ゴトフリートの夜祭 3
ブレンドレルの柊樫の林には年若い男女が多くたむろしていた。林のそばのちょっとした空地では大きな焚き火があたりをよく照らしている。姫はそこで馬車を降りた。
「あなたはここで待っていて」
馭者はこの時はじめて自分がお連れしたのがヤットルッド嬢ではないと気がついた。
「あ!」
馭者は驚いて歩み出たが、
「あなたのお嬢様は来たくなくなったって言うから、わたし一人で来たの。馭者のあなたが心配するような事じゃないわ」
姫が言うと、彼は引き下がってその場にとどまった。
「そこで待っていなさい」
姫は林に向かった。
柊樫がまばらに並んでいる。一本一本、柊樫を見てまわると、どの木の下にも男女が一組ずつ立っていた。一人ぼっちでいる人はいない。こんなに大勢いるとは思っていなかったので、姫はびっくりした。
なんてたくさんの人たちが、この夜を幸せに過ごしたいと思っているんでしょう。
焚き火の明かりは林全体を照らすには小さいから、奥まったところはよく見えない。影に隠れている人たちもいて、これではよくわからない。
姫は林の中を進みながら、焦りはじめた。多すぎるわ。
せかせかと足を急がせ、左右に目を走らせていく。と、なんとなく右手へ歩いてみた姫の顔がぱっと輝いた。
「いらした」
姫は一本の柊樫の下に一人きりの立ち姿を見つけ出した。外套のフードを目深にかぶっていたが、姫には絶対に見間違えようがなかった。
これだけの人の中からあんなに人目を避けるようなご様子のエリノルさまを一目で見分けられたわ。
それこそ互いを引き寄せ合おうとする恋の力に思えて、姫の心が弾んだ。
ゴトフリートの日は晩秋の迎冬祭りだが、いつの頃からか、庶民たちの間でその夜、柊樫の下で恋人たちが口づけを交わすと、二人は永遠に結ばれ幸せになれると信じられるようになっていた。
ほほえましい柊樫の伝説の方は今では貴族にも知られていて、お忍びでどなたが訪れたようだと毎年噂が流れ、揺れる恋心は身分を問わないと教えていた。
「今夜は恋人たちの特別な夜なんだもの。姫君のわたしは父王が決めた相手と結婚しなくちゃいけない。国のために恋を禁じられた残酷な運命も、今夜だけは許されていいはずよ」
こういう夜は、女の子ならお友達の恋を応援したいって気持ちにならないのかしら。わたしだったらなるわ。いっぱいなる。
もしかしてヤットルッドはまだ恋をしたことがないのね。クラーエスのことを素敵だなんて言ってたけど、それはクラーエスが近衛の制服を着ているからそう見えるだけ。みんなが素敵だって言うから自分もそうなんだと思いこんでいるだけ。自分の気持ちなんてどこにもない。恋心なんてまだ知らない幼い女の子なのよ。だからさっぱり察しがつかないの。わたしがこの日こそって今日を選んだ思いが。本当なら今すぐあの方の元へ駈けていきたいような、この場から飛び立ちそうなたまらない気持ちが。
恋人たちの夜、きらめく星空の下、聖なる柊樫の木の下に並んで、二人は永遠の愛を誓い合うの。
ずっと前から決めていたわ。エリノルさまにわたしの気持ちを打ち明けるのはこの日だって。この日でなくちゃいけないのよ。わたしは姫だから、逃れられない運命を全部越える聖夜でなければ、願いは叶えられないんだもの。
その時、駆け出しかけた胸に、一瞬それをとどめる考えが浮かんだ。
少しエリノルさまをお待たせしちゃおうかしら。
物語に描かれていた。一人で待つ時間が長く長く、焦ったかったからこその、やっと会えた時の、あのときめき。
とても素敵な思いつきに、ふふっと声まで出してしまった。
だったらエリノルさまに見つかる前に姿を隠さなくては。
姫は彼の視線をさえぎる道を選んで遠回りした。わざと柊樫の一本をまわってみたり、ふらふら引き返して、戻ってくる。エリノルさまのいる柊樫はあちらの方向。と、それだけはちゃんと意識して。そんなふうにしばらく、ゆっくりゆっくり歩いた。
ああ、もう、もういいわ。もうエリノルさまをたくさんお待たせしたわ。
いくらも寄り道する前に自分の辛抱がもたず、姫はエリノルのいる柊樫に向かって恋路をたどる心地で歩き始めた。
ひときわ大きな柊樫を通り過ぎたところで、姫は黒ずくめの人物とすれ違った。
背が高く──おそらくマグヌスよりもずっと高く、すべてが黒衣の影の中に隠れていて何も見えない姿だった。
思わず目が吸い寄せられていた。
影の中の二つの目が姫をとらえた。
黒々とした微光が瞬いて、その瞬間姫は恐ろしい寒風に吹きつけられたように身体を震え上がらせた。まるで外套もジーウのストールも吹き飛ばされた素肌に氷を当てられたようで、姫は思わずぎゅっと自分の身を抱いた。
無気味な気配だった。
次に気がつくと黒ずくめの人物とはもう行き違っていて、姫は振り返ってその姿を追ったが、黒い影はもうどこにもなかった。
「なんだったのかしら」
なぜか不安な、奇妙な気もしたが、エリノルのいる柊樫はすぐそこだ。姫は足を速めてそちらへ向かった。
雪が降り始めていた。初雪だ。
冬の最初の雪に不似合いに、その雪は一つ一つが大きく重たく空から落ちてくるようだった。地面に触れるとポトンと音がする。
寒いはずだわ。姫はもう一度身を震わせ、外套の襟をいっそう合わせストールをきつく巻きつけた。
とうとうたどり着いた柊樫の樹影では、エリノルがその場に片手をついてうずくまっていた。足下に落とした大事な何かを拾おうとしているのだと、姫は思った。
「エ、エリノルさま……」
ドキドキと声をかける。
顔を上げ、そこにいるのが姫と気付いたら、この方はどういう表情をされるかしら。
ここが伝説の柊樫の木の下だと思い出したら。
そこで今夜という日に、自分と姫が出会ったのだと気付いたら。
こんな運命の出会いは他にはないと悟って、やさしくわたしを迎えてくださるのだわ。
「エリノルさま」
だがエリノルは顔を上げず、立ち上がる様子もない。雪がその背やフードのずれた髪の上にぽとりぽとりと舞い落ちる。
「どうなさいましたの?」
姫はしとやかに声をかけ、さらに歩み寄った。
「エリノルさま?」
エリノルの体が力をなくして地に崩れた。
外套が翻り冥衣が広がり髪が散り、地面に伏してしまった彼の体の上に白い雪がとどまることなく落ちてくる。
姫の顔からほんのりと上気していた赤みが消えた。
姫は声も出なかった。
息が止まり、体が凍り付いた。
脚の力が抜けて、そのままエリノルのそばに倒れ込むようにひざまずく。
やっと手を伸ばしてエリノルに触れたが、なぜだか姫にもわかった。
今まで一度も見たことはなかったが、彼の美しい顔がもう魂を遠くへ向かわせた人のものだとはっきりとわかったのだ。
「ああ」
誰かに絞めつけられたようだった喉からやっと、声がほとばしった。
「い、いやです、エリノルさま、そんな」
姫は叫んでいた。
「だ、誰か、助けて。誰か、わたしたちを助けて!」




