第23話 何から助ければいい?――レイナルト視点――
ラスト、少し加筆しました。
「えへへ。楽しかったですぅ〜」
呂律が回らない口調で、クララが腕にしがみついてくる。
その指をそっと引き剥がし、彼女の肩を押した。
「まあ、クララ様!どれだけ飲まれたのですか!」
「ちょっとだけよ〜。レイナルト様なんてこーーんなに飲んでたんだから!ですよねぇ、うふふ」
メリーからジト目で見られているが、誤解を解きたい。
決して俺が勧めたわけじゃない。
目を離した隙に、クララが俺のエールを呷ったんだ。
しかも彼女は、三杯も飲んでいないはずだ。
ホテルへ戻ると、酔ったクララはもう限界だったらしい。
メリーが、うとうとし始めた彼女を着替えさせる為に部屋を出ていく。
俺は黙って、足取りが覚束ないクララの背中を見送る。
「デートはどうでした?レイナルト様の顔を見ただけでも結果がわかりますけど」
「ああ……」
ラルフに聞かれるが、なんと答えればいいのやら。
――楽しかった。
クララといると、今までの世界が覆るようだ。
誰が想像するだろう。
伯爵夫妻が飲み屋で歌い、酔っ払いを巻き込んで大合唱する。
見栄も肩書もなく、ただの“レイナルト”になっていた。
「……また誘いたいな」
「おや、珍しくセンチメンタルですね。奥さまも楽しそうでしたし、また観劇でも、お忍びデートでもすればいいじゃないですか」
ラルフの言葉に、思わず胸ポケットに触れる。
微かに紙の感触が指に伝わった。
先日“新たに浮かび上がった文字”を見た瞬間、とっさに猫とクララから隠してしまった。
「……そうだな。また誘えばいいだけだ。――それで、ラルフ」
「はい」
着ていた服を乱雑に脱ぎ捨て、白い夜着に袖を通す。
瞬時に思考が切り替わる。
楽しい時間はここで終わりだ。
「ヴィセルクの内部調査はどうなっている?」
椅子に腰掛け、机に置かれた書類に視線を落とすと、ラルフの硬い声が返ってくる。
「メイドが数人、奥さまに反感を持っている様子です。ただ、実害は出ていないので、旦那様が処理をすると、重臣から声が上がる可能性が高いですね」
「厄介な。自分の娘を宛てがう目論見が外れたからな……。素直に諦めればいいものを」
“各家臣を蔑ろには出来ない”という理由で、受け入れた使用人も多い。
これでも、調整には気を使ったのだ。
それが仇になるとは。
(親戚一同を纏めている間に、今度は家臣の問題か)
いっその事、何らかの理由をつけて一掃したい気分だ。
クララの気鬱に関しては、伯爵家内部の問題だろう。
だが。
本当にそれだけだろうか。
そっと手紙の縁をなぞる。
――最初に見た遺書とは、明らかに文字の温度が違う。
思わず目を逸らしたくなる言葉だ。
だが、クララを裏切るようで懐から手放せない。
そんな文字が並んでいた。
なにかが致命的に間違っているような焦燥感が募る。
なんだ?
親戚を洗い直したほうがいいのか、それとも臣下か。
(問題が山積みだな……)
「……はぁ。俺は猫にも劣る」
「え、どうしました!?情緒がおかしいですよ!?」
ラルフの慌てた声が聞こえてくるが、気にしている余裕もない。
自然と愚痴が漏れる。
「お前も、あの猫と話せばわかる」
「……不憫すぎる!」
「そんな目で見るな。正常だ。……しかし、猫の協力が不可欠だな。完全に信用してもいいものか」
奴の情報が曖昧すぎるのが問題だ。
まだ何かを隠しているような気もする。
「不憫すぎるーーー!!」
珍しく、本気で心配されてしまった。
医者でも呼び出しそうなラルフを追い出して、続き部屋へ移動する。
タウンハウスでもよかったが、ホテルにしたのだ。
クララが少しでも、肩の力を抜けるように。
寝室は想像よりもシンプルだった。
目が痛くなるような派手な装飾や調度品もない。
貴族が泊まることが多いからか、使用人の部屋も付いているのがありがたい。
サイドテーブルに、小さなランプを置いてそのままベッドへむかう。
クララは既に寝息を立てている。
彼女を起こさないよう、そっとその近くに腰を下ろすと、すぐ側で声がした。
『どうした、レイナルト。随分とラルフが騒がしかったな』
「……猫。聞いていたのか」
布団の上で丸まっていたらしい。
耳がぴくぴくと動いている様子から、ラルフとのやり取りも筒抜けだったのだろう。
動物の聴力は侮れない。
俺は盛大な溜め息をついて、視線を下に向ける。
ただの猫にしか見えない。
しかし、間抜けだとしても“俺”であり、“ヴィセルク伯爵”だ。
こいつなら、どう動くだろうか。
案外、バッサリと切って捨てるかもしれない。
二年後の俺は、命さえ失うらしい。
ならば、家臣の忠誠心も一族間の問題も、些細なことに感じるのではないだろうか。
「俺が、地盤を固めるのに集中していたせいだ。愚かな野心を抱いた人間を、どう扱えばいいのか……」
目の前で猫が鼻を鳴らした。
『誤魔化すな。本当に悩んでいるのは、そんなことじゃないだろう。毎晩確認している胸元の紙。――何が書かれている?』
緑の瞳がスッと細められ、顎で俺の胸元を示す。
その瞬間、心臓が音を立てて軋んだ。
猫の視線は明らかに“逃がさない”と告げている。
――これは観念するしかないな。
息苦しさからか、緊張からか、知らずに息を止めていたらしい。
指先が僅かに強張っていた。
俺は胸元から、一枚の紙を取り出した。
何度も何度も読み返したせいで皺ができてしまっている。
サイドテーブルの明かりの前で、そっと開いて見せた。
✦―――――――――✦
レイナルト様。
助けてください。
助けてください。
助けてください。
✦―――――――――✦
静寂が落ちる。
隣で息を呑む気配がした。
猫が低く唸り声を上げ、牙を剥き出しにして俺の腕を引っ掻いた。
『お前!何故、今までこれを見せなかった……!いつからだ!』
鈍い痛みが走り、温かいものが腕を伝って床に落ちていく。
だが、気にもならない。
それ以上の痛みが、ずっと心臓を苛んでいたのだから。
「メリーが来た数日後くらいか。夜中に突然現れた。……なあ、教えてくれよ。何から助けてやればいいんだ。そんなに酷い病に罹るのか?」
これを書いたクララは、どんな状態なのか。
何度も何度も、繰り返し想像してしまう。
避けようがないのか?
クララの必死の訴えに応えられない自分が情けない。
そしてこの叫びを無視しているように思えて、ずっと手元に置いていた。
『……詳しく知らないんだ。最後まで俺の顔を見たくなかったらしい。もう消えた遺書に書いてあっただろう。“旅立つことさえ心待ちにしている”と』
猫の言葉に、息を詰める。
あの遺書を読んだ時、自分の目を疑った。
クララが書いたとは到底思えなかったのだ。
「知らないだと?見舞いにも行けなかったということか?いくらなんでもおかしいだろう」
『……おかしかった』
猫が苦々しげに呟いた。
『彼は……見舞いに来ていたらしいがな』
夫の見舞いは拒否し、“彼”とやらには会っていたということか?
以前猫が言っていた初夜の失敗と、例の愛人騒動で見限られたのか。
「彼とは誰のことだ。明らかに使用人じゃないだろう」
『……忘れろ。今のは失言だった』
牙を剥き、鼻の頭にしわが寄っている。
猫の表情など分かるはずもない。
だが、明らかに不機嫌な様子だ。
「おい、全部教えろ」
『……まだ言えない。だからこそ、こうやって待っている』
猫は、ふい、と横を向いた。
――この野郎。答えるつもりはないってことか。
「お前!クララの未来を知っているんだろう!?推論でもいい、教えろ!」
『お前が余計なことをしたら困る』
思わず舌打ちする。
こうなったら、意地でも話さないだろう。
自分のことだからこそ理解できてしまう。
だが――。
「……味方じゃないのか?」
『クララの味方だ』
「……話にならないな」
こちらが声を荒げた瞬間、ぶわりと猫の毛が逆立った。
緑の目が剣呑な光を帯びている。
『……尻尾を掴まなくては。今回は確実に狩る』
「お前は一体、なんなんだ」
今までの認識が覆される。
どこかで、絶対的な味方だと思っていた。
間抜けな猫だとも考えていた。
しかし、こいつは本当に“レイナルト”なのか?
『お前の成れの果てだよ、レイナルト』
忘れた頃に、不穏回収……です。




