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ゴトフリートの夜祭 8

 馬車が到着すると、オレーンの別邸はクラーエスの手配で慌ただしくも、エリノルを迎える準備をととのえていた。玄関には毛布を敷いた召使用の背もたれのない長椅子が担架の代わりとして置かれ、馬車からエリノルが下ろされると、すぐに横たえられ、毛布で体がくるまれ、召使とクラーエスとで持ち上げて客間へ運んだ。

 客間の暖炉には火が入れられ、ベッドは真新しいシーツが敷かれ湯たんぽで温められていた。

 侍医も呼びにやられていたが、先生はまだ到着していない。ここから先生の自宅は、さすがに遠かった。

 真っ先に駆けつけたのはマデリーネさまだった。いつものお美しい顔を真っ青にし、知らせを受けるとそのまま馬車に飛び乗ったと想像されるお姿で別邸に到着すると、すぐさまエリノルのいる部屋へ案内され、その枕辺に膝をついた。

「エリノル」

 気持ちを抑え、マデリーネさまが呼びかけた。

「エリノル!」

 だがエリノルが意識を回復する様子はない。公爵家の来客用にふさわしいラーゲルレーブ・ホワイトグースダウンの寝具にくるまれ、柔らかな枕に頭を沈め、いつも笑みに細められた目は閉じられたままだ。儚く横たわる彼のかすかな呼吸の気配が、そこにまだ命のあることを伝えていた。

 温かすぎるほど暖められた部屋で、誰もが息を詰めて立ちつくしていた。

「ああ」

 マデリーネさまは両の手で顔を覆い、そのまま崩れ落ちるかと思われたが、後ろからエドヴァルド殿下が肩を支えた。

「どうして、エリノル、今夜は新月なのに……。なぜ塔を出たの」

 新月?

 一瞬それを聞きとがめたクラーエスだったが、

「申し訳ないが、ここに彼女の椅子を用意してもらえるか? マデリーネは弟君から目を離せまい」

 エドヴァルド殿下に申し出られた。

「はい」

 すぐに召使を手配に向かわせる。

「隣の部屋を、お二人でお使いください」

 この二部屋は扉一つで続きになっているから、何が起こってもすぐに駆けつけられる。

 運び込まれたソファーにマデリーネさまが落ち着くとほとんど同時に、侍医の先生がようやくやってこられた。すぐに自身も呼吸や脈拍等を確認しながら、枕元で付き添っていた医者にあれこれと話を聞く。

 それを見守っていると、エドヴァルド殿下がクラーエスに外へ出るよう小さく合図を送ってきた。

 頷いて廊下へ出る。

 殿下は深刻だった表情をいくらか和らげた。殿下は来る馬車の中で、マグヌスからある程度何が起こったのか話を聞いていて、起こった事態を受け止める心の準備はできているのだった。

「君には大変な祭りの夜になったな、クラーエス。エリノルにこのような形で命を落とされては、我々も申し訳が立たないところだ。君には感謝している。本当にご苦労だった」

 クラーエスは頭を下げた。

「わたしの執事にも後から数人連れて来るように言いつけてきたから、必要なことがあれば使ってくれてかまわない。不足はないかね?」

「今のところは……」

 クラーエスの声は重い。

「そうだな。物の不足より、君には休憩が必要なようだ」

 殿下はクラーエスの肩を叩いた。

「今夜は友人と休みなさい。後はわたしが引き受けよう」

 目で教えられ、クラーエスがそちらを振り向くと、アルノルドとマグヌスが廊下の隅に立ってこちらを見ていた。マグヌスなどはどこから見つけてきたのか、ブランデーの瓶とグラスも持っていて、それをにっと笑って振って見せた。

「城にはもう連絡したかな?」

「あ……」

 それはうっかりと失念していた。

「では、わたしの屋敷の者が到着したら、誰かを()ろう。姫のことも心配しなくていい。君たちは、今夜はじゅうぶんに働いてくれた。さあ、もう休みなさい。明日からまた、がんばってもらうよ」

「はい、殿下。ご温情に感謝します。失礼いたします」

 クラーエスは一度エリノルの眠る病室へ視線を投げ、友人たちの方へ歩いていった。


 クラーエスたちは主賓室に三人で入り込んだ。もう客間がなかったのだ。ここの別邸は小さな屋敷で、ほとんど私的な用事でしか使っていなかった。こんなに大勢の客を迎えたのは、おそらくこの別邸が造られてからはじめてのことだろう。

 マグヌスはグラスにブランデーを注ぎ、それを二人の同僚に回した。独特の薫香が、自分たちがとにかく一つ事をやり遂げたことを静かにたたえ慰めてくれるようだった。

「我々の尽力(じんりょく)に」

 乾杯、とは声に出さず、ただ互いに軽く持ち上げてみせるだけで、グラスを傾けた。

「回復してくれるといいな」

 アルノルドがつぶやく。

「そうだな……」

 クラーエスは一口飲んだだけで、あとはグラスを手の中におさめていた。

「疲れたか、クラーエス」

 できるなら二人で人工呼吸と心マッサージを手分けしてエリノルの蘇生をやりたかったところだが、どうしても姫をなだめる役を引き受ける者が必要だった。結局クラーエスが一人、最後までエリノルの命をつなぎ止めるためにがんばることになってしまった。

「ま、多少な」

 クラーエスは前髪をかき上げた。はあ、と大きく息を吐く。

「王弟殿下にあとをお任せしたら、気がゆるんでしまった」

「そりゃそうだろう」

「姫はどうされているだろう。ちょっと見てくる」

 クラーエスは立ち上がろうとした。

「あとは大丈夫だ。俺たちは休もう。クラーエスなんか早番だったから、早朝からの長時間勤務になってるじゃないか。全部を一人で背負うことはないさ。あとは明日でいい」

 そうアルノルドに引き留められ、そうだな、と思ってしまった。

「クラーエス、着替えた方がいいぞ。背中が濡れたままだ」

 マグヌスが指摘した。

 クラーエスは林で外套を脱ぎ、そのまま雪に降られていたのだ。背中に積もった雪が溶けて、近衛の上着を冷たく濡らしていた。

 元々ここに置いていた召使は少なく、それも全員エリノルの看護と客の接待に出払っていた。そのためクラーエスは自分の召使に着替えを手伝わせることができなかったが、マグヌスはその種の手作業になれていて、クローゼットから適当なものを見繕ってくると、それをクラーエスに寄越した。

「殿下にお許しいただいたんだ。俺たちもくつろがせてもらおう」

 アルノルドの分も引っ張り出し、自分も近衛の制服を脱ぎ、控えめながら意気揚々と一等公爵家のガウンを羽織った。

 そして三人、暖炉の前で再びブランデーをやる。

 クラーエスは背を丸めて座り込み、黙って酒を飲んだ。暖炉の火にあたっても酒を飲んでも、まだ身体の芯から冷えた感覚が抜けなかった。

 静かな間ができたところに扉を叩いて召使が顔を出した。

「ユッシ先生がお帰りになるそうです」

「ユッシ? それは誰だ?」

 クラーエスはまったく覚えのない名前だったが、すぐにマグヌスが手を上げた。

「俺が引っ張ってきた先生だよ。ああ、後日あらためてお礼に伺うとお伝えしてくれ」

 マグヌスがとりあえずの謝礼を渡し、召使が去っていった。

「イェルケル通りのユッシ先生は、あの辺りでは一番の名医だ。祭りだから先生もどこかの焚き火にあたりながら上機嫌かもしれないと思っていたが、ご在宅でよかったよ」

 あの時真っ先に医者を呼びに行こうとしたのはアルノルドだった。アルノルドが思った医者は、侍医だった。いつも自分たちの屋敷に来てもらう高名な医者だ。

 しかし下町に近いバルテルス地区からそんな医者を呼びに行っていたのでは、あきらかに遠すぎだった。しかし、それ以外の医者をアルノルドは知らない。

 マグヌスは知っていた。

 あの時、自分が何をするつもりなのか言葉を尽くして説明したり、いかに自分の方が適任か他を納得させたり。そんなことに割く時間や余裕はなかった。一瞬の判断だった。

「マグヌスと医師を呼びに行く役を交代してよかったよ。俺だったら間に合わなかった」

「いやいや、泣き叫ぶ女の子を押し付けられても、俺には手も足も出ない。適材適所だったよな」

 アルノルドとマグヌスはニヤリとグラスを触れ合わせた。

 高く澄んだ、よい音がした。

「俺たちはできることはやったんだ。あとは神様がどうにかしてくださるだろう」

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