坂道の雨 -3-
「ふうん、現場検証ねぇ」
合流した石上は、僕の話を聞いて興味のなさそうな顔した。
「道路に寝転がったり、ガードレールに寄りかかったりしてもらうから」
「はぁ? そこまでやんのか」
「もちろん」
「事故があったのは一年以上前なんだろ? 現実的に考えて手がかりを見つけるなんて無理だろうに」
心底嫌そうに言う石上をスルーして、携帯のナビで現在地を確認する。目的地まではまだ距離があった。
自転車は車のまったく通らない細道を抜けていく。周辺は玉ねぎ畑が広がっていて、うねには黒いビニールが被せられていた。それが何列も連なっている様子は壮観の一言に尽きる。僕らが通っている細道は舗装されているけれど、車が通るためというよりは農業機械を運搬するための道なのだろう。車がすれ違うには幅が狭い。
平地を吹く風は生暖かった。
石上は両肘をハンドルに乗せながら器用にペダルを漕ぎ、それからひょいと顔を上げた。
「しかし、今日は良い天気だな。こんな青空の下にいるとサッカーでもやりたくなるぜ」
「やろうと思えばやれるじゃないか」
「まあな。でもやらない、今更だろ?」
「そうかな」
「ボール用意して、仲間集めて、グラウンド借りてって考えると動けねえよ」
このやり取りは前にもしたことがある。やはり、石上は心の奥ではサッカーに未練があるんじゃないかと思う。二年生にもなってまたサッカーをやるのは石上の言う通り今更だけど、別に二人でボールの蹴り合いをするくらいなら付き合ってもいい。
「でも身体は動かしたいんだろ。軽くパス練でもやる?」
「いいって……ったく、親父がマラソン始めた気持ちがわかる気がするわ。マラソンならシューズだけあればいいからな」
「親父さんマラソン始めたんだ?」
「おう。勝田マラソンでハーフ走るって意気込んでるぜ。俺は完走は無理だと思ってるけど」
「へえ……ハーフって二十一キロだっけ。違った?」
「合ってる。うちの高校のマラソン大会は八キロぽっちだからそのニ・五倍だ。とんでもねー距離よ」
勝田マラソンは毎年開催される大規模なマラソン大会だ。日立関係の社員はマラソンをやる人が多く、大会の協賛企業にも日立は名を連ねている。コースはひたちなか市内の広い地域をぐるっと回るもので、当日は大規模な交通規制が敷かれる。コースの内側に家があるとまさに陸の孤島といった具合だ。四時間はランナーの流れが途切れないので身動きが取れなくなる。昔、石上の家に遊びに行ったときはそれで帰りが遅くなったっけ。
そんなことをぼんやり考えていると、石上は「なあ」と言い、急に真面目くさった表情になった。
「これは一応聞いておきたいんだが、小野寺の過去を掘り返してどうするんだ?」
「うん?」
「いま俺たちがやっているのは、他人の過去を暴くようなことだろ? そんなことしなくても、お前は小野寺と仲良くやっていけるんじゃねえの。下手に首を突っ込んで、関係がギクシャクしたらマズいと思うんだが」
……ああ、そういう忠告か。
僕は石上の問いかけに明け透けに答えた。
「もっともな意見だとは思う。考えてたんだ。小野寺さんと知り合って図書委員で一緒になれて、現状にはそこそこ満足は出来てる。このまま小野寺さんの過去を封じたままでも良いのかもしれない。でも、それでいいのかなって疑問に思うんだ。前に石上は僕が変わったって言ったよね?」
「……言ったな。中学の頃のお前は、もっと独りよがりだった」
「そこから僕はちっとも変わってないらしい。僕は小野寺さんの気持ちとか、そういうのとは関係なく自分のために小野寺さんの過去を暴こうとしているんだ。自己満足だよ。僕は小野寺さんの過去を純粋に興味本位で覗こうとしている。それって悪いことと思うか?」
「……手放しに褒められた行為じゃないのはたしかだ。まあ、好きな相手のことを深く知りたいと思うのは普通のことだけどよ」
「僕は小野寺さんのことをよく知りたい」
迷わずに答えると、石上はやれやれと肩を竦めた。
「……そこまで腹が決まってんなら言うことはないな。俺にとっちゃ、小野寺は単なる名前と顔だけ知ってる他人だ。そんな奴の過去を暴くのには、ラーメン一杯の奢りで十分だわ」
「助かるよ」
「そうかよ」
ふんと鼻を鳴らして、石上はまたハンドルに両肘を乗せた。
――僕と石上は一面畑ばかりの景色を抜ける。目的地に近づいたのを感じ、僕たちは自転車から降りて手で押しながら周囲を観察することにした。
「事故現場ってのはこのあたりだよな?」
「そうだね」
付近のガードレールの状態を確認しつつ、辺りを見回す。
事故現場は美月佐奈が通っていた中学校から近い場所にあった。二車線の道路は緩やかな坂になっていて、坂の上から見て左手には畑があり、右手には住宅地がある。ガードレールは畑側だけに伸びていて、車両が畑に落ちないように敷かれているのがわかる。
「現場はもう少し坂の下側みたい。消防団の物置があるところらしいから」
「あれか」
石上は前方を指差した。屋根付きの白い物置がある広場が見える。そこまで行き周囲を確認してみると、そのあたりのガードレールだけが真新しかった。ここが事故現場で間違いないだろう。
「ふうん、敷地を囲んでる塀で視界が遮られてるな。こっから飛び出されたら車は反応できねえだろ」
石上は消防団の敷地を囲む背の高い塀を叩いた。
塀はそこそこ年季が入っていて、ところどころヒビが入っている。模様や飾りのない簡素な造りだ。
石上の言うように、塀のせいで視界は悪く思えた。
「お、猫じゃん」
石上は敷地で寝そべっていた猫に近づいていく。猫は石上に気づいても逃げない。
「人に慣れてるね。普通、野良猫ってもっと警戒心が強いだろうに」
「そうだな。消防団の人が餌でもやってんじゃね?」
猫は人懐っこそうに撫でられ、喉をごろごろ鳴らしている。
僕は猫から視線を外し、改めて現場を見た。
……ただの空き地って感じだ。
消防団の敷地は倉庫があるだけ。敷地は一面がコンクリートで固められていて、雑草一つ生えていない。すべすべとした質感のコンクリートは、靴で擦ると少しだけ耳に障る音を鳴らす。
石上は呆れたように言う。
「しかし何もないな」
「ないね」
「実際のとこ、美月佐奈がどう事故ったかはどこまでわかってんだ? 飛び出しじゃなく、道路沿いを歩いていて車の不注意でドン! ってのもあり得ると思うが」
「……それはいまから調べるとこ」
事故当時の細かい状況はわからない。僕は白河先輩に聞いた話と新聞記事に載っていた情報しか知らない。だが、わかっている情報から当時の状況を再現できないと二人の間になにが起きたのかは掴めない。
「石上、ガードレールに挟まれた状況を再現してみてくれ」
「どうやって?」
「ガードレールに横たわる感じで」
「やんなきゃだめ?」
「ラーメン一杯七百五十円」
「しゃあねえな」
車通りがないのは幸いだった。石上は渋々といった様子でガードレールにぐったりと寄りかかる。ガードレールの外側には人が歩くスペースはない。すぐに段差があり、下には畑が広がっている。路面から畑までの落差は五十センチほどだろうか。
僕は一つの結論を下す。
「畑があるガードレール側の歩道を歩くのは厳しい。少なくとも二人は住宅地側の歩道を歩いていたと思う」
「ふうん。なら、どうなるんだ?」
「畑側の歩道を歩いていて転んで轢かれたケースは考えなくていいってこと。美月さんはこの消防団の倉庫がある敷地から、道路の真ん中を越えて飛び出した。さらに言えば、ガードレールに挟まれるなら車は住宅地側を走っていたと考えるしかない。車は左車線を走るってのはわかるよね?」
「そのくらい猿でもわかる」
「じゃあ答えは出てる。車は普通、車道に飛び出されたら飛び出した相手とは反対方向にハンドルを切るはず。事故を起こした車は住宅地側の道路を走っていて、住宅地側から美月さんに飛び出されてハンドルを右に、畑側に切ったってこと」
「轢かれた子はガードレールに挟まれてたんだもんな」
「うん。加えて、車はハンドルを切ってなお美月さんを避けることができなかった。美月さんは反対車線のほうに抜けるように飛び出したってことになる」
「道路を突っ切ったってか」
「そうなるね。半端に転んだ程度ならガードレールには挟まれず、車に跳ねられて住宅地側の車道にふっ飛ばされる。そうならなかったのは、かなりの勢いで美月さんが道路に飛び出したことの証明になる」
美月佐奈は車道に勢いよく飛び出した。これは間違いない。
次の問題は事故が自殺であったのか否か? という点だ。
「美月さんがどう動いて事故に遭ったのかはわかった。でも、それが自殺だったかをたしかめないといけない」
「自殺か、否かねぇ。俺は自殺を考えるやつの気持ちがわからん」
「僕もだよ」
「……ふーむ」
石上は腕を組み、ガードレールを離れて消防団の敷地のほうに移った。
「車に轢かれて死ぬのって厳しいよなぁ」
頭の中でミュレーションしているのか、車道に飛び出すポーズを色々と試している。
「トラックならまだしもね。事故ったのは普通の乗用車みたいだから」
「じゃあやっぱ自殺の線はないんじゃねーの。白河先輩は自殺だと思ったらしいけど、あくまでそれは白河先輩の考えだろ?」
「まあね。でも、自殺じゃなかったならどうして小野寺さんはそこまでショックを受けたんだ?」
「知らん。実は小野寺も事故ってたとかじゃね」
「それなら小野寺さんも怪我をしてるはずだよ。でもそうじゃない」
「うーん……意味不明だな」
「……自殺だったのかがはっきりすれば、考えようもあるんだけどね」
このあたりで思考は止まってしまう。結局のところ、美月佐奈の事故の原因がわからないのが事態を霞に隠している。お互いに黙りこくって、しばし考え込む。
石上は「そういや」と言って空を見上げた。
「当日の天気ってどうだったんだ?」
「さあ」
「調べてないのかよ。ならたしかめといたほうがいいんじゃね。雨か晴れかで検証の仕方も変わってくるんだから」
「図書館まで戻れば調べられるだろうけど……ちょっと手間だね」
「ちっちっち、もっと簡単にわかる方法がある」
石上は得意げに人差し指を振る。
「なにかあるのか?」
「ああ、試合のときに伊織がスコア書いてただろ?」
「書いてたね」
伊織というのは石上の彼女のことだ。中学サッカー部のマネージャーをやっていて、当時、試合のときにはチームの戦績を記すスコアブックを書いていた。
「試合の後でスコアブックを見返すのに、当日のコンディションが載ってるとわかりやすいだろ。で、伊織は日本気象協会のサイトに載ってる当日の天気を書いてたんだ。このサイトは古い天気情報も載ってて、しかも一時間ごとの天気情報まで細かく残ってる。ポータルサイトなら天気なんてどこでも載せてるけど、信頼性が高いのはここだって伊織は言ってたぜ。事故が起きたのはいつだ?」
「九月七日、午後五時十分だ」
石上は携帯を出して検索を掛ける。
「オーケー、事故が起きた日は……小雨が降ってたみたいだな。朝から降っててそれが弱まってってことだから、二人はたぶん傘をさしてたんじゃねえか」
「傘、ねぇ」
雨が降っていたという情報は使えるかもしれない。雨が降っていたなら、視界も晴れの日に比べれば悪かっただろう。
視界の悪い道路、消防団の敷地の塀、ガードレールに挟まれた美月佐奈。
ぐるぐると頭の中で廻るキーワードが、九月七日の光景を形作っていく。
そのとき、美月佐奈はなにを考えていた?
「おい、どこ行くんだ?」
石上の声に顔を上げる。
どうやらそれまで日向ぼっこしていた猫が動き出したらしい。猫は「にゃあ」と鳴いて、道路に向かって歩いていった。そのまま道路を横断し、ガードレールを潜って畑に降りる。玉ねぎ畑の合間を歩いていく猫はとぼとぼと、気ままに遠ざかっていく。
石上はぽつりと呟いた。
「猫を助けようとして飛び出したってのはどうだ?」
「なくもないかもね」
そう答えて、僕はため息は吐いた。
結局のところ、美月佐奈がどうして飛び出したのかは問題ではない。美月佐奈が道路に飛び出したのは自殺だったとは考えづらい。自殺をするなら反対車線にまで飛び出す必要はないからだ。
交通事故が単なる事故や不注意で起きたものとして考えるなら、事故のキッカケになるような状況証拠は揃っている。路面は雨で濡れていたし、視界も悪かった。猫を助けるために飛び出したのだとしても不思議ではないし、傘が風に吹かれて道路に飛んでいったからってのもアリ。
自殺に轢死を選ぶのはまずない。
では小野寺は事故に遭った親友と事故当時、どういうやり取りをしていたのか?
考えるべきはこっちだ。
小野寺は親友の事故以降人が変わってしまった。なぜ?
たぶん、それは小野寺自身にたしかめたほうが確実だ。
ここから先は本当の意味で、興味本位の自分を小野寺にぶつけることになる。
僕は一旦考えるのをやめて、自転車に向かった。
「ラーメン、食いに行くか」
「もういいのか?」
「うん。この先は小野寺さんに直接聞いてみるよ」
それで小野寺がなにを思うのかはわからない。
ただ僕の脳裏には数ヶ月前に見た、小野寺が轢かれた猫を片付けていた姿が映し出されていた。




