第20話 勇者、選択する。
「国王陛下に急ぎ報せを!大神殿にもよ!」
恐慌に陥りかけた使用人達へ、聖女の鋭い命令が飛ぶ。
一体どこの誰なら予想できただろう。
聖女の屋敷で、魔女も勇者も揃っていながら、侵入を許した挙句に目の前で拐われた。あまりにもあまりな事態だ。ここまでくるといっそ笑えてくるが、失笑の一つすら出やしない。
横に伸ばしていた右腕を下ろす。
握り締めた拳からポタポタと滴る赤が床を汚す。アクティが暴れたせいで今は色々と散乱しているけれど、本来は眩しいほどに磨かれた石の床だ。
そこに垂れる血。
革手袋は買い替えだ。
短くしている爪で破いてしまった。
(奮発したのによ)
ブーツとこの手袋は特注品だ。
三年前、旅に出る前に必要なものを聞かれた俺が、唯一望んだ。
耐水、耐火に優れた選りすぐりの素材は、この二つで小さな家が買える程度には高い。聖剣なんて仰々しいものがなくても、どんな地形でもどんな状況でも戦えるようにと望んだ。
それがこのザマだ。
「口外、一切無用!勇者パーティーが対応するわ!動きなさい!!」
(さすがだな)
いずれは魔王討伐の旅に出るからと、ただ甘やかされて育ったわけじゃない。
聖女アリアベルは紛うことなき王女だ。
己が師匠の凶行に感情を乱したのは、ほんの僅かな時間だけ。すぐに切り替え、立て直す。強い女だ。
その隣に立つ荷物持ち、ルークもまた、異常事態を察して飛び込んで来た従者へ指示を出していた。
家督に無関係な三男は皮肉なほどに優秀だ。
「追跡を弾かれたが、聖女だった女だ。行き先は大神殿だろう」
右隣に並んだ魔女シルフィアーナが断言する。
先代勇者が死に、師を失った後。
最初の数年間だけとはいえ、シルフィアーナはセシリアに防御魔法を学んでいた。
「アリア、ローラン」
「ルークは残って状況の確認をお願い」
「わかった。ローラン、これを」
「…………」
ルークから差し出されたのは剣だ。
結婚祝い代わりに譲った聖剣だった。
俺の口から息に似た笑いが溢れる。
「用意がいいな」
「気の利く者が持って来てくれたんだ」
「おー」
ルークの後ろに控えた従者と目が合う。頭を下げられた俺は、右手で聖剣を掴んだ。
ズシリとした重みは馴染んだもので、この数日間だけ使っていた鈍らを床に落とす。ガチャンと耳障りな音がした。聖剣を剣帯に佩く。
「行こう」
「えぇ」
魔女の声を受けた荷物持ちが離れ、アリアベルが左隣に並んだ。
シルフィアーナが詠唱を開始する。
俺達三人の身を包み込むのは桃色の魔力で、転移の魔法陣が浮き上がっていく。
見下ろした二人の横顔に迷いはない。
勇者だ。
そう納得した俺は、魔力を奔らせた。
「ローラン……!?」
魔女が非難の声を上げる。
黄金に弾かれた桃色が散り散りになる。
「アンタ、なんのつもり!?」
聖女の怒声。
まったく聖女らしくない。
俺は一歩踏み出して、またわらった。
「おまえらはここで待ってろ」
「はぁ!?」
「ローラン、アクティが連れ去られたんだよ。意地を張っている場合じゃないだろう!」
(意地?)
違う。
魔女の言葉に内心で首を振る。
瞳に魔力を湛え、無詠唱で座標を指定する。出し惜しみをする気にはならなかった。
足元に浮かんだ小さな魔法陣が縦に伸び上がり、俺の身体を包み込む。
黄金。
目を細めると、その中に力を抑え込もうとする金色がいくつも視えた。俺とは違う、ただひたすらにあたたかい力だった。
「ローラン」
背に親友の声がかかる。
「先代様がああなってしまった理由は、推測することしかできないけれど。……君の責任じゃない」
そうじゃない。
そういうことじゃない。
俺はあの日あの時、セシリアも殺すべきだった。
救えないのなら真っ先に殺すべきだった。
(俺の弱さだ)
責めてほしかった。
赦されたくなかった。
俺が俺を殺してしまいたかった。
だからセシリアに縋った。
壊れていく様を間近に見ながら、殺してやれなかった。
その弱さが無関係のアクティを巻き込んだ。
──おとうさん。
寝ぼけた青ヘビの、バカな寝言だ。
握り締めていた拳を開く。
「ローラン!」
三人の声が重なる。
振り返りはしない。
「この大馬鹿……!」
「君って奴は本当に……!」
トゥーリアの祈りを俺の魔力が塗り替えていく。
(トゥーリア)
光の束が俺の身体を呑み込む。
(……またな)
えぇ、またね。
赤髪の魔女が笑ったような気が、した。




