1x07 Part 1 / 4
豊島区東長崎。
2DKの賃貸マンションが眞山の住まいだ。
もっとも、表札には「眞山」と「諸橋」と書かれている。
7年前、家庭環境に問題があった姪の由依を引き取って育てている。諸橋は由依のファミリーネームだ。
「ナオキおじさーん、こないだカルディーで買ったマヨの瓶のやつってどこに置いたー?見つからないんだけどー?」キッチンで朝食を準備している由依がリビングにいる眞山に聞いている。
「…あーすまん、上の棚だった」ボーッと出勤準備を整えながら眞山が答える。
「んもー、私の届かないところじゃん…仕方ねえなあー進撃の巨人先生かあー?」由依がぼやきながら椅子を器用に足で引き寄せる。
「よっ……と……」その椅子の上に立って棚の上に手を伸ばす。
「…おい危ないぞ、俺が取ってや…」眞山はわが目を疑う。
スカートの裾から薄いピンクのパンツがチラチラ…ではない、モロに見えている。
「っておい…由依…」呆れた顔で眞山がつぶやく。
「ん?何よ?」
「お前さ…見えるぞそれ」
「見えるって何が?」
「下着だよ下着!おまえそれさすがにダメすぎだろ!」
「えー大丈夫だよ、スパッツ履いてるもん」椅子の上からドヤ顔して眞山を見下ろす。ドヤ顔しているが…モロ見えだ。
「いや………履いてないぞ……」
「…え…は?……げっ」慌ててスカートの裾を隠す由依。
「見たな?」
「いや見えるだろ……」
「うぅ…なんてこったい…」椅子から降りながら顔を赤くしながら由依がプレートを持ってくる。
焼いた食パン、少量のサラダ、ベーコンエッグ、コーヒー。
見かけによらず由依は一通りの家事は余裕でこなせる。このくらいのメニューなら文字通り朝飯前だ。
「くぅー…タダで見せてしまったぜ…」
「タダとは何だタダとは…カネ貰っても見せんじゃないぞ?」
「あたりまえだのくらっかー」
「なんだそれ」
「莉愛から教えてもらった昭和のオヤジギャグ」
「あーあの子か…仁見莉愛ちゃん…だっけか ボキャブラリー多いなあの子」
「おじさんオヤジだから知ってるよね?」かなり失礼なことをさらっと由依が言う。もう眞山は怒る気にもなれない。
「さすがに俺は平成なんだが…つーかお前さあ…ガード緩いとヤバいぞいろいろ」
「チカンとか?ああ、こないだもやっつけたよ 電車の中でおっぱい触ってきたから、指を反対側にひねった」ことなげもなく言う由依。
「はあ??それはやりすぎ……いや、いい、もっとやれ 解剖学的に効率的な指の折り方を教えてやる、人体の指は簡単に折れるんだ」
「まーたそういう過激な事をいっちゃダメだよナオキー」
「呼び捨てすんな」半分の年齢しかない由依に呼び捨てされてイラっとする眞山。
「はい、いただきまーす」手を合わせて食べ始める由依。
「俺の話を聞けよ!」
「あ、そういえば再来週三者面談があるんだ、おじさんシフト知らせといて?」
「ん?風景画のカレンダーのマスに書いてるぞ?」
「かーいーてーなーいーぞー?」フォークを目の前にかざしながら由依が問い詰める。
「えっ…あっ、重ね重ねすまん…」
「ったくもー、おじさんホントに病院で評価高いの?信じらんないんだけど!」
由依がマヨネーズを少しだけサラダにかけている。由依はサラダだけ最後に食べるので、もう食べ終わりが近いと言う事だ。信じられないのはその食べるスピードの速さだな…と眞山は思うが黙っている。
「まあ、とりあえず今週中に言ってもらえれば、部長に話して休みにしてもらうから」
「北条せんせーよね しごできで面白くって美人よねー」
「上司だから一度もそんな目で見たことは無いな…そういえば」
北条も「結衣」である。だから眞山は割と複雑な心境だ。
「…ねえ、さっき私のパンツ見たので罰として教えて欲しいんだけど」
「罰とは何だよ……何を教えて欲しいんだ?」眞山がコーヒーをすする。
「女の患者さんのおっぱいとか治療中に見て興奮するの?」
「…ブホッ!するわけねーだろ!アホか!!」眞山がコーヒーを吹きかける。
「んーやっぱそうか」
「そういう質問って医者になったら必ずされるんだよな…なんでだろうな」
「さあーなんでだろうねーナオキ君」
「…多分、治療中はもう目いっぱいだから、そういう余力が無いんだろうなと思うぜ」
「見ないってこと?」
「見えない…って感じだな…ってかなんだこの尋問 なんで俺こんな尋問朝から受けてるの?」
「うむ!ご苦労だった!それでは私を学校に送っていくのだ!ほら、とっとと準備する!」
「…トホホ」
由依の高校は自宅のある東長崎から聖路都国際病院の途中にある。眞山のシフトが合う時には朝は送っていくのが暗黙の了解になっている。
フォード・マスタングS550の5リッターV8コヨーテエンジンがデロデロデロ…とアイドリングしている。
「うむ!じゃあやってくれナオキ君!」ニコニコしながら運転席の眞山に指令している。
「へいへい…いきますよお嬢様」
「くるしゅうない、おもてをあげい」
「…なんか違うなそれは」
マンションの地下駐車場から赤いマスタングがデロデロと動き始める。
…
…
「で、今日は外傷3号が使えない…ということでいいのよね?」北条がやや不満そうに受付で確認する。
「そうですね…シヴァームの2本目の予算がようやく通ったのはいいのですけど…」自分が怒られているわけではないが、本宮が恐縮して答えている。
「本来はこういうものは夜間に増設すべきなんでしょうけど……ここは夜も関係ないですからねえ…ごめんなさいね、北条先生」ITディレクターの原田が直々に説明に来ている。
「確かにシヴァームが外傷4号の1機だけだと、メンテナンスもありますしね…ずっとメンテなしですもんね?」機械には少しうるさいグエンも受付で話を聞いている。
シヴァームは先端がモジュール方式で自動交換できる超軽量ロボットアームだ。
テストという事で4つある聖路都ERの外傷室の中で、4号だけに装備されている。
「戦果」は絶大で、内外の医療雑誌が取材に来るほどの能力を発揮している。しかし機械はメンテナンスが無いと正しくその性能は発揮できない。外傷4号のシヴァームはそろそろ徹底的なメンテナンスが必要だった。また、
「これまでの運用実績をもとに、3号に入れるものは少しバージョンが上がります」原田が上機嫌に言っている。
「うん…それはわかるんですけど原田さん、どうしたんですか?なんかめちゃくちゃテンション上がってないですか?」グエンが不思議そうに尋ねる。
「そりゃあもう!これをシヴァームではなく「ハラダーム」に改名しよう!という動きを阻止したばかりですから!」フフンと鼻を鳴らす原田。
「ハラダームって…カッコ良かったのに…芹香さん…」本宮がとても残念そうに言う。
「いやあーー!やめてええ!!」
シヴァームはSHIVAとARMを掛け合わせたネーミングで、アームが自由自在に動くことからインドのシヴァ神(Siva)を想像でき、そのアームという事でシヴァームと名付けられた。シヴァームはルナと同じインドのカンバルゴドゥ・インダストリー製だ。
「普通にシヴァームでもいいじゃない…それをなぜHARADARMにしなくてはならないの…ウケ狙いですか…」原田は遠い目をしている。
「具体的には…どこがバージョンアップされるんですか?」目の中に星が散っているかのように、グエンがワクワクしている。
「ラン先生には残念かもだけど、バックボーンが強化されるだけなのよ」少し残念そうに原田が答える。しかし、
「いえ!もっとレスポンスが上がるという事ですよね?むしろそちらの方が歓迎です!」
「そうなの 将来的に衛星回線などで遠隔でルナを利用できるように…」
「APIを改良するのですね?トレビアン…」目の中の星がさらに輝きを増すグエン。
「今でもネット経由で使えなくはないけど……サブスクにして売れる可能性を探れって院長がね」
原田が少し呆れたように言うが、実際はシステムのスピンオフで利益を確保する…というのは悪いアイディアではない。遠隔地・過疎地域の医療は常に問題となっているが、それを高速ネット回線を介した遠隔治療やロボットという案はずっと研究されている。
「すると…ベトナムでもルナが使えるようになるわけですね?ベトナム語で!」
「いいわねそれ…海外に売れるとなると…」
「儲かりますね…私たちのサラリーも上がると嬉しいですね」フッと鼻で笑っている北条だが、そこまで嫌味な感じではない。
「あっそうだ、北条先生、さっき見た骨折の患者ですが…ちょっと相談したいことがあるので…いいですか?」グエンが症例の確認の意見を北条に聞き始める…が、ここは患者のプライヴァシーに関する事なのだろう、受付エリアから離れてカーテンエリアに動く。
「うん、いいわよランちゃん あれよね…あれちょっと見えないと思うんだけど、基本的には…」と北条も話しながらグエンと一緒に受付を離れる。
受付に本宮と原田だけが残る。
「…」どうしよう、話したいけど会話が見つからないわ…と原田が悩んでいる。
「…」どうしよう、せっかくだからお話ししたいんだけど…と本宮も悩んでいる。
『あっ、あの』二人が同時に発声する。
「ど、どうぞ、梨沙ちゃん」
「…せ、芹香さんはご結婚されてないんですよね?」一見地雷にも思える本宮の質問だったが…
「そうなのよ、あまり興味がなくてね…最近はいいわよ、この歳で結婚してなくてもあまり口うるさく言われないし」少し気軽な感じで原田が喋り出す。
原田はレズビアンだという事を、この病院の誰にもカミングアウトしていない。ただ一人、南を除いては、だ。
南と原田は生年月日まで同じで、お互い気も合うので気軽に話をし、お互いがカミングアウトをしている。しかし恋愛感情は皆無で、もちろん性的関係でもない。
職場で秘密を打ち明けられる存在…というところだろうか。
お互いプロフェッショナルなので、職場で恋愛ごと、特に同性間となるといろいろややこしくなるのは目に見えているからだ。
だが原田は間違いなく本宮に興味をひかれている。本宮が大学生のアルバイトだからだろうか。その割には本宮はそつなく受付業務をこなしている。
「そ、そうなんですか…」(そんな昔のことはわからないよ…もうすぐ同性婚もできるようになるけど…)と本宮は考えている。
「昔はひどかったらしいからね 結婚しないと…男性ならゲイじゃないのか?とか真顔で言われてた時代もあったそうよ」
「今は良くなった…のでしょうか…」
「良くなったと…思いたいわね…」
ここよ。
と原田がひらめく。
「梨沙ちゃんはカレシさんとかはいないのかな?」(私の感覚は正しいはず、ここは漢?らしく直球勝負で!)と剛速球を原田が投げてくる。
「えっ、いや、あー今はいないです」(こ、これはコナをかけられている!)と本宮も直感する。
「そうなんだー…梨沙ちゃんカワイイのにねー」(い、いかん、これはおばさんムーヴだったか…!)スーパーコンピュータ並みに頭の中で計算が展開されている原田。しかし出力結果はややポンコツだった。
「あは…あはは…そんなことないですよー 芹香さんだってめっちゃ美人さんじゃないですかー」(いや、それは事実よ、それは間違いない)本宮もやや間合いを測りかねている。
本宮もレズビアンだという事を、この病院の誰にもカミングアウトしていない。ただ、自分の直感では…原田は間違いなくこちら側で、HALOの南もおそらくこちら側だということは感じていた。…あれ、じゃあこの二人…原田さんと南先生は付き合ってるの…??
そんな二人の探り合いを中断するように、受け付け内の電話が鳴る。
「…え?塩谷さん??今日はお休みなのに…」塩谷の携帯電話の番号が電話機に表示されている。本宮はいぶかし気に電話を取る。
「はい、聖路都…」本宮が答えるのを遮るように、電話の向こうの塩谷が叫ぶ。
『本宮さん!急患!重症患者1、そちらに搬送する!右目眼球脱臼!』
…
…
新宿区にあるお嬢様女子校。
休み時間に、由依と莉愛が喋っている。
そこここでおしゃべりが展開されているので騒がしい。
由依は莉愛の席…教室窓側の一番後ろの席に来てだべっている。
由依は活発な印象のあるポニテだが、莉愛は少しおとなし目に見える黒髪のセミロングだ。
しかし話の内容は、ちょっとおとなしそうな内容ではない。
「でね、こないだも休みが合わないからって会えなかったの なんかお仕事が忙しいみたいで」莉愛がパックのミルクティーを飲んでいる。
「んーなんかさ、それ前から言ってるよね?」由依はペットボトルの緑茶を飲んでいる。
「そうなんだよね……」少し視線を落として莉愛がつぶやく。
「いい人だ…ってことあるごとに莉愛は言ってるけどさ、相手は大人だよね?わからないわよそんなの?」
「いや、それはわかるよ…ホントにいい人だと思う…たぶん」声のトーンが少し下がっている莉愛。
「そんだけでいろいろ許しちゃっていいのかなあ…中出しとかさせてるんでしょ?」さらっと由依がとんでもないことを言う。
「ちょ…声デカいだろ由依…!!そこは…危なくない日にしてもらってるから…大丈夫…たぶん」
「そういう日だけを狙って予定入れてないかあ?なんかそんな気がする」バッグの中から小分けされたチョコレートが入った袋菓子を取り出しながら由依がつぶやく。
「んあーうっさいなあ…由依はシットしてんじゃないの?」
「私が?なんで?」チョコの小袋を破りながらあっけらかんと由依が答える。
「先に私にカレシできたから」
由依がその「カレシ」を思い出す。
多少整ってるかもだけど…あれは100%ねーわ。だから悔しいとかは特にない。
一度「カレシ」には会ったことがある。デートしていた莉愛と男と一緒に軽くお茶しただけだったが、めっちゃカワイイ莉愛にこの男??という感は否めなかった。むしろ外見よりも、男が持っている何か秘密めいた雰囲気が気になって仕方がなかった。
そして、男の視線は気掛かりというよりも不愉快だった。
私のおっぱいしか見ていない。なんだこいつ?
確かに私は莉愛より胸のサイズはちょっとだけ?大きい。
しかしカノジョの隣で他の女のおっぱいガン見するってありえないだろ?と憤慨していたのも否定できない。
だがそれは莉愛に言うことじゃないなーとあえて言わずにいる。
「あーそういうのは別に関係なくね?」
「そ、そうなのか…そういうもんなのか…」
「私はその………まあいいんだよ私の話は!莉愛!あんたちょっとヤバい男に引っかかってるかもだよ?」
「で、でもさ…」
「いい?まず相手の家には一回も行ったことが無い、住んでるところすらよくわからない、なんの仕事をしてるかもよくわからない、24歳って言ってるけどそれもよくわからない、なんもわからないじゃないの」
「そ…それは…そうね…たしかに」
「別に給与明細見せろとか、そんな話じゃないでしょ なんで家の場所くらい教えられないのさ?」
「そ…それもそうか…」
「確かなのは、ヤるときに中に出すってところだけでしょ」
「ちょ…お前声大きいって…由依お前わざとかよ!」
「まーとにかくだ、何も見えないのは危ない」
「人の話を聞けよ由依………」
「莉愛、その男の会社のだいたいの場所ってのはわかってるんだよね」
「まあ…だいたいは…」
仕事場の人間には見せたくないのだろう、その見られたくない場所…新宿、というのは男は指定しているらしい。
「よし、その辺で…じゃないな、その辺の周りのところで合えないかな?ってメッセしてみ?」由依は顎に手を当てて名探偵のようなポーズを取る。
「…何で周りなの?」不思議がる莉愛。
「会社の周りはまずい、これは莉愛が高校生だから会社の人間に見られたらヤバい、これは間違いない」
「そりゃそうよ」
「でもちょっと離れたところだったら?仕事の合間にちょこっと女子高生とラブホで一発…ってのはアリでしょ」
「だからさ由依、お前なんでそういうところで声大きいの?マジかお前…」
「で、ちょこっと呼び出して、なんか理由を付けてドタキャンする」
「感じ悪いなあお前…」
「うるせーわ……で…」
「…で?」
バン!とペットボトルを机に置き、ドヤ顔して由依が宣言する。
「尾行する」
「…は??」
「真実はいつも一つ!」どこかで聞いたようなキメ台詞でドヤ顔する由依。チョコレートが唇の横に付いたままだ。
莉愛がそれをウェットティッシュで拭ってやる。
チャイムが鳴る。休み時間は終わりだ。




