坂道の雨 -1-
白河先輩は待ち合わせ場所に駅前にあるイタリア料理屋『メリア』を選んだ。
メリアは家族でたまに行くから、どんな店かは僕もよく知っている。イタリア料理屋と聞くと敷居が高いイメージを持ってしまいがちだけど、メリアは家族連れでも入りやすい雰囲気の個人店だ。
ボリューミーな料理を出すことで有名で、庶民派のお財布にも優しい店として知られている。夕方であれば学生もやってくるし、遅い時間帯は会社員が居酒屋感覚で立ち寄るのをよく見る。
白河先輩が待ち合わせにメリアを指定した意図はわからない。ただ、淡々とした文面で『待ち合わせは駅前のメリアって店。夕方五時で』と送られてきただけだ。
土曜日は授業が午前中しかないため、メリアには一度家に帰ってから向かうことにした。制服のまま時間になるのを待ち、家を出る。
店の表に自転車を止めて、メリアの店内に入ると、店の奥に同じく制服姿の白河先輩が座っていた。キリっとした目元に、運動部らしいショートカット。相変わらず爽やかな人だ。傍らにはエナメルバッグが置いてあり、部活帰りであることが窺えた。
入り口で立っていると、店員の人がやってきて僕に問いかける。
「お一人様ですか?」
「いえ、待ち合わせの人がいるので」
「わかりました」
受け答えをしている間に、僕に気付いたらしい白河先輩は軽く手を振った。
「おーい、こっちこっち」
「あ、はい」
小さく頷いて席に歩いていき、席に座る。
テーブルには赤と白のチェック模様のテーブルクロスが敷かれている。白河先輩は人気メニューの特製ミートスパゲッティを食べているところだったらしく、口元が少し赤くなっていた。
「練習終わりですか?」
「まーね。土曜日なのに遅い時間でごめんねー。なにか頼んでいいよ、奢ったげる」
白河先輩はメニュー表をこちらに寄越す。
それをそのまま下げて、
「コーヒーでいいです」
と短く答える。白河先輩は口を尖らせて言う。
「気ィ遣わず重いやつ頼んでいいのに」
「親がもう夕飯の用意しちゃってるんで……きちんと食べないと怒られるんですよ」
家を出るとき、台所からは生姜焼きの匂いが漂ってきていた。別に生姜焼きは冷蔵庫で冷やしておけば明日の朝にでも食べられるけど、白河先輩に奢らせるのも気が引けるし、遠慮しておいたほうが無難だろう。
「へー良い子だねぇ。ま、そういうことならしょうがない」
あっさり引き下がり、白河先輩はミートスパゲッティを口に運んだ。
運動の後でお腹が空いているのか、スパゲッティを水でも飲むようにぱくぱくと片付けていく。メリアのミートスパゲッティは男の僕が食べてもけっこうギリギリな満点メニューなのだけど、さすがハードな運動部で部長を張っているだけある。注文したコーヒーが届く頃には、皿はすっかり綺麗になっていた。
すごい食欲だ……。
白河先輩がペーパーで口元を拭き終わるのを待って、僕は切り出す。
「それで、今日は小野寺さんの中学時代について教えてもらえるんですよね」
「そうね。まー正直なところこんな早く話すつもりはなかったけど」
白河先輩はそう言って椅子にもたれた。
「どうせなら結衣から直接聞いたほうがいいと思ったのよね。でも、その様子だと誰かから話を聞いちゃったって感じでしょ?」
「ええ、小野寺さんと同じ中学だった後輩から聞いたんです。小野寺さんには中学時代に何かあった、と。詳しくは話してもらえなかったですけど……」
「ふうん」
気のない返事をして、白河先輩は窓の外に目を向けた。
勝田駅から真っ直ぐ伸びている昭和通りには絶え間なく車が流れ続けている。視線を目で追って、それから店内に戻す。白河先輩は僕の目を真っ直ぐに見ていた。
「篠崎くんってノンフィクションドラマって見る?」
「……いえ、あんまり」
「そう。私、ノンフィクションってあんまり見れないのよね。特にゴールデンタイムにやるような特番系っていうの?」
「……はあ」
話の流れに合わせ、とりあえずの相槌を打つ。
「やたら長いお話って苦手なのよー。ノンフィクションって嘘を描かないためにあったこと全部お話にするか、逆に感動話にするために盛ってそうじゃない。もっとサクっと見せて欲しい。篠崎くんはどう思う?」
「そもそも僕はあんまりテレビ見ないので……なんともです」
昔はベッドで横になりながら金曜ロードショーを見たりしていたけど、中学に上がった頃からはスマートホンを買ってもらったり、部活が忙しかったりでテレビを見る機会が減っていったように思う。
「あーそうだよねぇ。私、お母さんとドラマ見るのが習慣化してるから」
白河先輩は腕を組んで唸りながら言う。
「……えっと、この話要ります?」
「そりゃいるでしょ。前にも言ったけど、こういうのはまずは入りが重要なんだって。間を置かない導入なんてやりづらくてしょうがない。二時間ドラマも最初の三十分が大事なんだから」
「でも長い話は苦手なんですよね?」
「うん、全部は見ないけど最初の一時間とかは見るの。で、お風呂入って上がる頃にお母さんにネタバレしてもらうわけ」
「……それって楽しめるんですか?」
いくらなんでも中途半端すぎる。
「まあまあ面白いわよ。最初の一時間で犯人って大体わかっちゃうから。キャストでわかっちゃうのは簡単すぎて興ざめだけどね」
「そんなもんですか」
「そんなもんよー。んじゃ、話を戻しましょうか」
そう言って、白河先輩は気楽な調子で切り出す。
「中学時代の結衣はね、友達が交通事故に遭うのをすぐ近くで目撃しちゃったのよ」
「え、交通事故、ですか……?」
予想していなかった回答に言葉が詰まる。
「そうよ、意外?」
「そりゃまあ……てっきり対人関係のトラブルだと思っていたので」
先ほどなんともなしに眺めた車両の流れに目を向ける。交通事故と言われてもいまいち想像力が働かないのは、やはり僕自身に事故の経験がないからだろうか。喉の乾きを感じて、コーヒーのカップに手を伸ばす。
白河先輩は僕に構わず、話を続けた。
「結衣は中学三年生のときに、美月佐奈って子の交通事故を目撃した。それをキッカケに酷く塞ぎ込んじゃった時期があってね。事故直後なんてよっぽどショックだったのか、ほとんど口も聞けなかったくらいだったのよ。あ、名前は漢字でどう書くんだっけな」
白河先輩は鞄からメモとシャーペンを出すと、名前を書いて寄越した。
「美月、佐奈……」
メモを受け取ってまじまじと見る。
小野寺の友人と聞いて、僕の思い当たる人物は一人しかいない。
それは、劇場に行ったときに小野寺が話していた演劇が好きだという友達のこと。
彼女について小野寺はなんと言っていただろうか? 少なくとも、事故に遭ったとは一言も口にしていなかったはずだ。しかし、白河先輩の話を聞いてから、友達について話していた小野寺の表情を思い出すと……演劇が好きだった友人というのが、事故に遭った美月佐奈であるように思えてならない。
「美月さんはどうなったんですか?」
「意識不明の重体よ。事故からもう一年半が経つけれど、まだ目は覚めてないんじゃないかしら。前にお見舞いに行ったのは半年前だけど……もしかしたらずっと昏睡状態ってこともあるかも……」
そう言って、白河先輩は目を伏せた。
「……彼女は、演劇が好きだったりしましたか?」
「うん。結衣とはたまに演劇を観に行ってたみたい。結衣が演劇を始めたのもその子の影響よ」
「じゃあ、僕と小野寺さんに演劇のチケットを渡したのは……」
「私は篠崎くんと結衣が一緒に演劇を見に行くことで、結衣が美月さんと向き合うキッカケになるんじゃないかと思ったの。結衣は事故以降、ずっと昔の話をしないようにしてたから」
「……」
そういうことか。
白河先輩がチケットを用意してくれたのも、すべては小野寺のためだった。しかし、あのときの僕が期待に応えられるだけの働きができたかと言えばそうではないだろう。
小野寺と劇を観に行ったときのことを思い出す。
「小野寺さんは演劇が好きな友達とよく劇を観に行ったと言っていました。彼女が女子高に進んだとも」
「へえ、嘘は混ざってるけど彼女について話してくれたのね」
白河先輩はどこか嬉しそうだ。
しかし、僕としては嘘を吐かれていたことは少しだけショックだった。
友達について語る小野寺は、どんな気持ちで僕に美月さんとの思い出話をしていたんだろうか。
辛い思い出を無理に話させていたのだとしたら――僕は自覚なしに小野寺を傷付けていたのかもしれない。
自分の至らなさに打ちひしがれていると、白河先輩は僕を慰めるように苦笑した。
「そう落ち込まないでもいいわよ。昔話ができるようになるくらい結衣も回復してるみたいだし。事故があった直後なんて酷くってね、家ではしょっちゅう取り乱すし、学校からもときどき教師から連絡が入るくらいだったんだから。人によっては精神科通いを勧めるくらい」
「……そんなに大変だったんですか」
「まあねえ。結衣が友達の事故であんなになるなんて、当時は全然理解できなくて」
「……」
僕だったらどうだろう。
もしも事故で石上が意識不明になったとして、そこまで感情が揺れ動くだろうか?
たぶんそれなりに落ち込むとは思う。ただ、性格に影響が及ぶほどのショックを受けるかと言えば、石上には悪いがそんなことはないだろう。僕は自分自身を平均的な精神構造をした平均的な人間だと認識しているけれど、そこまで感受性豊かではない。
話を聞く限りだと、小野寺の変化には違和感がある。
「でも……」
疑問をぶつけずにはいられない。
「言っちゃなんですが、友達の事故を見たくらいでそこまで情緒不安定になるものなんですかね……? そりゃ、暗い気持ちにはなるでしょうけど、他になにかあったんじゃないですか?」
僕の質問に白河先輩は小さく笑って頷いた。
「そうね、そうそう。篠崎くんの言う通りのことを私も考えたわ。で、気になって調べてみた」
「調べた……? それで何かわかったんですか?」
「一応はね。けど大変だったのよ? いまでこそ私と結衣はベッタリだけど、当時はちょっと仲の良い従姉妹くらいの繋がりだったし。調べるために、結衣の学校に放課後張り込んで同級生から話を聞いたり、担任の先生とも直接話をしたんだから。張り込みのときは不審者と勘違いされて通報されたこともあったっけ」
「通報されるって何をしたんですか……」
「忘れちゃったわよそんな昔のこと。結衣とは違って、私は過去を引きずらないタイプだから」
「はぁ……」
調べるための苦労話はともかく、白河先輩と小野寺が本格的に仲良くなったのが比較的最近からだというのは、僕としてはかなり納得できる話だ。白河先輩は小野寺のことを結衣と呼び捨てにしているけれど、小野寺は白河先輩のことを楓さんと呼んでいる。二人の微妙な距離のようなものを僕は初対面のときから感じていた。
白河先輩は「いろいろ大変だったわー」と苦笑して、ゴホンと咳をする。
「でね、調べたところによれば美月佐奈って子は、どうやら酷いイジメに遭っていたみたいなのよ」
「イジメ、ですか」
「そ。高校に上がるとそういうのって全然見なくなるけど、中学はどうしても酷いのが起きちゃうから。美月ちゃんは、自殺を考えるくらいに追い詰められていたそうよ」
「自殺……それってつまり……」
嫌なイメージが過ぎった。
予想を裏付けるように、白河先輩は言った。
「察しがいいのね、そういうことよ。美月ちゃんが事故に遭ったのは、偶然の出来事ではなく自殺未遂だったんじゃないかしら。結衣は自殺しようとする友達を助けることができずに、目の前で車道に飛び出された。そのせいで強い精神的ショックを受けて塞ぎ込んだのよ。答え合わせの要領で結衣にこの話をしたら、パニックを起こさせただけだったけどね」
「……」
話の筋は通る。単に事故を目撃したのではなく、自殺を試みようとした友達を止めることができなかったことを気に病んでのことなら、小野寺が受けたショックも大きいものになるだろう。
「ちなみに……事故の状況については、警察はなんと言ってたんですか?」
「警察かぁ、そっちはどうだったかな。私はあくまで結衣の親戚であって事故の当事者家族じゃないから、詳しい話は聞かせてもらえなかったの。ただ、美月ちゃんを轢いた奴は轢いたあと救急車も呼ばずにすぐ逃げたらしくて。轢き逃げ捜査ってことで、警察は事故のあと何度も結衣の家に来てたみたい」
「……そうですか」
小野寺の目の前で起きた友達の交通事故。それが彼女に及ぼした影響と、事故に遭った被害者と小野寺との関係性。いろいろなものが頭の中でぐるぐると回って、思考がまとまらない。
白河先輩は「さて」と言って立ち上がった。
「話は以上よ、私は帰る。会計は済ませておくから、あとは一人でじっくり考えるといいよ。訊きたいことがあればラインしてくれればいいし。簡単に答えられる話なら文章でも大丈夫でしょ」
「はい。今日は色々話してもらって、ありがとうございます」
「いいのよ。私も協力してもらったんだから。ギブ&テイクってことで」
「それでも、です」
「あっそ。ちなみにここのオススメは特製ミートスパゲッティよ。マジで美味しいからオススメね。じゃ!」
白河先輩はバイバーイと手を振って店の外に消えて行った。
スパゲッティが美味しいのは知ってます、白河先輩。
宙を見上げる。僕は空になったコーヒーのお代わりを注文することにした。




