魂の半分 8
「エリノルさまが、お帰りになった?」
姫はぼうぜんとエリノルの病室に立ちつくした。
姫は朝早くから台所係の召使たちの手を煩わせて、パイを焼いた。生まれて初めてお菓子を作りたいと思ったのだ。エリノルさまが大好きなパイを、手作りして差し上げたい。
しばらく前から取り組んでいたがなかなか満足のいくようにはできあがらなくて、侍女たちを何度も叱咤し、今日も二回目でようやく自分でも納得のいくパイが焼き上がった。
焦げ過ぎも切れ目の乱れも膨らみの偏りもない、本当に完璧なパイ。侍女たちも口々に素敵ですわ、姫様は本当にお上手、などとほめそやすほどの出来栄えだった。
これならエリノルさまも美味しいと言ってくださるわ。
そのようにわくわくしながらパイを侍女に持たせて部屋へやってきたというのに。一緒にエルンストに頼んで淹れさせたお茶も運ばせたというのに。午後はこれを食べてゆっくりと過ごしていただきたかったのに。
部屋へやってくると、召使がエリノルが寝ているはずのベッドからシーツ類をはいでいるところだったのだ。
「姫、お城からお迎えが来ています。もう戻りましょう?」
待ちかまえていた侍女たちが口々に言った。
「このパイは国王陛下へおみやげにいたしましょう? 陛下もきっと喜ばれますわ」
クラーエスも迎えに来ているのだと言われた。
「どうしてお別れも言わせてくれなかったの?」
「それは」
侍女たちが困惑して互いの顔を見合った。
姫がパイを作っている最中、侍女の一人が台所へ伝えにきたが、姫はパイ生地をこねさせるのに夢中で聞いていなかった。侍女たちも粉だらけの姿の姫を人目にさらすのはよくないと判断したのだ。
「わたし、あんなに一生懸命エリノルさまの看病をしたのに。こんなのってない。どうしてなのよ。ひどいわ!」
姫はわっと泣き出した。
すぐに侍女たちがいくつも手をさしのべて、しゃがみ込んでしまった姫の背をなで、白いハンカチで姫の涙をぬぐった。手を握り、肩を抱きしめ、姫を慰める。侍女たちの優しげでたおやかな声が次々に掛けられた。
「姫、なんておかわいそう。これほど悲しい目にあわれて」
「本当に、こんなひどい事ってありませんわ」
「ですけれど姫。姫はこんなにかわいらしいのですから、もうこれ以上悲しいことなど起こりません」
「そうですとも。何も心配なさらないで。心から信じていらっしゃれば必ず姫のお気持ちは通じます」
泣き顔を整えられ、着替えさせられて、よろめきながら馬車に乗る。もうエリノルのいないオレーンの別邸から、姫は城に向かった。
どうしてエリノルさまはわたしの真心を受け取ろうとなさらないの? あれからずっとずっとおそばにいて、精一杯看病して差し上げたのに。
ぼんやりと馬車の窓にあらわれる冷たい冬の並木を見ていたら、また新たな涙が浮かんできた。
姫の馬車の少し前を、クラーエスが馬に乗って進んでいた。並足で、馬の歩みに合わせて彼の広い背中が揺れている。姫はその背中をじっと見た。
もしかして、エリノルさまはクラーエスに遠慮しているの?
不意にそう思いつくと、もうきっとそうに違いない気がした。
クラーエスは父が勝手に決めた相手。わたしには関係ない。わたしのことはわたしが決めるわ。愛し合っていれば、強く強く信じ合っていれば、いつかきっとわたしたちは結ばれるんです!
「エリノルさま」
一緒に馬車に乗ってくれていた侍女が姫の肩に手を回し、新たな涙に身を震わせはじめた姫を抱き寄せた。姫はさらに声を殺して泣き続けた。侍女は姫の肩を優しくなでつつ、窓の外にまなざしを投げ、言った。
「なんて悲しいのでしょう。なぜ姫ばかりがこんなひどい目にあわれるのでしょう。これ以上の不幸はこの世にはありませんわ。運命に引き裂かれて。おかわいそうに。でも、姫。そんなに自分ばかりを責めなくても、姫はこんなに清らかな方なんですもの。いつか必ずわかっていただけて、姫はきっと幸せになれます。この世で誰よりも幸せに」




