きずり倒す。
『そーらをじゆうにーとーびたーいなぁー!!』
銅鑼伊右衛門が叫びながら、阿賀野の巨体を回し始める。
『回す! 回す! 銅鑼伊右衛門が回す! そして……なんということだ、歌い始めたァーッ! 誰もが知るあの国民的名曲を、まさか対戦相手を遠心分離機にかけながら歌い上げるとは! 著作権管理団体も青ざめる、あまりにも不謹慎なリサイタルが始まってしまったぁーっ!』
うるせーぞてめえ!
すっこめこの野郎!
訴えられろヴォゲ!
罵声が場内を包むが、銅鑼伊右衛門はお構いなしだ。
『ハイ!ダゲゴブダァー!!!!』
美しい放物線を描き、とんでもない勢いで飛ばされる阿賀野。
『タケコプターならぬ、ダゲゴブダァーッ!! 言い逃れのための濁音が悲しく響き渡る! そしてコンバイン阿賀野の巨体が、文字通り新宿の空を飛んだぁぁーっ!! 夢と希望の詰まったひみつ道具が、今、完全なる大量破壊兵器として戸山公園の宙を裂くゥゥーッ!!』
リング上でかなり飛ばされ、それなりのダメージを負った阿賀野。たまらずコーナーサイドのパティシネ矢矧にタッチする。
銅鑼伊右衛門もそれを見て素早く寿界☆雲雀にタッチする。
重量級のぶつかり合いは終わり、技のスピードで魅せる争いにステージが移る。
…が、やはり矢矧の高速ステップから繰り出される技に翻弄され、寿界☆雲雀がやや不利だ。
「フ…やはりレジェンドとはいえ…寄る年波には勝てませんねえ…ではここで」
若干キザな言い方でパティシネがつぶやくと、寿界☆雲雀の右腕を絡め取る姿勢に持っていく。
「まずい…ふれんちくるーらーが来る…!」銅鑼伊右衛門が両手でマットを叩きながらわめく。
『ああーっと! ここで出たぁ! 大泉の洋菓子店から直送された死のレシピ! パティシネ矢矧の必殺、「ふれんちくるーらー」の体勢だぁ!
まるで生地をねじり上げるかのように雲雀の右腕をからめとる! レジェンドの古傷に、甘くて重い悲鳴がこだまするのかぁーッ!』
パティシネ矢矧の必殺技「ふれんちくるーらー」はコブラツイストの亜種だ。腕を絡めたままロープを登り、一瞬のうちにパイルドライバーのようにマットに叩きつける技だ。比較的軽量級の矢矧としては最大級の質量技である。
腕で半分からめたまま、矢矧がロープ最上段まで寿界☆雲雀を引きずり上げる。
「(…じゃいきますよ蛭子本さん、受けをよろしくお願いします)」
「(おう、かかってこいや矢矧)」
ロープから離れ、フッと上を見る矢矧。
受け身の距離を測るため、こちらもフッと上を見る寿界☆雲雀。
両者の目に、光軸のずれていた新しい方のLEDがまともに光のビームを浴びせる。
「!」
「!!」
落下ポイントを見誤る両者。
ズシィンと重い音がする。
銅鑼伊右衛門はすぐに、これが通常のふれんちくるーらーではないことを悟る。
『落ちたぁーっ! しかし音が違う! 角度がおかしい! 華麗なるスイーツの落下とは程遠い、まるで生肉がコンクリートに叩きつけられたような不協和音! 戸山公園のキャンバスが、今、不吉に揺れたぁーッ!』
激しい前頭部の衝撃に耐え、寿界☆雲雀が起き上がろうとする…が、なにかおかしい。右目がぼやけている。
「!?おやっさん!右目!右目!!」
塩谷の声に我に返ると、蛭子本は自分の右目が外れかかっているように自覚した。視界も右だけぼやけている。
「…!あ!す、すいまs」矢矧が思わず謝ろうとするが、アドレナリンが過剰に出ている寿界☆雲雀が激高した。
「ゴルァアアアアアアアア!!巻くぞオラアアアアアア!」マスクの余白で右目をカバーしつつ、アイアンクローで矢矧の額を捉える寿界☆雲雀。
そして片手で矢矧をロープに投げた刹那、自分もダッシュして矢矧を追い越しロープに向かう。
その反動でさらに加速され、逆のロープ際に跳ね飛ばされるように駆ける。
「フッ!」
リング中央で華麗に小ジャンプし、最上段のロープに両足で蹴りを入れ、その反動を使い上空高く舞い上がりツイストする。右手をエルボーのように構え、左手を添える。
『……しかし動く! 動いている! おかしい、あんな角度で落ちたのに! いや、何かがおかしい! カカウルの上から右目を押さえたまま、まるで痛みを燃料に変換するかのようにロープを蹴ったぁーッ!
飛んだ! 視界不良の絶対絶命から、怒りの翼が新宿の空を切り裂く! 迎撃態勢ゼロの矢矧へ向かって、伝説の重爆撃機が急降下だぁぁーッ!』
通常の数倍の破壊力になったエルボードロップが空中から矢矧のボディに直撃する。
スカイレイダーの炸裂である。
急に時間を巻かれた矢矧は何が何だかわからないまま、数々の名レスラーをマットに沈めてきたスカイレイダーをまともにくらう。
「。」
一撃でマットに沈む矢矧。フォールに入る寿界☆雲雀。




