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大新月 2

 マグヌスはその日、婚約者のビルギット嬢と王立図書館で会う約束になっていた。

 女性はもっとロマンチックな場所に連れて行かないと。でないと、婚約を破棄されるぞ。

 休憩中に同僚たちは、からかったり役に立たない助言をしてくれたりした。よい男たちなのだ。マグヌスは機嫌良く聞き流しておいた。


 図書館は以前は聖堂だった建物だ。広々とした閲覧室は中央を歩廊が貫き、両側に整然と並んだ書架は高く、平行に置かれた書見台はどれも大きい。

「もう来ていたのね」

 手元から顔を上げると、ビルギットが隣の倚子を引き出しているところだった。

「あなたもかけて」

 ビルギットは連れの女性に声をかけた。

「彼女がお願いしていたあの小説の作者よ。直接あなたから感想を聞かせてほしいそうなの」

 さっそく、頼まれていた本が取り出される。本と言うより、仮製本、まだ角の一箇所にだけ綴り紐を通した紙の束だ。

 本の著者はビルギット嬢と同年代の若い女性だった。地方から夢を描いて王都へ出ると、良家でさる夫人の話し相手(コンパニオン)を務めながら努力を重ね、ベルツ卿に文才を見いだされたということだった。

「読ませていただきました。これに出てくる青年が、エリノル・エイジェルステットをよく()しているか、というご質問でしたね」

 マグヌスは紙束の中程を開き、親指の腹でページをぱらぱらと落とした。

「うまく描けていると思います」

 作家女史はパッと破顔した。

「本当にそう思われます? ああ、よかったわ。あの方に(じか)にお会いして、お話をしたこともある人にそう言ってもらえて。エイジェルステット家の方を描くなんて、本当は無謀でしたわ。もちろん、すぐれた小説家は見たこともない経験したこともないことだって現実のように描きあらわせるものですけれどね。それに、読者の期待にはそわなくては、プロとは言えませんもの」

 作家女史は自信に満ち溢れていた。マグヌスが何かしら助言したら、あなたは小説が読めない人だと言い出しそうな迫力すらあった。

「恋をすると胸が切なくなって、涙があふれてくる。この人の書く物語には恋の真実が描かれているのよ。わたし、本を閉じたとき、どんなことにも負けないで、自分らしく生きていこうって気持ちになるの。わたし、この人の本で人生を学んだわ」

 感激した姫のお茶会に招かれ、姫から親しく次回作の要望を受けたという噂は貴婦人や令嬢たちの間に広く聞こえていた。もちろん姫の希望は恋の物語。賢い作者は、主人公のお相手のモデル選びを間違えなかったのだ。


 「ねえ、本当にあれ、エリノルさまそっくりに描かれていたの?」

 作家女史と別れ、街へ出る。

 時間があるからお茶でも飲みましょうと店に入ると、注文をすませたビルギット嬢がたずねた。

 マグヌスは図書館で借りた本をテーブルに置いた。本を借り出すなど、近衛の身分がなければ出来ないことだった。著者はセルベル教授。五百年から三百年前、ちょうどフネスリーデン王国時代に数多く建てられた護持塔についてのおもしろい説が繰り広げられている。

「いや、待ってくれ。俺はエリノルさまとはほとんど会話をしたことがないと、何度も念を押したはずだけど?」

「仕方ないわ。わたしだって婚約者が近衛だからって、無理強いされたんだから。で、本当にあんな方なの?」

「だからさ、俺なんかがあの方と親しく話せるわけがないんだよ。ましてうちとけた会話がかなうものか」

「それはそうね。あちらは神さま、こちらは平民」

「少なくともあの物語、無垢で一生懸命な女の子にとって理想的な恋の相手としてはうまく書けているんじゃないのかい?」

「ええ、すごく上手。姫はあの人の書く物語が大好きよ。あの甘い甘いハッピーエンドで、幸せなお気持ちになられるでしょうね」

「文芸は奇っ怪でこそだよ。美しさも醜さも、願望は強調され、自我は拡大し、持たなくていい感情に振り回……」

「待って」

 ビルギットはさっと手をあげた。

「耳栓を用意するから」

「わかったよ」

 ビルギットは以前、ヴェステルベリ伯爵家の嫡男アルノルドから、婚約者の長広舌にどうつきあっているのかと問われ、「愛ですわ」とやわらかく答えて感心されたことがあった。

 アルノルドは、ビルギット嬢が深い愛情を持って婚約者の話に耳を傾け、彼の口から最後のひとことが紡ぎ出される瞬間まで、その後もしばらく、優しく恋人を見守っているのだと空想したようだ。いずれ彼自身の恋人が、真実を教えるだろう。

 ふたりは運ばれてきたお茶を飲んだ。

「あの作家女史はベルツ卿がパトロンをしているって言っていたね」

「ええ。卿が姫のお慰めにって紹介したそうよ。自分の作家が姫に気に入られて、卿もご満悦。今では貴族やお金持ちのお嬢さまたちにも大人気で、作者もたくさんの人に読んでもらえて大満足。前作は主人公が死んでしまう悲しい恋の物語、今度はうらやましいほどのハッピーエンド。でも彼女、ベルツ卿から設定や文言に細かい注文をつけられるし、締切は徹夜の連続になるほど短いし、自分の思い通りには書かせてもらえないって、愚痴ってたわ」

 とは言え、一種の高等遊民の仲間入りは、地位はないけれども教育を受け、矜持(きょうじ)と野心を持った若い女性にとって、現実的に望みうる最上の大出世だろう。姫に飽きられ、ベルツ卿に見限られるわけにはいくまい。

「ベルツ卿は作品にそんなに口出しをするんだ」

「彼はやり手よ。ウルリーカ姫にすっかり気に入られて、人事でよい地位を手にしたとか。金回りもずいぶんいいらしい」

「ふうん。ベルツ卿ね……」

「そんなことより。はい、今夜のチケット」

 ビルギットは歌劇のチケットを二枚、示してみせた。

「さ、その学術書はしまっちゃって」

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