第26話 現当主レイナルト
無事にフォード伯爵夫妻の馬車を見送った私とレイナルト様。
音が遠ざかっていくのを黙って聞いている。
――無言が怖い。
私よりも怒っていませんか……?
背後に立つラルフと執事長はずっと頭を下げている。
私も、レイナルト様の顔が見られません。
しかし、今回は本当に致命的だ。
若いというだけで侮られやすいというのに、同格のフォード伯爵家に醜態を晒してしまいました。
レイナルト様の足元に、ニャン旦那様が座りました。
『上級メイドは必死に証拠隠滅中だ。新人に罪を被せるつもりだ』
「……詳細を」
『クララに恥をかかせるのに失敗した上級メイドたちが集まっている。今もメリーが追求しているが無駄だろう』
確かに、メリーだけでは厳しいでしょう。
もうすでに、新人のメイドに責任を被せるつもりなのだから。
人を何だと思っているのでしょうか。
自分が切り捨てられることなんて一切考えない。
しかし、他人はすぐに利用して捨てる。
大嫌いなタイプです。
「先に逃げ道を塞ぐ。徹底的にだ」
『よし、では俺が見聞きしたことを全部伝えよう。……その前に、ラルフに――』
ニャン旦那様の言葉に、レイナルト様が黙って頷く。
「ラルフ。客人が使ったテーブルを片付けさせるな。誰も近づけさせないように」
その命令に、ラルフの硬い声が返ってくる。
証拠隠滅も許さず、処断するつもりのようです。
「畏まりました」
そしてラルフは、そのまま素早く立ち去っていった。
「執事長」
「……はい」
「お前は俺についてくるように。前回の忠告が何の役にも立たなかった。当主の命令より、使用人同士の感情が優先される屋敷になったらしい」
レイナルト様の自嘲げな笑い声が漏れる。
その重い響きに、背筋に冷たいものが流れました。
声の圧が、全然違う。
「……申し開きもできません」
彼は振り返り、白髪が混じった執事長の前に立ち、そのまま静かに質問する。
「……お前は、俺が何者か覚えているか?」
執事長がさらに頭を低くして、声を張り上げて答えた。
「我が主、ヴィセルク伯爵でございます」
「そうか、安心した。少なくとも、お前はまだ覚えているな」
黄昏が迫る。
レイナルト様の金髪も、緑の瞳も暗く翳りを帯びていく。
レイナルト様と執事長の会話に、私は口を挟めません。
ですが、せめてレイナルト様の隣に立てるように。
先頭に立って重荷を背負うレイナルト様が、ふと隣を見たときに孤独じゃないように。
私も同じ景色を見るために、早足でついて行く――。
「では、確認しに行こう。――この屋敷の主が誰なのか」
レイナルト様は、夕日に照らされた屋敷に向かって歩き出した。
その後を、執事長がついていった。
「己の行いがどう返ってくるのか……。そんな簡単なことも知らない者たちにな」
足元のニャン旦那様は、レイナルト様を案内するように前を歩いて行く。
レイナルト様の言葉はとても苛烈でしたが、どこか苦さを含んでいた。
それは私の気のせいでしょうか。
旦那様の背中は、いつもより大きく見えました。
私は小走りで彼の隣に並び、一緒に扉をくぐる。
静まり返っている屋敷の中で、これから何が起きるのでしょうか。
想像がつく分だけ、心に重石が積まれるようです。
レイナルト様が私に手を差し出し、足元ではニャン旦那様が私を見上げています。
ええ。わかっています。
夫婦ですから。
これから一緒に戦いましょう!
またまたヴィセルク伯爵夫人の出動です!
ニャン旦那様は、メイドたちの会話を事細かに伝えていった。
そのままどんどん廊下を進んでいき、レイナルト様も迷わず猫を追っていく。
そして辿り着いたのは、使用人食堂だった。
扉の向こうからメリーの声がした。
「クララ様が寛容だからって調子に乗って!もう看過できません」
「だって、トロくて間抜けな“変人令嬢”が、いきなり女主人顔して偉そうにしているのよ?認めるわけないじゃない。ねえ?」
これはノーラの声ですね。
その言葉に、他の声も追従していく。
「そうよ。今回のことだって結局は奥さまが悪いのよ。私たちの忠誠心を蔑ろにするんだもの」
「それに、そこの新人が功を焦って勝手にしたことよ?お客様にお茶を出すなんて光栄だったでしょう」
レイナルト様の手がピタリと止まった。
私は、思わず彼の手を凝視してしまいました。
――血管が浮き出ていませんか、大丈夫ですよね?
「子爵家ごときのメイドが偉そうに。どうせあなたも平民でしょう?なにを我が物顔で伯爵家内を歩き回ってるのよ」
くすくすと笑い声が聞こえてくる。
それを耳にして、血が沸騰するかと思いました。
メリーまで馬鹿にして……!
「代々ヴィセルク家に仕えて、支えていたのは私たちなの。レイナルト様が、あの女の言葉を信じるわけないでしょう?」
その言葉に、レイナルト様は一気に扉を開いた。
「なによ、空気も読めないの――」
不快そうに顔を歪めた上級メイドたちは、レイナルト様を見て黙り込みました。
驚きで固まる使用人たちは、見事に三分割されている。
中央では、ノーラを始めとした上級使用人たちとメリーが対峙しています。
メリーの背後には、彼女が庇うように立つ新人メイド。
そして壁際には、気まずそうに成り行きを見守る使用人たち。
「面白い話をしていたじゃないか。どうした、続けろ」
傲慢にも聞こえるレイナルト様の声音が、広い食堂に響いた。
その瞬間、使用人たちの間に重苦しい沈黙が落ちた。
――と思いきや。
すぐさまノーラたちは、レイナルト様に駆け寄ってきた。
異様な光景だ。
レイナルト様の後ろには執事長もいる。
普通なら、使用人が直訴するにしても、手順があるというのに……。
ノーラは、レイナルト様の目の前で指を組んだ。
「旦那様!私たちは悪くありません。あの新人が全部勝手にしたことです。それに――」
切実な声で訴えた後、ちらり、と私の顔を見た。
その視線で、彼女の思惑がわかってしまいました。
お優しい“奥さま”もどきが仲裁するか、旦那様からの温情を期待しているのでしょう。
これが古くからの重臣の娘?
レイナルト様をずっと支えていたと主張する使用人?
ノーラや上級使用人の実家が、私と同等の爵位を持つから女主人を軽んじてもいいと?
ここまで勘違いできるなんて、いっそ感心してしまいます。
うちの子爵家の使用人の方が、節度もマナーも弁えています。
「旦那様。うちのメリーを馬鹿にするこの人たちを、どうなさるのですか?」
隣を見上げるとまだ若い男性の姿が映る。
確かに元を辿れば、この屋敷の歪みを見過ごしてきた責任は、レイナルト様にもあるかもしれません。
そしてこれからも、その苦労を背負って立ち続けなければならない。
私個人としては同情します。
ですが、彼は先ほど執事長に問いました。
――“己が何者か”。
そうです。
レイナルト様は、正当なるヴィセルク伯爵なのです。
私の生半可な感情なんて、その重みを少しも軽くできません。
「クララは怖いな。今回も試しているだろう」
「……ええ、半分は。そしてもう半分は貴方への期待ですよ。レイナルト様」
……ただ少しだけ。
彼の背中を見守る。そのくらいはできると思いたいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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