第21話 勇者、青ヘビを迎えに行く。
「ばーちゃん、ボクのおかあさんじゃないです。ボクのおかあさん、ボクを守って死んじゃったです。だから違うです」
「まぁ……」
鼓膜を揺らしたのはアクティとセシリアの声だ。
泣いていない。
それだけで馬鹿みたいに安堵した。
「ばーちゃんは子ども、死んじゃったです?」
「……そう、そうね……そうだったかも、しれないですね……」
「大丈夫ですよ。ボクの主様が言ってました。土に還ったら、また新しくなるですよ。悲しくないですよ」
(そんなこと言ったな、確かに)
喰い殺された母に守られ泣いていた青ヘビに、苦し紛れに呟いた言葉だった。俺の願望だ。
眩い光が収束していく。
無意識に閉じていた瞼を持ち上げる。
ここは食堂じゃない。俺が十一年間暮らした独房だ。
「主様!」
「おう」
俺を見るなり、にゅるにゅると這って来たのは青ヘビだった。
膝を折って手を差し出す。
人化をほとんどしないこの使い魔は、人の形を長く保つことが苦手だ。脱ぎ捨てられたローブや靴に汚れはなく、長い胴体に傷もない。
「主様、遅いです。ボク、びっくりしたですよ」
「これでもわりと急いだんだよ」
「わりとじゃダメです」
腕を伝って右肩に乗り、ドスドスと俺の頬に頭突きを繰り出す青ヘビはいつも通り。
粗末なベッドに腰を下ろしているセシリアが、虚ろな瞳で俺達を見ている。
「あの子は……みんなは、新しくなったのでしょうか?土に還れなかったのに?」
「ばーちゃん、様子ヘンですよ、主様」
カクンと横に傾いたセシリアの頭を見て、頭突きを止めた青ヘビが俺の耳元で囁いた。
よりにもよって聖女の屋敷で勇者の使い魔を拐ったんだ。変じゃないわけがないが、青ヘビは大真面目な顔をしている。
「知ってる」
「でもばーちゃん、子ども死んじゃったみたいです。かわいそうです」
青ヘビの目には、セシリアは老婆にしか映らない。仕方がない。
それを訂正しないまま、俺は一歩踏み出す。
「あなたが殺した」
セシリアが言う。
「あぁ」
俺は頷く。
「トゥーリア、ジグルド、エミリオ。ロビン。それに、アクティ」
「あぁ」
抑揚のないセシリアの言葉に青ヘビが目を丸くした。
生まれてくる子が男でも女でも、自分の目を受け継いだらそう名付けるとロビンが笑っていた。
代わりのつもりはない。
命に代わりはいない。
アクティを抱き上げたときにその名前しか出てこなかった。それだけだ。
「ボク、生きてるですよ」
戸惑う青ヘビが俺を見て、セシリアを見る。その様子を見たセシリアは頬を綻ばせた。
「あなた、お名前は?」
「アクティですよ」
セシリアが目を瞠る。
ベッドを軋ませ、よろりと立ち上がる。
独房の壁にはもう、闇の魔法陣は浮かんでいない。
「…………あぁ…………」
吐息のような声だった。
さらに大きく踏み出した俺は、骨と皮しか感じない背を抱き、支える。
恐怖はもうなかった。
「……水のような、青緑色……」
「ばーちゃん?」
緑色の瞳を瞬かせる青ヘビへ、白い指が伸びる。
セシリアに魔力は残っていない。害意も感じない。愛おしむように青ヘビを撫でる指に、俺は瞼を伏せた。
「可愛い子」
ぽたりと雫が落ちる。
「覚えていてくれたのですね」
「……主様?」
青ヘビを撫でていた指が、俺の頬へ移った。
「ローラン、顔を見せてください」
落ち着いた口調だった。
瞼を持ち上げた先には濁ったままの碧眼があった。
「あぁ、いつのまにか、こんなに大きく、なっていたんですね……」
青ヘビが息を呑む。
血の気を失ったセシリアの顔半分、左側。
どす黒い血管が次々と浮き上がった。
魔力枯渇の末期、こうなってはどれほど優れた魔力回復薬でも救えない。手遅れだ。
黒く染め上がっていくのは維持できなくなった呪詛の返しで、それは枯渇以上に、凄惨。
そんなものがセシリアの身体を一気に蝕んでいく。
想像を絶する苦痛があるだろうに、俺を見上げる表情は穏やかだった。
「よんでくれますか」
筋肉をうまく動かせないんだろう。
ぎこちなく強張った唇が乞う。
「アクティ」
聖剣を抜く。
俺が青ヘビを呼んだのを見たセシリアが、嬉しそうにわらう。
「フードに入ってろ」
「…………はいです」
物言いたげな青ヘビは、俺が目を合わせないでいたら背中に引っ込んだ。フードの中でとぐろを巻くのを感じる。
「母さん」
ぴくりとフードが揺れた。
「はい、ローラン」
綺麗な女だ。
誰よりも何よりも、綺麗な人間だ。
抜いた刃に黄金を伝わせた。
「母さん、おやすみ」
紙を貫くより軽い衝撃。
左肩に凭れてきた身体を抱き留める。
「あぁ、ロビン……──来て、くれたのですね……」
幸せそうに微笑みながら、セシリアは眠った。




