第16話〜紫石、雲泥万里に隔たりて〜
「グリゴロス・イパーリオンです、よろしくお願いします。」
へらっと笑うこの男性は、騎士団所属の馬術の先生。
見た目から怖そうな先生はたくさんいたけど、こんなに優しげな先生はイパーリオン先生くらいだわ。
乗馬用の衣装に着替えた私は、王宮内にある乗馬場に立っていた。
私、乗馬もできますのよ。この授業はなんとかなりそうね。
私は午前中の屈辱を思い出し、唇をギュッと噛み締めながら、午後の授業こそは上手くやると心に決めた。
「―――それじゃあ、ご経験はあるようなんで実際に乗馬しながらやっていきましょうか。」
イパーリオン先生はにこやかに、2頭の手綱を持って近付いてきた。
「こちらの鹿毛がメテオで、白毛がカリスと言います。美しい毛並みでしょう…。カリスは現王妃様の馬で、この子の家系は代々王妃様の馬として愛されております。今回、エリザベート様の練習にと王妃様からお借りしました。」
「ええ、分かりましたわ。私、介助なしで馬に乗れますのよ。そんな令嬢中々いらっしゃらないんじゃなくって?」
と言いながら私は馬に近寄った。でもその馬―――
カリスは耳を後ろに伏せ私を睨みつけていた。
生意気ね、馬のくせに。
私は手綱を取ろうと更に一歩近付いたら、カリスも更に1歩後退りした。
「おお…カリス。大丈夫。大丈夫だから…。」
イパーリオン先生はカリスの頬や首を優しく撫で落ち着かせる。
カリスは少し落ち着きを取り戻したみたいだけど、まだ私を睨み続けている。
「とりあえず、乗ってみましょうか。」
イパーリオン先生に促され、私はカリスに跨ろうとした。
その時
ヒヒーン!!
突然カリスが暴れ出し、私は踏み台から振り落とされて尻餅をついてしまった。
「い、いたっ…!」
「ああ…これ!カリス!落ち着きなさい。」
ブルルル…と鼻を鳴らすカリスと慌ててカリスを宥めるイパーリオン先生。
私ってこんなに馬に乗れなかったかしら…?
急に不安が襲いかかってくる。また私は上手くできないの?
そんな私の様子を見て、イパーリオン先生はにこっと笑いながら
「大丈夫ですよ、エリザベート様。馬は正直な生き物です。恐れず、呼吸を合わせるのです。」
さあもう一度どうぞ、と手を差し伸べたイパーリオン先生。
私は先生の手を借りて、不満げなカリスになんとか乗ることができた。
「では、ウォーミングアップとして一緒に場内を一周しましょう。…私はメテオの方に乗らせていただきますね。」
よいしょとメテオに跨ったイパーリオン先生。
すると
「手綱の持ち方が甘ぁい!!!」
突然の怒号に私はビクッとなってカリスから落ちそうになったけど、なんとかしがみついた。
「な、なんですの…?」
メテオに跨っているのは、さっきまでにこやかに話していたはずのイパーリオン先生。
今は鬼の形相というのが似合う表情で、こちらを睨んでいた。
「何度も言わせるな…!手綱の持ち方が甘い!!」
私は慌ててカリスの手綱を握り直した。
でもカリスは嫌だったようで
ヒヒーン!
と鳴いて身を捩り、私を振り落とした。
「きゃあっ!!!」
私はドンと地面に転がり落ちた。
身体のあちこちがとても痛い。
痛みなのか恐怖なのか、涙が溢れてきて止まらなかった。
「エリザベート様!お怪我はありませんか?」
馬から降りて駆け寄るイパーリオン先生は、また優しい表情に戻っていた。
「ど、どうしてなのよぉ…。」
ぐすぐすと鼻をすすりながら泣く私。
私は王妃になるんじゃなかったの?
「お、お姉様だって…こんな暴れ馬、乗れなかったでしょ…?」
しゃくりあげながら、私はイパーリオン先生に聞いた。
そうよ、お姉様がこんな馬に乗れるはずがないわ。
すると、今まで黙って私の背中をさすっていたイパーリオン先生が静かに話し始めた。
「…フィーリア様が乗馬の訓練をされた時は、一度もこんなことはありませんでした。」
私は目を見開いてイパーリオン先生を見る。
そこには困ったように笑うイパーリオン先生の顔。
「カリスは初めから、フィーリア様の指示をきちんと聞いて訓練ができていました。―――馬は人の心、内面も見抜くと言われています。カリスは、フィーリア様のことは王妃の器であると認めていたのでしょうね。」
私は頭がクラクラしてきた。
フィーリアお姉様が王妃の器で、私は違う…ってこと?
「…な、わけ…。」
私は怒りと絶望を感じながら叫んだ。
「そんなわけないわ!私は…私は《紫水晶の女神》なのよ!?私こそが王妃に相応しくて、お姉様は違うって…お母様が言っていたもの!何よ!みんな…みんな何も分かってないわ!」
一息に叫んだ後、私は、わぁっと泣き出した。
今まで、自分こそが王妃に相応しいと思ってきた。
だから、王妃教育だって簡単にこなせると思った。―――あの、冴えないお姉様だってこなせていたんだから。
それなのに、私は何をやっても全然ダメ…。
私は王妃の器じゃないという現実を突きつけられているのに、嫌でも気付いてしまった。
「…フィーリア様は、その才能もさることながら、それ以上に直向きな努力をされておりました。―――馬術も、それ以外も。」
独り言のようにイパーリオン先生が呟いた後、スッと立ち上がって
「幸い、ひどいお怪我は無さそうですね。本日はもうおしまいにしましょう。」
と言って私に手を差し伸べた。
私は、立ち上がる気力なんてありませんわ、と思いつつもイパーリオン先生の笑顔には、もう帰って欲しいと書いてあるような気がして、フラフラと立ち上がった。
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