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大新月 5

 降る雪はないが、その日は格段に冷えていた。城の中も暖房された部屋ならば温かかったが、廊下や吹きさらしの回廊は寒い。

 ヴェステルベリ伯爵家の令嬢ヤットルッドは、コートの上に暖かな毛織のストールをしっかりと頭から巻き口元まで覆って、肩をすくませて冷え冷えとした廊下を歩いた。

 この時間に城を下がると伝えていたので、もう通用口に伯爵家の馬車が来ていた。

 ヤットルッド嬢が頷いて合図すると、馭者(ぎょしゃ)が扉を開けてくれる。乗り込んだヤットルッド嬢は、席に座るとほっとやるせないため息を漏らした。

 馬車が動き出し、後ろの小窓を振り返って外をうかがうと城の下働きたちが伯爵令嬢を見送り終え、今は寒そうに肩をすくめ戻っていくところだった。

 ヤットルッド嬢は前に向き直り、椅子に深く腰掛けなおした。

 どんどんと迫ってくる城壁の向こうの低い空は、沈んだ灰色だ。

 ヤットルッド嬢は両手を膝の上に綺麗に重ね、馬車が無事に走っていくのを感じ取っていた。

 あとは門を出るだけ。

 あと少しだ。

 ところがそこで不意に馬の歩みが乱れて、馬車が止まった。

 ヤットルッド嬢は不安そうに顔を上げた。

「失礼します」

 外で声がする。ちょうど城門の前で、くぐり抜ければ城外はすぐだ。商人のものらしい荷馬車が通り過ぎていった。

 いきなり馬車の扉が開いた。開いたのは近衛だ。

「ヤットルッドさまとお見受けします。申し訳ありませんが、お顔をお見せいただけますか」

 丁寧な依頼の言葉だったが、その視線は拒絶をさせない強さがあった。

 ヤットルッド嬢はとっさに身を引くようにして反対側の扉へ視線を走らせたが、そちらにもすでに別の近衛が立っていた。


 「やめてちょうだい! 手を放して! あなたたち、無礼よ!」

 姫を両側から挟むように歩く近衛二人は、無言で、姫の腕にかけた手をゆるめることはなかった。

「いやよ、いや! やめて! 助けて! ああ、お父さま! お父さま!」

 近衛の控え室へやってきた。そこで待っていたのは腕を組み、難しい顔をして立ちはだかるクラーエスだった。

「クラーエス! あなたね! 待ち伏せなんかして! ひどい人!」

 姫はクラーエスをにらみつけた。

 姫をここまで連れてきた二人の近衛は、後ろで扉を閉め、やっと姫を解放した。

「陛下からは二度と祭の夜のようなことのないようにと厳命を受けましたから」

「わたしはただどうしても行かなくてはいけないところがあるのよ。そこに行きたいだけじゃない」

「どこへでしょうか?」

 クラーエスの声は低く、どこか平坦だ。何かを押し殺して響く。

「あなたには関係ないでしょ。わたしは十日以上も毎日公務や勉強に縛られて、やっと今日ならちょっと自由になれたのに。他の人はみんな、いつでも好きな時に好きなところに行けるわ。いつも自由に生きている。なのにどうしてわたしだけ駄目なのよ! わたしは姫なのに、どうしていつも召使や臣下に、外に出ることをお許しください、っていちいち頭を下げなくちゃいけないの。平民に生まれた方がよっぽど幸せだったわ。そうしたら、わたし、いつでもあの方に会いに行けたのよ。わたしはただ、確かめたいだけなのに。あの方がご無事でお元気かどうか、それだけをこの目で見たいだけなのに。なのにそれすら許してもらえない。ずっと今日を待っていたのに。やっぱりクラーエスが邪魔をする。それなのにみんな、みんな……。誰もわたしの思いなんかわかろうともしてくれない。わたしもう、もうわたし、耐えられないわ!」

 姫は美しい涙をポロポロと頬に転がし、とうとう両手で顔をおおった。肩が小刻みに震え、小さな嗚咽が漏れてくる。その身が小さく儚く見えて、クラーエスは一歩、歩み寄った。手を伸ばし、そっと肩に置こうとする。

「姫。姫は、りん……」

「ああー、クラーエス」

 近衛の一人が声をかけた。

「俺たちはそろそろ通常業務に戻らせてもらうよ」

 クラーエスは振り返ってマグヌスに頷いた。

「ああ。そうしてくれ」

「さあ、仕事仕事」

 マグヌスは最後までなりゆきを見とどけたかったらしい同僚スタッファン・ダールの肩を押して、退出していった。

 マグヌスがきっちり扉を閉めるところまで見送って、クラーエスは大きく息をつき、再び姫に向き直った。

「姫」

 姫はまだ泣いていた。そっと肩に手を置くと、嗚咽のたびに姫の悲しげな震えが伝わってくる。

 そのまま小さな背中に手をまわし、引き寄せようとしたら、ハッと姫が顔を上げ、身をよじってクラーエスの手から逃れた。

「やめて! 汚らわしい!」

 昨日の夜に読んだ物語の、女主人公のセリフだった。ハンサムな敵の男に言い寄られ、自分の心に従ってきっぱりと拒む、りりしいセリフだ。

 クラーエスは赤くなり、

「姫、わたしはただ……」

自惚(うぬぼ)れないで。あなたは父が勝手に決めただけ。あなたはわたしのこと、なんにもわかってない。あの方だけよ、わたしを外へ連れ出してくださったのは。あなたはいつも、できない、無理だ、と言うだけだったじゃない!」

「外へ、とは?」

「わたしを閉じ込めていた病室のことよ! 忘れたの? ほら、やっぱりあなたは、わたしのことなんかどうでもいいのよ!」

 クラーエスは歯をくいしばった。

 幼かった頃から姫が暮らしていた城の最上階の特別室。姫の長い病のために用意された部屋だった。クラーエスも何度も訪れたが、喪で王都を離れている間に、姫の病は癒えて特別室は閉じられた。

 姫を迎えに行ったのは、エリノルだった。

 あの時、自分が王都にいれば。

 そうだったら、必ず自分の義務を(まっと)うしていた。

 けっしてエリノルに遅れはとらなかったのだ。

「姫はエリノルの秘密を知りたいとおっしゃっておられましたね」

 今思いついたことなのに、まるで前から計画し用意していたかのように、突然ある考えがクラーエスの中で閃いた。閃くより一瞬早く、口から姫をそそのかす言葉が飛び出していた。計画の詳細は後からついてきたようだった。

「やっぱりあなた、知っていたのね」

「いいえ、わたしは何も知りません、まだ今は。ただ、あばく方法なら知っていると思います。ご覧にいれましょう。塔の(あるじ)の秘密を」

「今あの塔は開かないのよ。あなたにそんなことが本当に出来るの?」

 姫は期待しながらも彼を疑っていた。

 クラーエスは唇の片端をゆがめるように上げた。

「出来ます。エリノルがわたしを欺いていなければ。ただし、魔法使いの秘密をあばこうというのですから、いつでも可能というわけにはいきません。姫にはあと五日、待っていただきます」

 姫はしばらく考え、きゅっと唇を引き結んだ。

「いいわ。五日ね。だけど今度こそ、約束は守ってもらうわ」

 クラーエスはうなずいた。

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