大新月 3
「なんですって?」
姫は侍女たちと昼下がりのお茶の時間を過ごしていた。
冬が来た灰色の天候に澄んだ青空が戻ってきて、空気にも温もりのある気持ちのよい日だった。
姫はベルツ卿に予告された新作小説が届くのを楽しみにしていて、侍女たちと新しい作品について、蜂蜜たっぷりの花茶をいただきながら、うきうきと話し合っていたところだった。
そこへ侍女が外出していたせいで鼻も頬も赤くしてやって来ると、思いも寄らないことを言ったのだ。
「エリノルさまの塔の鍵は渡せない?」
「はい。エリーザベトは、あのケネット通りの占い師のお婆さんは、今は誰にも鍵を渡していないと言うのです」
まあ、とつぶやいて眉をひそめた姫を見て、侍女たちがいっせいに息をのんで声を上げた。
「なんてことでしょう!」
「いったいなぜそんなことに?」
「まさか本当に姫の使者に対しても下々の者へしたのと同じ、そんな冷たい返答をしたというの?」
「なんて傲慢なんでしょう」
「それで」
姫はカップをテーブルに置いた。
「お婆さんに教えてもらえないなら、以前もらった鍵で今も塔の扉が開くのか、確かめたのよね?」
「は? あの、い、いいえ……」
使いは徒歩だった。郊外のあの塔まで、馬も使わず通っていては戻ってくるのは夜になる。
「ああ、申し訳ありません、姫。わたくし……」
侍女は恐れ入るように腰を低く下げた。
「わたくし、他のことを考えてしまったのですわ。エリノルさまはまだ体調がすぐれないのかもしれないわ。それで今は鍵をどなたにも渡していないのでは、と。ですから一刻も早くそのことを姫にお伝えしなければと、そう思ってしまって」
「エリノルさまの体調のことなら、わたしもちゃんとお察ししているわ。あの日、本当はエリノルさまは、まだあまり体調がよろしくないのに急いで塔へ戻られた」
クラーエスがあまり長い間あの別邸に居座られても困るようなことをほのめかして、それを察してエリノルさまはあんなに急いで塔へ戻られたんだわ。クラーエスはわたしのことだって、さっさと城へ帰れと急かしていたくらいだもの。そうでなくてどうしてエリノルさまが医者の制止を振り切るの。先生はまだしばらくは安静にとおっしゃっていたから、わたしもまだゆっくりと別邸にいらっしゃるのだと思っていたのに。
「だからこそお見舞いに行って、いろいろお届け物をしたいと思っているのよ」
それなのにこの侍女はそんなわたしの思いも察してくれない。わたしの願いが叶うようなんて思ってもくれない。
「ああ、姫。姫はなんておやさしい方なのでしょう」
もう一度侍女は腰を低くした。
姫はやめてちょうだい、と手を振った。
この侍女を見ていると、本当に悲しくなる。ぺこぺこ頭を下げるだけで、何もしてくれないんだもの。気持ちの通じない侍女を持つのはつらいことなのだ。
「あなたは侍女には向いていないのかもしれないわね」
姫は思いつきを口にした。
そしてはっと気がついた。
そうよ、そういうことなんだわ。
「人には向き不向きがあるっていうもの」
姫は微笑んだ。
「あなたはやさしい家族の元に戻りなさい。そしてもっとあなたにふさわしい仕事か、それとも恋人を見つける方がいいわ」
恋を知って、わたしは人の痛みを知った。エリノルさまとの苦しい恋が、わたしをこんなに成長させた。やさしい家族の元に戻りなさい。つらい仕事なんてしなくていいから。以前のわたしだったら、こんな風に相手を思いやる言葉は言えなかったと思う。
姫は自分が限りなく優しい顔をしているだろうことに満足した。
だが言われた侍女は息を呑み体を凍らせていた。そしてさっと姫の足下に身を投げ出した。
「姫、ですがわたくし、仕事を失ってはこの先……。家族の収入はこれだけなのです。お願いでございますから、それだけは……」
こんなに優しく言ってあげても、主人の思いやりをわかってもらえないなんて。
困り果てた姫は、それでも出来るだけ穏やかに言った。
「侍女の仕事にあなたは誇りを持っているの? それだったらわたしも何も言わないわ。でも、中途半端な気持ちで仕事をして迷惑をかけていないか、まわりをよく見て。ね?」




