ゴトフリートの夜祭 2
「姫、どうしても行かれるのです?」
「行くわ」
姫は言った。きっぱりとした口調に、思いの強さを込めて。
いつもおっとりとしたヴェステルベリ伯爵家の令嬢ヤットルッドは眉根を寄せた。
「でも、クラーエスさまや兄上に内緒にされなくても」
「仕方ないわ。ちょっとお祭りを見てみたいだけだって言っても、クラーエスはどうせ大げさな準備をしてからだって言い張るに決まってるんだから。先に誰かを派遣して体裁を整えるだとか。側衛は誰を何人つけるか検討するとか。そういうことさせていたら夜が終わってしまうわ。そもそも夜に出かけるなんて、クラーエスは絶対に許してくれないもの」
「そうかもしれませんが」
「あなたに手伝わせたなんて、もし万が一あなたのお兄様にばれても言わないから安心して」
「それはかまいません。ただ」
自分のドレスの上に、ヤットルッド嬢の外套を着こむ姫を助けながら、伯爵令嬢は顔を曇らせる。
「きちんとお話ししておいた方が、やはりよろしいように思いますわ。もしも……」
「いやよ、だめ。絶対クラーエスに反対される」
襟を整えようとしてくれていたヤットルッド嬢の手が、姫がくるりと振り返ることで払われた。
「あなたはここまででいいわ。ただあなたの馬車を貸してくれて、あとは誰にも黙ってくれていればそれでいいから。誰にも言わないって、それだけ約束して。いい? 絶対よ? 私たちだけの、秘密の約束」
「はい、姫」
ヤットルッド嬢は頷いたが、本心は頷きたくなく思っているようで、姫は不安になった。
この人、わたしがいなくなればクラーエスにすっかり本当のことを話して、わたしを裏切るのだわ。
「あ、そうですわ、姫、こちらのストールもお召しになってください。今日は冷えますから」
ヤットルッド嬢が自分のストールを差し出した。姫はヤットルッド嬢の配慮をしばらく見下ろした。白い毛並みも美しい、ジーウと呼ばれる小動物の高級毛皮だ。薄いのに温かく、貴族たちが好んで防寒に用いる。
でもそれは、彼女自身がここまで身に着けてきたものだった。姫の変装用にと隠し持ってきたものではない。
わたしのために最初からあれこれ考えてくれていたのではなかったんだわ。つまり最初から一緒にお祭りに行く気はなかったのね。
彼女と一緒にいるとよく悲しい気持ちになるのだけれど、それがなぜかやっとわかった。なにもかも通り一遍で、わたしの思いはさっぱり感じ取ってくれないのがつらいのだわ。
クラーエスといいヤットルッドといい、わたしの周りって、何ひとつわかってくれない人ばかり。
けれどもストールは、あった方が寒くないに違いない。
「ありがとう。お借りするわ」
姫はストールを受け取った。
もう黄昏が終わろうとしていた。夜闇がそこまで迫っている。夏ならば太陽が高々と輝いている時間でも、冬の夕暮は早い。
ヤットルッドとぐずぐずもめた分、出かけるのが遅くなってしまった。
姫は部屋を出ると、ヤットルッドの外套で姿を覆って回廊を駆け抜けた。息を弾ませて振り返ったが、誰も追ってこない。
裏の通用口でヤットルッドが約束通りに待たせておいたヴェステルベリ家の馬車に乗る。馭者には顔を見られないように注意深くうつむいて、軽くうなずいて見せた。彼もあらかじめヤットルッドが言い聞かせておいたので、何もきかずに馬車を出してくれた。門を出る時に近衛たちに確かめられたが、彼らは馬車に乗るのはヤットルッド嬢と思いこんでいて、姫はすんなりと城から出ることができた。
「よかった。脱出成功ね」
抜け出す時を少しずらしてヤットルッドも部屋を出て、馬車の中で落ち合い、一緒に夜のお祭りを見に行きましょうって最初は言っていたのだけれど。せっかく一緒に楽しもうと思っていたのに、いざとなったら止めよう止めようって言うんだもの。気の小さい、つまらない人。もっと明るくて前向きで大胆で、一緒にいて楽しい人が伯爵令嬢だったらよかったのに。
「だけど、どうせ彼女はいなくてよかったんだわ。だって……」
ここまで来ればもう大丈夫、と、姫は頭からかぶっていたストールを取り去った。
祭りを楽しみたいと馭者には伝えさせていたので、彼はゆっくりと馬車を進め、たくさん寄り道をした。馬車の小さな窓から外を見ると、庶民がたくさん通りに出ていて、祭りをそれぞれ楽しんでいるようだ。日頃は禁止されている露店も路上の見せ物も賑やかだ。
姫はうらやましげに庶民を見ていった。
わたしのような不自由さも、どうしようもない愁いも知らず、この人たちはなんて幸せなんでしょう。この者たちの幸せの影でわたしは公務に追われ、空しさや不幸を強いられているなんて、誰も知らない、気にしてももらえないのだ。
馬車が広場にさしかかるたびに、大きな焚き火があらわれた。それが馬車に乗っていると、右の窓の外、左の窓の外、次々にあらわれて、見ているとわくわくしてくる。
「抜け出してよかったわ」
姫は心からそう思った。狭い馬車の中にいてもすっかり解き放たれて、自由の身になれた心地だ。
馬車は庶民の人出の多さに時々立ち往生しながら通りを進み、ゆっくりと王都の東、バルテルス地区へ向かった。




