1x05 Part 2 / 4
「あっ酒井先生、おはようございます!」げっそりしてはいるが比較的元気な若い女性が酒井を見かけてあいさつをする。
「おぉー早苗ちゃん、今日一時退院だね 調子はどうかな?」酒井が務めて明るく応対する。
シャツの裾から出ているドライブラインを撫でながら、早苗が苦笑いをしながら答える。
「なんかねーこれがねーいつまでたっても慣れませんね…」
VAD、つまり植込み型補助人工心臓は、勘違いされがちではあるが体外から血液を循環させるポンプではなく、あくまで患者自身の血液を循環させるために、心臓…おもに左心室に取り付けられる。
ヒトのような二心房二心室の場合、左の心室は全身の血管抵抗に打ち勝ち血液を循環させるため、とんでもない負荷がかかる。これを補助して動かすのがVADであり、LAVD(左心室補助人工心臓)と呼ばれることもある。
左心室に埋め込まれたVADからドライブラインと呼ばれる電気コードが体外に伸び、正確に駆動させるためのコントローラに繋がる。コントローラは通常2個のリチウムイオンバッテリで駆動され、もちろん24時間止めることはできないため、バッテリ交換時には必ずひとつづつが交換される。モバイルバッテリなどと同じ構造だが、スマホのように「充電がなくなった」というのは死を意味するので、その安全性と信頼性は比較にならないほど高い。
…と早苗は何度も説明を受けているのだが…
「このドライブラインがおなかから出てるのを見るのは…自分で見てても気持ち悪いですね…」と女の子らしい感想を述べる。
「そうね…でも心臓が移植されたら…まったく違ってくるわよ」
酒井は心臓移植後の生存率が高いことはもちろん知っているし、9割近い患者が心臓移植後10年生存するということも知っていた。
しかし「生存率」という言葉はあえて使いたくなかった。
「まったくですよ酒井先生!こんなコードみたいなのがおなかから出てる子を誰が彼女にしようと思いますか?」ちょっと真面目な顔をして早苗が言う。
「ま…まあ…そうだよね」
「酒井先生はカレシいるんですか?」ぱあっと笑顔になりながら早苗が尋ねる。
「んー今はいない…かな…」
「えー、酒井先生めっちゃかわいいのに、なんか意外」
「ありがとうね…まあそういう事は病院では言われないわね」半分本気で悔しがる酒井。
「そっか…じゃあ私が心臓移植してカレシができる方が早いか、先生がカレシ見つけるほうが早いか、競争しよう!」
「えー、それは私には超不利な条件だなあ」本心から苦笑いする酒井。
「よし、じゃあ約束だ酒井君!」とおどけながら早苗がフィストバンプするために右手のこぶしを酒井に差し出す。
「おっと早苗ちゃん、そいつも静電気が起こるからダメだぜー」と酒井が指を立ててチッチッと揺らす。
「あーそうでした危ない危ない」
VADは極めて精密かつ安全に設計されているが、静電気だけはコントローラに悪影響を与える危険がある。
ごくわずかの危険性でしかないのだが、一般生活において発生しうる静電気も文字通り致命傷となりうる。
静電気から機器を守るためのガードを組み込めば、体内に埋め込めないほどのサイズになってしまう。
このあたりは小ささと技術とのトレードオフとなる。
そのためVADの患者に対しては、静電気には何よりも注意せよ…と何度も説明されるのだ。
「じゃあ、私はERに戻るね、お大事に、早苗ちゃん」あえてドナーが早く見つかると良いね、とは酒井は言わない。
VADを装着している…ということは臓器移植ネットワークのリストのトップにいることは明白である。
なるべくそれが早く訪れ、時間切れになるまでに移植ができる…その可能性を信じていくしかない。
しかし反面、ドナーが見つかるということは、一つの生命が失われるということでもある。
臓器移植は、常に倫理と科学のはざまにある。特に心臓に関しては。
どう考えるかは、人によって大きく異なる。もちろん医師の間でもそうだが、私はどちらだろうか…と自問自答しても酒井にはその答えを導き出せるほどの経験は無い。
「はい、それではまた、先生!」エレヴェータに向かう酒井に挨拶する早苗。ニコニコしていた。
…
…
「こんちは佐々木さん、おかーさんは?」少し長めのショートボブの女の子が受付の佐々木に尋ねる。息が荒い。
「あらー咲月ちゃん、おはようー 学校はどうしたの?」どっこいしょと妊婦用に改造された椅子から立ち上がり咲月に挨拶する。
「小学校のクラスでさ、理科の実験していたら突然ポーンと爆発してさ…救急車が来る前におかーさんに知らせなきゃと思ってさ…チャリでぶっとばして来た」
「爆発ぅ?咲月は大丈夫だったの?」慌ててやってきて声をかける福岡。
「うん、私は離れたところだったから全然なんともないんだけど…他の子にアルコールランプのアルコールがかかったみたいで…やけどだね…」特に驚くこともなく淡々と咲月は話している。母親に似て修羅場には強いらしい。
「その通りだね…重傷1、軽傷5で東京消防庁から連絡が入っている」塩谷が端末のディスプレイを見ながら答える。
「ルナ、現状での受け入れ可能数を知らせたいので、状況整理してくれないかな?」続けて佐々木がルナにリクエストする。
【ツピ!現在重傷3、軽傷5を受け入れ可能です 佐々木さん どのように消防にレスポンスしますか?】
「んー、じゃあ重傷1、軽傷3が受け入れ可能…と言ってくれないかな」
ツピ!とルナが反応し、その旨を東京消防庁経由でレポートする。
「ルナ!運ばれる子の名前はわかるかな?」咲月が聞く…が、なぜか反応しない。
「あれ…?なんで反応しないのかな…?」
「あれよぉ咲月、福岡に名前が変わったから、それを登録してなかったのかもねえ」福岡が受け入れ準備しながら答える。
ルナは登録された人物以外には反応しないように設計されているが、医療関係者の身内の場合はリクエストにより登録することが可能になっている。様々な状況を加味した上でITディレクターの原田が判断することになってはいるが…正直ザルである。原田が単純に切り替えを忘れていたのだろう。
「ちぇー、この前は算数の宿題手伝ってもらったのにー」口をとがらせて咲月が抗議する。
「おいおい…そんなことにルナを使ったらITの人が怒るよー?」南が準備を整えて受付にやってきて咲月に言う。
「あっ南せんせー!こんちはです!」ニコッとして咲月が答える。もちろんルナの私的利用に関して謝るそぶりはみせない。
「そろそろ忙しくなるから、受付かラウンジで待ってなさい おかあさんもお仕事だよ」南が説教するように咲月に答える。
「うん、わかった」
「という事よ咲月、あなたはラウンジで待っててねえー 南って書いてある冷蔵庫のものは全部食べたり飲んだりしていいからねー」
「ちょ、おい咲……まあいいや……冷蔵庫に千疋屋のプリンがあるから、それ食べていいよ咲月ちゃん」
「せんびきやのぷりん!!やたー!ありがとうございます南せんせー!」育ちがいいからか、幼さと丁寧さを兼ね備えている感じだ。
「ええー真琴先生、そんなのありましたっけぇ?」自分が夜勤の時に作った菓子で、南は甘いものだと食べないことを知っている福岡が訝しげに聞く。
「いや……西園寺のだ」ニヤリとして答える南。
…
バーン!とERの扉が開き、ストレッチャーが入ってくる。上には小学校5年生くらいの男児がいる。
「10歳、男性、理科の実験中にアルコールランプが破裂 左前腕にアルコールによる軽度の熱傷」救急隊員の南雲が答え、続けて内容を話す。
「カエルの解剖中だったそうですよ…なんで爆発するんでしょう…?」
「それはわかんないけど…重くはない…海軍、他に重症者が来るんだよね?」南雲や、彼女のペアの山本や西村を指して「海軍」と呼んでいるのは南だけだが、ほとんどの聖路都のメンバーはそれがどうしてかはわかっていない。が、南雲はわかっている。複雑な心境だが悪い気もしない。
「そうですね、この後で来ます 2度の熱傷…だそうです」
「よしわかった、この患者は私が引き受ける 一人で大丈夫だろうが…よし朱音ちゃん、サポート頼む!」
「了解南先生、3号に入れましょう」安藤がスタンバイする。
「塩ちゃん、外傷3号を使う 念のために上に熱傷班を編成してと伝えて」
「今日は上は外科がオンコールなだけですよ?」
「んー誰かな?」
「朴先生です」
「テジョンは韓国陸軍で…熱傷治療の経験が豊富にあるはずだから呼んどこう」航空自衛隊出身の南は、関連する人物の経歴はすべて頭に入れている。朴太田は日本に来る前に徴兵されて、韓国陸軍で軍医として勤務していた。
2台目のストレッチャーが入ってくる。こちらはやや重そうだ。
「11歳、女性、アルコールランプのアルコールを右下半身に浴びて熱傷、おそらく2度 ヴァイタルは安定 グラスゴースケールは10 痛みに激しく反応」救急隊員の西村がてきぱきと答える。
「ふぅん…ちょっともろにかぶってるわねぇ…スカートだったからちょっとひどいわねえ…」福岡がストレッチャーと平行に歩きながらざっと見る。
「よぉし、4号でシヴァーム使いましょう ビルくーん、行きましょー」福岡がのんびりしながらも的確に答える。
「イエス、マム!レッツゴー!」既にストレッチャーを一緒になってオニールが押している。
3台目のストレッチャーは少し軽そうだが、顔を真っ青にしている女児がいる。
「10歳、女性、ショック状態ですが右手の甲に軽い熱傷、ヴァイタルは安定…なんやら心臓に驚いたっちゅーことです」
「心臓…って何よ?」北条が関西弁の救急隊員、小林に聞き返す。その小林の言葉を待たずに女児が話す。
「あの…カエルの解剖で…小さいからわからないだろうって先生が、大きめの心臓を持ってきて…電気に繋ごうとしたら私がびっくりしてしまって…目の前が真っ暗になったんです…」小さな声だが震えながらも気丈に話している。
「大丈夫よ…これは仕方がない…でも大きめの心臓って…」北条が不思議に思う。
「俺も小学校の頃はカエルの解剖やらへんかったからなあ…最近の学校って進んでるわなあ…」
カエルの心臓は確かにものすごく小さい。しかも小学校のカエルの解剖ではそこが焦点ではないはず。
「いいかい…キミに責任はない…ボクがそれを保証するよ」オニールが優しく女児をなだめる。
「じゃあ…2号に行きましょう 警察は教師に事情聴取してるのかな?」ストレッチャーを外傷2号に入れるために受付前でターンさせながら北条が聞く。
「…あーいえ…もう来ています北条先生…」翡翠橋署生活安全課の横田がそこにいた。
「うっわびっくりした横田さん、というか全然気が付かなかったごめんなさい」
「私はアンダーカバーが本職…これがスキルです」ニッコリ笑う横田。
「じゃあ私は…カーテンエリアで軽傷患者の治療に入ります!」酒井がてきぱき答える。
「わかった、よろしくお願い理乃ちゃん!…福岡!4号頼むわね、多分、一番重症」
「はあーいりょうかーい結衣ちゃーん!」
「っ…結衣ちゃんとか言わないの!」
「…ごめんなさい北条せんせー、私が謝っとくね…」咲月がやや顔を赤くして北条に答える。
「ああ…いいのよ咲月ちゃん…さあ、ラウンジで西園寺先生のプリンを食べて待ってなさい」
「でもさいおんじせんせーが怒るんじゃないかな…」
「大丈夫よ、西園寺先生はやさしいイケメンで大金持ちだから」イケメン、という単語に若干トゲが入る北条。
「…じゃあいただきまーす!ぷりんだー!」
…
外傷3号。
「血算、生化学、血液型とクロスマッチ、私はアルコールがかかったと思われるところを集中して見るから、朱音ちゃんは全身をもう一回チェックお願い」
「了解だけどその前に左正中に20ゲージでルート確保 乳酸リンゲルで行く?」安藤はさすがに手早い。
「よし行っとこう ルナ、乳酸リンゲル500を全開で 検算されたし」
【ツピ!体重30キロのため乳酸リンゲル500mlは適正範囲、即時全開で投与します】
「…でもどうだろう、アルコールランプが爆発するんなら、ガラス片も心配よね」
「そうだね……左前腕に1度から2度の熱傷…」と確認しているところで朴が入ってくる。
「援軍っすー 南空士長お疲れっすー」とっぽい感じの青年が入ってくる。朴は若くは見えるが30代半ばの外科医だ。
「テジョン、お疲れ っつーか昔の階級で呼ぶのやめろってば…」南が顔をしかめる。
「私はよくわからないんですけど、空士長って偉かったんですか?」全く知識がない安藤が患者の全身をチェックしながら聞く。
「…下っ端だよ…高卒後入隊して3年だからね」南が答えるが、南は続けて
「よしガラス片は無し、テジョン、水泡が左前腕にあるから、これをまずやっつけよう」
「りょうかいっすー 安藤ちゃん、俺の方が偉いっすよ、軍医だから大尉っす」
「いや…よくわかんないし…」安藤が洗浄キットの準備を整えて答える。
「空士長からみて大尉…自衛隊の1尉はとんでもなく上の階級なんだよ……」
「そりゃ昔の話っす 今は下っ端外科医で日本で援軍っす …この子にちょっとだけ痛いかもって言うっすよ」気の抜けた日本語だが、判断は完璧だ。
「ごめんね、今からやけどしたところを切って消毒するから、がまんできるかな?」安藤が優しく男児に話す。
「たっ…たぶん!がんばるぜ!」男児が気丈に答える。
「おーきみ、おとこっすねー 俺の国では「サンナムジャ」って言うっすよー ルナー手技開始するっす いいっすよね空士長?」
「だね、このへんは外科に任せる やってくれ朴大尉殿」
【ツピ!朴太田先生執刀開始 時刻11時50分 プライマリターゲット 水泡切開】
「よし任せるわ軍医殿、ルナ、アセリオ450をラインで同時に入れよ」
【ツピ!アセリオ450mgを投与】
「あとからじんじん来るっすけど、痛みが軽くなる薬を入れてるっす 頑張るっすよサンナムジャくん」
「朴先生、25ゲージでいいかな?」安藤が既に水泡を吸い出すためのシリンジを用意しているが、25ゲージはかなり細い。
「おーいいっすねー さんきゅーっす」すっと朴が受取り、再度男児の左前腕を見据える。目の色が変わる。
「よし、私は水泡蓋切除の準備をする それとも軍医殿がやる?」
「空士長殿に任せるっす」
そう言いながら、朴は水泡の際に25ゲージの注射針を滑らせる。
「ちょっと、ちくっとするからね、痛くないからね、男の中の男くん」安藤がそっと男児の右手を握ってやる。
「僕はアキオだよ!アキオって呼んで!」男児が痛さを紛らわすかのように話す。
「おーアキオくんっすかー 俺のヒョン…先輩と同じ名前っすねー まミョンウって言うんすけど」
朴がそう言いながら針を刺すと、中から浸出液がシリンジに吸い込まれていく。かなりの量だが、これを抜けば水泡による細菌感染の危機を一つ取り除くことができる。
そして続けて朴が、
「安藤ちゃん、アイシザーズあるっすか?」
「眼科用のハサミ?あるにはあるけど」
「んじゃそれお願いするっす」
「あんな細いので切れるの?」南があまり使わない手技に少し驚く。
「こどもっすからね…そして軍ではやけどは割と多い…っすよね?慣れてるっす」朴が既に手を動かしている。
ピンセットでふやけた皮を持ち上げ、サクサクと円形にキレイに切っていく。
「うーん…さすが外科…いいね…」南は感心する。まだ南でも学ぶことは山ほどあるのだ。
「…オッケー、真皮が出たので、洗浄っす安藤ちゃん」
「ちょっと痛いかもしれないけど我慢してねアキオ君」安藤が温めた生食で残留成分を洗い流す。
「っ!!大丈夫だぜ!俺はサムナンジャだぜ!!」かなり痛そうだが、男児が我慢しながら言う。
「おーやっぱサムナンジャはすげえっすねー!」韓国語が間違っていたが朴がおだてる。おだてるというよりも、アゲているというほうが正しいか。アゲアゲのこどもは往々にして無敵だ。
「よし、ゲーベンは私が塗るから、テジョンは4号行って」
「了解っす、受付でもそう言っていたっすからね ガラス片も無いみたいだしラッキーだったっす」あっさり終わらせて朴が手早く言う。
「あとは包帯だから…サンキュー軍医殿、私もカーテンエリア診たら合流する」
「お困りの際はいつでもお呼びくださいっす んじゃまた安藤ちゃん、空士長 …アキオくん、頑張るっすよ!ファイテン!」朴が力強くサムアップを男児に出す。こちらも力強くサムアップする男児。
「…!」
受付では、臓器移植ネットワークからの第一報を佐々木が受け取っていた。
「…栃木でマッチするドナー!さっきの子…広野さんにはもう連絡が行っている…!」
軽症患者をカーテンエリアで診ていた酒井がそれを耳にする。
やった!と思ったが、同時に思った。
(栃木…間に合うの…?だって今は…)




