ゴトフリートの夜祭 9
姫のそばには誰もいなかった。
アールストレーム公爵家のオレーンの別邸。その一室に、姫は一人きりだった。暖炉に火は入っていたけれど、召使も侍女もおらず、とりあえずはメイキングされたベッドがあるだけの、そこは姫にはおざなりな部屋なのだ。
ヤットルッドに借りた外套は雪と泥に汚れ、自分のドレスもすっかり濡れていた。冬の夜の外気をいっぱいに吸い込んだ衣服は、雪で作られたようにしんしんと冷たい。そんな格好のまま、姫は着替えもできず、床に座り込んでいた。
屋敷に馬車が到着すると、みんなエリノルを大事に運び、看護に走り、姫は大急ぎでこの部屋に押し込められたきり。「この部屋をお使いください」と頭を下げた老いた召使は、そそくさと廊下を去っていった。
その後は誰も姫の様子を見にも来ない。
クラーエスさえも。
エリノルさまはどうなったのかしら。
不安が心をよぎる。けれどもそれを知らせてくれる者はいない。
思い切って扉を開けて廊下をのぞいたが、灯りのないそこは真っ暗で、何もわからなかった。
まるで一人だけこの世から取り残されたようだった。
夜が明けて部屋を出てみたら、わたし以外のすべての人たちが、一晩のうちに死に絶えているのだ。いえ、あの真っ暗な廊下から、銀色に光る刃が静かに音もなく近づいてきて、わたしの命を奪おうとするのだわ。
ゾッとする予感に姫は泣いた。
ふいに、部屋の扉が開いた。
喉を引きつらせた悲鳴を上げて振り向くと、エドヴァルド叔父上が扉を後ろ手に閉めたところだった。
「ウルリーカ、大変な夜だったな。大丈夫か?」
「……ああ、ああ、おじさま……」
大丈夫ではなかった。ウルリーカは大粒のなみだをこぼして、叔父に抱きついた。
「ああ、わたし、わたし、……」
叔父にしっかりと抱きしめられ、姫は泣きじゃくった。
「ウルリーカ、今夜はどうしてあの林に行った?」
「わたし、わたしたち」
姫は涙をこらえようとしてできずにしゃくりあげ、声を上げてしばらく泣いた。やっと落ち着いてくると、姫はどうにか今夜の顛末を語りだした。
ヤットルッドとこっそり祭りを見に行こうと、数日前から約束していたこと。けれども直前になってヤットルッドが怖気づいたこと。ずっと今夜を楽しみにしていた自分には諦められなかったこと。
たくさんの焚き火を見たわ、どれも綺麗だった。
そしてあの林にたどり着き、馬車を降りてみたこと。そうしたら偶然にもエリノルを見かけたこと。ご挨拶に向かったら姫の目の前で彼が倒れてしまったこと。それがどれほど胸の潰れる出来事だったか。
涙の合間に姫はやっとそれらのことを語った。
叔父は勇気づけるようにあやすようにいつまでも姫の背中をさすり、何度も頷いてくれた。そして最後に大きな手で姫の涙を拭いてくれた。
「さあ、ウルリーカ、事情はよくわかった。今夜はもうなにも考えず、よくお休み。いいね。ほら、顔を上げて。笑顔をお見せ。そう。もう大丈夫だ。いつものウルリーカだ」
励ますように言うと、叔父は連れてきた召使に姫を任せ、出て行った。
「姫、着替えましょう」
召使は姫を立たせた。
「さあ」
外套の前のボタンを外しにかかる。自分のいつもの召使より乱暴で、本当はわたしはこんな人に召し使われるような人間じゃないんだと言いたそうな顔をしていた。姫にはそう見えた。
あてがわれたネグリジェは姫にはたっぷりと大きかった。その上レースもリボンもない。しかも絹ではなくて、ただの綿なのだ。
なんてこと、この屋敷には貴婦人のためのきちんとした寝衣も用意されていないのね。
着替えがすむと、ベッドに入るようにと言われた。押しやられてすごすごとベッドに横たわると、召使が上掛けを姫の上からぐっと押さえた。
「エリノルさまは、エリノルさまはどうなったの」
押さえつけられた上掛けの中から頭を上げて、これだけはきかなくてはと思いつめてたずねる。
「わかりません。きっと神がお決めになるでしょう」
答えると彼女は部屋を見て回り、乱れた調度を並べなおし、暖炉の火を調え、さっき椅子にかけておいた姫の衣裳をドレス、下着、外套と、一つひとつ自分の腕に重ねのせ、
「おやすみなさいませ」
扉を閉めながら丁寧に頭を下げて、出て行った。
ひどいわ、クラーエス。
冷たいベッドの中で、姫は唇を噛んだ。
わたしはこんなに、こんなにもエリノルさまのことを心配しているのに。
それなのにこんなにエリノルさまから遠ざけられて。
ここまでおろそかな扱いを受けて。
姫の目尻から新たな涙がとめどなくこぼれていった。
エリノルさま、どうかご無事でいらして。
今夜はエリノルさまのご無事だけを考えていることにしよう。
こんな冷たい夜だもの。
それだけを、せめてわたしだけは、祈っていよう。
姫は胸の上で両手をしっかりと組み合わせ、闇の中で目を閉じた。




