1x03 Part 2 / 4
外傷3号。
「奇異呼吸だな…よしスヴェータ、ジャクソンリースで行こう」
「はイ!…先生あノ、ジャケットが血液で汚れていまス」
いつの間にか眞山のジャケットが真っ赤に染まっている。
「ん?あー…まあ…使い捨てだな…ガルシアすまん、ガウンを着せてくれ」
「はいー!りょうかいしました!!」日本語は完全ではないが、フィリピンからの看護師マルシア・ガルシアが元気よく答える。
170センチ近いので女性としては背が高い方だが、それでも188センチの眞山にガウンを着せるのは簡単ではない。
「そっト、ゆっくりいきまス」
ジャクソンリースで手応えを確認しつつ、ヴィルクが補助換気をする。
「ルナ、不穏が激しくて処置が難しい、フェンタニル使うぞ、体重を想定してちょい少なめで準備」
【ツピ!フェンタニル了解です 指示どうぞ】
「それから…ケタミンを投与、フェンタニルは20マイクロから、ケタミンは20mgを瞬間投与、ルナ、検算よろ」
【ツピ!数値はターゲット内です眞山先生 フェンタニル投与開始 ケタミン入りました】
一見浅黒くてチャラく見える眞山だが、手技と判断力は確実だ。
「少し眠くなルおくすりいれてますからネ、だいじょうブですヨ…」ヴィルクが幼児に優しく語りかける。
「よし……気胸を抑える」
眞山が聴診器で両胸の呼吸音を聞き眉をひそめる。
「スヴェータ、気管が左にシフトしてる!」
「閉塞性ショックでス!ルナ!ヴァイタル確認してくださイ!」
【ツピ!血圧75の55 心拍155 血圧やや下降中】
「ケタミン入れてるのになんで血圧が落ちるんだ…」
「完全に心臓が圧迫されていまス!」
「よしまず18ゲージのニードルで脱気しよう、スヴェータ、行けるかい?」
「…!はイ!行けます!」
「俺はそのあとに切開してトロッカー入れる」
「まかせてくださイ!」
ヴィルクが18ゲージのニードルを手にする。
幼児の細い肋骨の間を指でなぞり、第2肋間の「その点」を定める。
「<右の第2肋間…鎖骨中線上…私ならできる>」
そしてあまり他人には語らない本音を心の中で呟く。
「<そのために私は異国の地にいる>」
ヴィルクが18ゲージの太いニードルを幼児の胸に刺す。
プシュッ、と空気が抜ける音がする。
【血圧90の65 さらに上昇中】
喜ぶ時間もなくヴィルクは続ける。
「1%リドカイン準備完了、切開セット準備完了、いつでもどうゾ!」
「…よしここからが本番さ…急がば回れ…順序立てて確実にやるんだ」
幼児はケタミンの作用で少し落ち着いている。これなら切開も問題ない。
…
外傷2号。
こちらはより絶望的な状況に南とグエンが置かれている。
「瞳孔が右だけ散大しています、ルナ、ヴァイタルを10秒ごとにレポートしてください」グエンが丁寧な日本語でルナに命令する。
【ツピ!血圧182の118 心拍40で徐脈】
「クッシング現象ですボス、挿管します」グエンが喉頭鏡にブレードをセットしている。
「よしラン、お願い ルナ、マニトール100mlを瞬間投与 脳圧下げるぞ」
【ツピ!マニトール100ml瞬間投与 マニトール入りました】
「…」グエンが喉頭鏡のブレードを喉頭蓋と舌の間の喉頭蓋谷に置き、持ち上げる。
「どう、見える?」
「み…えますボス……入りました、バッグします」幼児への挿管は難しいが、グエンはあっさりこなす。
「バッグは私がやる、ランはプローブで見て お前さんの専門分野だ」南が流れるような動きでバッグをグエンから交代する。
超音波検査は大型の機材もあるが、聖路都ではプローブ型の小さなものが用意され、ワイヤレスで処置室内のメインディスプレイに投影される。もちろんルナ経由だ。
母国のベトナムでは超音波をはじめ、X線などの放射線技師をやっていたグエンにとって、聖路都の最先端機材をはじめて見た時に不謹慎にも心が躍った記憶が蘇る。
「ウィ、マダム」手慣れた感じでプローブを準備し、
「ルナ、エコーで骨折線か陥没した頭蓋骨から見ます、可能ならば大泉門から メインディスプレイに投影してください」
【ツピ!了解ですグエン先生 投影度100% ディレイ5ミリセカンド プライマリターゲット 硬膜外血腫】
母国ベトナムはおろか、世界でも最高レベルの読影力を持つグエンである。HALOにスカウトされているのは伊達ではない。
「早く確実に血栓を見つけよう、ラン、やれる?」
「…ボス…愚問です…幼児なので大泉門が見えます、ここからいきます」
もはやグエンは南を意識していない。プローブに全神経を集中している。
ヴン!と外傷3号のメインディスプレイに、脳の半球がグラフィックで表示される。
8K相当の解像度を持つメインディスプレイは、驚異的な画像を瞬時で映し出す。
いつ見てもよくできてるな…と南は心の中で感心する。
ITヘッドの原田は
「こ、れ、が!私たちの誇るルナの超機能!VRじゃなくてARと呼んでちょうだいマコちん」
と言っていたことを思い出す。
(なるほど拡張現実か…でもいいかげん私のことをマコちんと呼ぶのはやめさせたいなあ…ちん…って…)
同い年の原田は気楽にマコちんと呼んでいる。
拡張現実ならではのオーバーな表現力のため、一見するだけではわかりにくい。
それすらも織り込み済みのグエンはしかし、
「………見える…深度12ミリ、右側頭葉の直上、巨大な硬膜外血腫」
ほんの数秒で複雑な色の洪水から死の塊を探し当てる。
「ミッドライン…が…7.5ミリシフト……ボス、脳幹が潰れます」
「っ…進行が早すぎる…崔ちゃん、穿刺用ニードル準備」
「既に準備完了です南先生」クールな印象のある看護師の崔は日本国籍だが韓国人看護師だ。肝は据わっている。
【ツピ! 心拍38 徐脈警報】
南はバッグを片手で扱いながら、もう片方の手で穿刺用の太いニードルを構える。
ペン回しのようにニードルを手先でクルクルと回す。
これはもう儀式のようなもので、航空自衛隊の通信科にいた頃からの癖だ。
「あー…崔ちゃん、バッグを代わって タイミングはわかる?」
「南先生、私もランちゃん先生と同じことを言いますね…愚問です」
フフンと笑って崔が答える。
まったくここの女性ときたら度胸のあるやつばかりだな…
と内心苦笑しながら南は穿刺ニードルを構える。
「ラン、ガイドよろしく…君を信じる」
「……そのまま垂直、あと2ミリ右……そこですボス!Allez!」
南が迷いなくスッとニードルを幼児の頭部に突き刺す。
ザラっとした抵抗が抜ける感触と共に手応えを感じる。
シリンジの中に暗赤色の血が流れる。
「…よし…抜いた…」
その瞬間、ルナが投影しているサブディスプレイで出している「ピッ……ピッ……」という無機質な音が、離陸するヘリコプターのようにリズムを上げ始める。
【心拍55に上昇 血圧160に下降 さらに血圧下降中】
「……瞳孔、収縮を確認 右3.0、左……2.5、……ボス、勝てます この子、まだ死にません」
「あたりきしゃりきのコンコンチキ!HALOの本当の力を見せてやろう、ラン!」
「…私は聖路都の看護師ですよ?アレクサンドリアの皆さん?」少々苦笑いしながら崔が追加輸血のオーダーを軽やかにこなしていく。
…
外傷4号では、北条と安蒜がさらに難しい状況に立たされている。
幼児は大量に腹腔内出血していることは明白だが、止血する場所がわからないほど出血しており、どんどん虚脱状態に陥っていく。
「普通のラインはあかん、ラピッドインフューザーを入れる場所を探さんと」安蒜が幼児の顔色を見る。どんどん血の気が引いていくのが目視ではっきりわかる。
「ルナ、再度ヴァイタル確認」北条がルナを呼び出す。
【ツピ!血圧55の30 心拍166】
「よしまずラピッドインフューザーに繋いで…とにかく時間を稼ぎましょう」
「賛成や部長、CVCは私がやろか?」
「セントラルラインは安蒜先生のほうが慣れている?」
「ん…まあ…そこは歳の差やな…」
「了解です安蒜先生、私はサポートしつつ、止血できるかをアプローチします」
「よっしゃ…それで行こう ルナ、シヴァーム展開 まずは超音波で確認しつつセントラルラインを入れる 入れた後は部長が腹腔内の止血点を探す これ一個のユニットでできへんか?」安蒜が確認する。
【ツピ!可能です安蒜先生 時間的制約があるという限定条件になります 推奨時間150秒】
「2分半、十分や…ルナ、シヴァーム展開 エコーユニット使う」安蒜がニヤリと笑いながら答える。
【ツピ!シヴァーム展開、セントラルラインアプローチのためエコーユニット使用 プライマリターゲット 血管造影 展開まで10秒】
安蒜がセントラルラインのキットを北条から受け取る。
「よし…右の内頸から攻める…セオリー通りいこ」
「セオリー通りですがしかし…最終手段ですね安蒜先生」北条がつぶやく。
「せやね…できればERでやりたないのは本音…外科医に全部やらせたい」安蒜が小鎖骨上窩を穿刺する。
「でも…時間がない、使える血管がない、せやったら…」シリンジからガイドワイヤーを入れながら安蒜が続ける。どうやら安蒜は喋りながらの方が集中力が持続するタイプのようだ。
「これしかない…」ダイレイターを差し込みながら皮膚の入口を広げる。
「ルナ、ガイドワイヤー保持できてるか確認や」
【ツピ!ガイドワイヤー正常に保持中】
映像は外傷4号のメインディスプレイに出て入るものの、実際は安蒜はほとんど見ていない。
指先の感覚だけを安蒜は信じている。エコーはリファレンス用と割り切っている。
本質的には、機械は信じない。己の感覚だけを信じる。安蒜はそう考えている。
「オッケー…これで慎重に…先に…」
わずかにコリ…っと手応えを感じる。
【ツピ!警告 期外収縮】
「おっと心臓内壁が近い…こどもやから慎重に…」冷や汗をかくが安蒜は引かない。
「…よし…部長、カテーテル」安蒜が言う前にカテーテルを差し出す北条。
「こ…れで…よし、ルナ、ライン確認や」
【ツピ!セントラルライン確保 ルート、内圧、問題なし 接続クリア ラピッドインフューザー起動します】
ゴゥン…という起動音と共にラピッドインフューザーが起動する。
温められた赤血球液が、安蒜が通したルートを通り幼児の血管へと送り込まれ始める。
虚脱していた血管が、物理的な『力』によって内側から押し広げられていく。
「ルナ、ラピッドインフューザーの動作状況確認や」安蒜がグローブを交換しながら言う。
【ツピ!ボーラス投与モード 体重18.0kgにつき、毎分80ml、温度38.5℃】
「足らんもしれんな、どう思う部長?」
「カテーテルも太くできませんし、血液凝固も考えないと…物理的にも入れられません」
「ポワズイユの法則やな…じゃんじゃん入れたいけど物理的には難しい…綱渡りや」
「しかし安蒜先生、お見事です」北条が心からの賛辞を送る。
こんなスピードでセントラルラインを、しかも幼児相手に入れるのを北条は見たことがない。
「まだや…こっからやで部長 出血箇所を探して埋める 頼むわ部長…いや、北条先生」
「…はい…ソラシールにはすでに目視で700ml」唇を噛み締め、ソラシールのバッグを睨みつける。
この量を超える血液をラピッドインフューザーで入れなくてはならないが、永遠に入れ続けられるわけでもなく、最終的には出血した血液を止めなくてはならない。
「体重18キロやったら血液量はだいたい1400ml…もう半分の血液が出ている…失血ショックギリギリで間に合ったかな」
通常の輸血では限界がある。それをラピッドインフューザーで無理やり血液を送り込んでいる状態といえる。
ゴウン、ゴウンと回るラピッドインフューザーの音は、消えようとしている患者の命を繋ぐ希望の音そのものだ。




