第2話 勇者、少女を助ける。
生い茂る草や視界を阻む草を分けて駆けた先、目に飛び込んで来たのは、人型の魔物に囲まれた赤い髪の少女の姿だった。
敵はゴブリンが三体。
他には見当たらない。
棍棒を片手に粗末な布きれを身体に巻いた緑色の魔物で、強くはないが非戦闘員が相手にできるほど弱くもない。人を小バカにするような笑い方が一番の特徴で、見ていると腹が立つ。こういう事態じゃなければシカト一択だ。
木を背にした少女の側には籠が転がっていた。溢れているのは木の実や薬草で、摘んでいる内に森の奥に入り過ぎてしまったんだろう。
「誰か……!やだ、来ないで!!」
「目ぇ閉じてろ!」
三体に追い詰められた少女に声を上げた。
「ギャギャ?」
目を閉じた少女を横目に、振り返ったゴブリンの内、並んでいた二体に向けて抜いた剣。
右から左へと軽く一閃。
「ふぁああ」
気の抜ける声の主は肩に乗っている青ヘビ──アクティだ。
フードの中に下半身があるから落ちはしないがフラフラと目を回している。その澄んだ緑色の目の中で、俺の茶色の瞳が一瞬だけ黄金に輝いた。
見慣れたものだ。
特に感慨はなく、ずるりと斜めにずれて倒れたゴブリン二体に視線を戻した。
血飛沫は上がらない。
俺に使われた剣は斬り口を焼く。
「ホンット、微妙」
勢いを殺し切れなかった靴の側面で土埃を立てながらボヤいた。
聖剣だろうが鈍らだろうが、なんでも斬れ味抜群なのは大いに結構。強敵相手でもすかさず止血する親切設計がなければ、尚良し。
「ギャ!?ギャギャギャッ」
「こんなん、ただのハンデじゃねーか」
出血死はおろか、体力低下も狙えない。ブツブツと愚痴をこぼし、逃げ出そうと背を向けた最後の一体に向けて前傾姿勢で地を蹴った。
ひと踏みで縮まった距離。
剣閃は一度だけだ。
ゴブリンは声を上げる間もなく、静かに崩れ落ちた。
「主様、終わったですかぁ……?」
汚れのない剣を鞘に納めると、まだフラついているアクティが口を開いた。
「おう」
「走る時は、もう少し早く言ってくださいです」
「急いでたんだよ」
「急いでてもです」
言いながら俺の頬にペチペチと頭突きしてくる。不満がある時はいつもこれだ。痛くも痒くもないがウザったくはある。
「主様、わかったですか?」
「ハイハイ」
適当に相槌を打ちながら、ゴブリンの亡骸を集めて茂みに隠していく。すべて運び終えてから振り返ると、少女は律儀に目を閉じたままだった。
「おじょーさん、目ぇ開けていいぞー」
「え……あ、……」
「もう怖くねーかんな」
怖々と辺りを見回した後に俺を見上げてホッと息を吐く。
地味な容姿も悪くないと思うのはこんな時だ。大柄じゃないから威圧感もないし、どこにでもいそうなメガネ。しかもヒョロめ。
「ありがとう、ございます……」
「おう。ケガねーか?」
「はい」
わざわざ笑顔を意識する必要もないのは気が楽でいい。「なんか安心する」という聖女と魔女のお墨付きは伊達じゃないらしい。
ゆっくりと歩み寄り、足元に転がっていた籠に散らばった採集物を戻していく。
「森の外まで送るから、今日は帰った方がいい。兵士にゴブリンが出たって話せるか?」
コクンと少女の頭が縦に揺れた。
採集は街の人間にとって大切な仕事だ。話を聞いた兵士達は王都近隣の見回りを強化するだろう。わざわざ戻り、出張る必要はない。
「よし」
差し出した籠を受け取った少女を先導すべく、三歩進んだところでアクティがまた頭突きしてきた。小さな頭を指で押さえる。
「なんだよ」
「あの子、動かないです」
「は?なんで?」
振り返った少女は籠を抱き締めたまま俯いていた。採集用ズボンが頼りなく震えている。
俺からすれば笑い方がムカつくだけの存在でも、彼女にとっては恐ろしい魔物だ。ガシガシと髪を掻いた。
「アクティ、行け」
「ボクです?」
「人化して手ぇ引いてやれ」
「赤髪ですよ?お近づきになれるですよ?」
「いーから」
「わかりました」
にゅるりと俺の身体を這い降りるアクティに、背負ったカバンへ片手を突っ込む。ガサガサ漁り、雑に取り出したのは頭からすっぽり被れるローブと靴だ。
地面に降りた青ヘビにローブを被せると、特に何の前触れもなくポンッと少年が現れた。
青い長髪にローブから覗く華奢な手足。
十二、三歳の、目に眩しい美少年が土の上に座り込んでいる。
「主様、どうです?」
「靴履け」
「くつ、苦手です」
「ったく……」
両膝を折ってしゃがみ込み、アクティの踵を持ち上げて靴を履かせていく。自分で履けるくせにいちいち甘えてくるのは荷物持ちのせいだ。アイツが過保護だったから癖がついたに違いない。
内心で息を吐き、少女を横目に窺う。丸くなった瞳には驚きだけが浮かんでいて、使い魔が人化したこと自体には恐怖はなさそうだ。特別珍しい話じゃないからだろう。
「やっぱり苦手です。ヘンな感じです」
「ヘンでも履いてろ」
立ち上がったアクティは不満げだ。
さっさと立った俺に頬を膨らませつつ、履き心地を確かめるように地面を何度か踏み締めた。
「おじょーさん、おじょーさん」
俺の呼び方を真似しながらパタパタと少女に駆け寄っていく。
「家に帰るですよ。ボクと手を繋いでたら怖くないです」
「わ、私……」
「大丈夫です。ボクの主様、イケメンじゃないですけど強いです」
「顔関係ねーだろ」
数歩離れていた俺はつい突っ込んだ。
「女の子はイケメン好きです。今の主様は違うです。仕方ないですよ」
「うるせーよ。なんで貶されてんだよ、俺」
「ふふっ……」
「笑った」
くだらない応酬に少女が喉を鳴らした。
アクティが瞬き、俺は肩で息を吐く。笑えたなら大丈夫だろう。
「あ……ご、ごめんなさい……!」
「いいです。笑ってる方が可愛いです。ね?主様」
「ハイハイ、そーだな。行くぞ」
「愛想悪いからモテないです」
「いーから手ぇ繋いどけ」
「はいです」
片手で草を払い、飛び出た木の枝を折りながら二人の前を歩く。背後でポツポツと交わされる会話は俺の他愛ない悪口だ。助けたのにこの扱い。解せない。
「──それで、主様がボクからオヤツを取り上げたです。鬼畜です」
「魔物のネズミはお腹に悪そうだからじゃ……?」
「そんなことないです。美味しいです」
「そうなんだ」
驚く少女には悪いが、アクティが言っているネズミは俺よりデカかった。
折るには忍びない枝を背に、少女に向かって顎をしゃくる。出口だ。
「ここまで来りゃもう大丈夫だ。今度からは浅い場所で採集すんだぞ?」
「そうです。奥だと兵士に声が届かないです。主様が地獄耳で良かったです」
「おまえはいちいち俺を貶さなきゃ話せねーのか」
しみじみと頷くアクティが、少女から離れて俺に寄った。その頭を雑に撫でる。籠を抱き締めた少女はクスクスと笑いながら丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございました。あの、これ。お礼です」
籠の中から差し出されたのは丸くて赤い実だ。手のひら大の果実はありふれた物だが、日持ちするし旅には持ってこい。有り難く受け取ろうとした俺は、もう一歩近づいた白い指先に目が止まった。伸ばしかけた手がピタリと止まる。
「嫌いですか?」
「主様?」
俺を見る二人の無垢な瞳。
変な気まずさに側頭部を掻いてから、アクティを小突いた。
「もらっとけ」
「わかりました?」
前に出たアクティが両手で受け取る。少女はもう一つ籠から出して、アクティの手に二つ目も乗せる。果実を持ち上げ、緑色の瞳をキラキラと輝かせながら見せてくるアクティは嬉しそうだ。
「もらったです」
「ありがとな。気ィつけて帰れよ」
「はい。本当にありがとうございました!」
深いお辞儀をして、何の未練もなく颯爽と門へ向かって行く背中。
アクティの手から果実を一つ拾い上げ、シャツの袖口で軽く磨いてから歯を立てた。シャリと鳴る実は新鮮だ。程よい酸味が口内に広がる。
「名前聞くとかないんかい」
「話さないからですよ」
「いやいや、少しくらい興味持っても良くねーか?」
ヤサグレる俺を真似て、アクティもローブで擦ってから果実を齧る。シャリシャリと二人分の咀嚼音が響く。
さっさと食べ終えた俺は踵を返した。もぐもぐと頬を動かしているアクティの視線は、開かれた門の中に消えていく背中を追っているようだ。
「良かったですね、主様」
「何がだよ」
「あの子、無事でした」
最後の一口を頬ばり、果実の汁だらけになった両手を伸ばしてくるアクティ。
「……まぁな」
指先を小さな両手に向け、水、と呟く。それだけでアクティの両手は水球に包まれ、パシャパシャと濯いだ後に手を抜けば、地面に落ちて沁みていく。
「便利です、主様」
「礼を言えよ。つか、俺の服で拭くな」
「あ!!」
話を聞かないアクティが声を上げた。
そして陽が落ちてきた空を指し示す。
「主様!夜がきます!」
「お?おぉ、やべえやべえ」
人化した時と同様に、ポンッと青ヘビに戻ったアクティを肩に乗せた。
ローブと靴をカバンに詰める俺の、肩から落ちた一本縛りの長い毛先が黒く染まり始める。
「主様!シャツみちみちです!」
焦ったアクティが頬に頭突きを繰り出した。
「ちょ、邪魔すんな!」
舗装された道。
背後の森。
どちらに行くか迷ったのは一秒にも満たない。
アクティの頭を手のひらで防ぎながら、俺は森の中へ戻った。




