奇妙な集まり -3-
劇団員の挨拶が終わり、観客はホールの外に流れていく。
僕は長時間座っていたせいで凝った身体を捻ったりしてほぐしながら、
「面白かったね」
と率直な感想を言った。
タイトル通り劇の内容は航海モノだった。お話は単純で、航海士見習いのネモが船着き場に繋いであった船で寝ていたところ、事故によって船がネモ一人を乗せて漂流し始めるところから始まった。ネモが目を覚ますと既に船は遥か外洋に出てしまっていて、自力でなんとかしないといけない状況に陥ってしまう。
そして、最終的にネモは嵐や海賊に襲われながらも機転を利かせて港に戻り、晴れて航海士として認められるというハッピーエンドを迎えるわけだった。
小野寺は僕に同意するように言う。
「そうだね。途中の航海についての豆知識とかも新鮮だったし」
「缶詰を使って釣りをするのも面白かった」
「そうそう。タコが釣れるなんてね」
「しかもタコをデビルフィッシュって言って驚いてさ」
「ふふ」
小野寺は楽しそうに笑った。
映画を見終わったときも、こういう感想会をやるときが一番楽しいなぁ。相手が小野寺ならなおのことだ。
辺りを見回すと、ホールの混雑も徐々に落ち着いてきていた。
「とりあえず出ようか」
「うん」
立ち上がって、ホールの段差を登りエントランスに出る。
景色が広がり、ガラス窓から差す夕焼けがやけに目に眩しく感じられた。僕は欠伸をしながら、
「面白かったけど、劇場ってなんだか息が詰まらない?」
と小野寺に訊く。
「たぶん大勢の人が集まるから軽い酸欠になってるんだと思うよ」
「どうして酸欠?」
「空調の効き具合にもよるけど、劇場の中は時間が経つにつれて二酸化炭素の濃度がどんどん上がって苦しくなったり眠くなるの」
「あー……そういうこと」
「地下の劇場なんかで眠くなるのはほとんど失神しかけてるようなものとも言うし」
「えっ、失神は重症なんじゃ」
「うん。まあここのホールは空調が効いてるほうだけど、人によっては苦しくなっても不思議じゃないよ」
「だから休憩時間とかに外の空気を吸うとすっきりするんだ」
航海豆知識ならぬ、劇場の豆知識を教えてもらってしまった。
そのまま外に出て、僕と小野寺は一緒に軽い深呼吸をした。他の観客は方々に散っていき、自転車や車が文化会館から出ていく。その様子を眺めながら、予め考えていた言葉を勇気を出して言う。
「近くに美味しいシュークリーム屋さんがあるから食べに行かない?」
小野寺は僕の提案に迷わず「いいよ」と言い、
「ただちょっと休んでからでいい? 私も酸欠気味で」
と続けた。
「もちろん。そこのベンチにしようか」
「うん」
文化会館の出入り口に近くのベンチに座り、一息つく。
大正解だ!
内心で飛び上がりながら平静を装う。劇を見に行くのが確定した段階で、実は周辺で評価が高いお店を調べていたのだ。このとき食べログが非常に役立った。いや、ステマとかではない。普段、ラーメンぐらいしか食べに行かない僕でも、食べログで評価を確認すれば当たりの店を簡単に見つけることができるからだ。これは映画でも同じで、食べログ・映画ドットコムで評価値が3.5以上のものはまず外れない。
小野寺はポシェットを開いて中から飴を出した。
「舐める?」
「ありがとう」
レモン味の飴を貰い舌で転がす。小野寺も同じように飴を舐め始めた。
「あのね、飴玉の舐め方で性格がわかるらしいよ」
くぐもった声で小野寺は呟く。
「ほうなの?」
飴の舐め方って、そもそも飴に舐め方もなにもあるのか?
どんな違いだろうと考えながら、飴を舐める。
「せっかちだったり、ストレスがある人はすぐに噛み潰しちゃう」
「あーそれはしっくりくる精神分析だね」
たしかに、飴をすぐ噛み潰したくなるときって自分でもイライラしてそうだなと思う。いまは気分的に落ち着いているから、ゆっくり舐める余裕がある。
「ただ僕の場合は小さくなったら噛み潰す派かな。最後まで舐め続けられない」
「私もそうだよ。最後の最後まで舐め続けられる人ってかなり珍しいのかも。すぐに噛み潰しちゃう人はけっこういそうだけど」
「白河先輩とか?」
「楓さんは噛み潰しそう」
「司書の先生は?」
「最後まで噛み潰さないんじゃないかなぁ」
話しながら、二人で文化会館の近辺を眺める。勝田駅に近いだけあって、車道を横切る乗用車は多い。あまり遅くなると混み合いそうだ。
しかし、こうゆっくりしているのも悪くはない。昼間の陽射しが強かったせいかあまり寒くはないし、小野寺と並んで座っていられる。図書室で二人きりでいるのと、外で二人きりというのはやはり別物だ。
ただ、時間が過ぎていくだけでもありがたいことに思える。ぼんやりしていると、ふと文化会館館の自動ドアから大所帯の集団が出てきた。なんともなしに、自然と僕らの視線はそちらの集団に向けられた。
見たところ四十代以上の人達で、誰もが気取った感じの服を着ている。まだ四時半を過ぎたところだけど、その人達は繁華街にでも乗り出しそうな雰囲気だ。綺羅びやかな衣服、高そうな腕時計。キャバクラかホストクラブの集まりと言うほど若い団体ではないが、奇妙な人達だ。
「なんだろう?」
小野寺は目を丸くしている。
「習い事でもやってたんじゃないかな。文化会館は色々と部屋を貸し出してるし」
茶道教室、習字、押し花のパッチワークなどなど。文化会館で開催されているワークショップはたくさんある。
「篠崎くんはなんの人達だと思う?」
「いやぁ……そこまでは」
「……」
小野寺はじっと彼らを見て腕を組んだ。それから微かに飴を噛む音。この様子には憶えがある。カフェのときと同じように気になって仕方がない感じだ。
「気になるの?」
「……ちょっと」
空返事といった声で確信する。
カフェのときも神経質だから、と言って小野寺はちょっとした謎に執着してしまっていた。
もし、あの奇妙な人達がこのままどこかに行ってしまい、謎が謎のまま残ってしまったら後味が悪い。シュークリーム屋に行くにしても小野寺もうわの空になってしまう。
小野寺は人差し指を立てて呟く。
「婚活パーティーかな?」
「へっ、婚活?」
小野寺の口から聞くとシュールな単語だ。ちょっと笑ってしまった。
ただまあ、たしかに婚活パーティーと考えるとあの人達の身なりも納得がいく。服に気を遣い、男女がそれなりの人数で集まっているのは結婚相手を探しているからなのかも。
しかし、婚活目的の人達と考えて彼らを観察してみると、一つだけおかしい部分があった。
「でも、それなら指輪をしてるのはおかしいよ。ほら、端っこのほうのあの人、それから隣の人も」
彼らのうち、全員ではないけど何人かは結婚指輪を嵌めていた。既婚者が婚活するとは思えないので、婚活パーティーというのはあり得ない。
「あ、言われてみれば」
小野寺は頷き、なおさらわからないという顔をする。
そして、集中していて身を乗り出しているせいか、いつもより距離が近い。
ちょうど僕の鼻先で髪の毛が揺れていて、もう僕はダメかもしれない。
「うーん」
「……」
僅かばかり思考停止してしまっていたが、気持ちを切り替えよう。さて、既婚者まじりの中年の男女が集まる理由とはなんだ。見たところ、彼らは総勢で二十名ほど。年齢層は四十代を越えているのは間違いない。服装は華やかで、陶芸教室や習字教室に集まった人達とは考えにくい。
ミステリー的な思考で行くなら、不倫希望者たちの舞踏会みたいな話を思いつくけど、さすがに現実的じゃない。
再び集団へと目を向ける。いまは文化会館から出て話し込んでいるところのようで、キッカケがあればそのまま街に出てしまいそうだ。彼らはほどほどにバラけていて、男女ペアで話しているグループもいれば、男だけであったり、女だけで話し込んでいるところもある。
ふと思いついた考えを口にしてみる。
「社交ダンスのクラブってのはどうかな。ああいう習い事って服装に気を遣いそうだし」
「社交ダンスかぁ……でも、それだと男女のペアが揃っていないとダメなんじゃないかな」
「ペア? 数えてみようか」
「うん」
指を折りながら数えていく。大した人数ではないのですぐに男女の人数はわかった。
「男が十五人で、女が九人だね。となると社交ダンスも違うか」
「ますますわからない」
「うーん……」
婚活パーティー、何かしらの習い事、社交ダンス……色々と可能性を考えてみたけど、いまいちコレというのが思い浮かばない。
ガリ、と小さくなった飴を噛み潰す。レモンの甘みが口に広がっていった。
喉元まで答えが出かかっているような気はする。選択肢はおそらく多くない。休日に大人が集まる理由と言うのは、冠婚葬祭に関わるもの以外だと、ほとんどないはずだ。
小野寺が僕の膝を軽くノックした。
「迎えの人が来たみたい」
目を向けると、駐車場のほうから彼らと同じ年代の女性がやって来ていた。服装は買い物帰りの主婦といった具合。女性は一番大きな集団の中で喋っていた小太りの男の人のところに行くと、周りに頭を下げながら男の人を引っ張っていった。
「あれは完全にお酒が入ってるな」
男の人はやや足元がフラついていて、だいぶ酔っているのが見て取れた。集団に手を振りながらご機嫌な様子で車に乗り込む。車内には小学生くらいの子供が乗っていた。
「飲み会に行った夫を迎えに来た奥さんってとこだね。僕の家でもああいう送り迎えで酔っ払った父さんを連れ帰ったことがあるよ」
「私のお父さんはお酒飲まないからそういうのはなかったな」
「それでいいと思う。お酒はダメだよ、ホント」
昔、酔った親父が大声で叫んだり、ふざけたことを口走るのを見て酒は飲むまいと誓ったものだ。一人ならともかく、両親一緒になって騒がれるとやっていられない。それにしても、
「お酒が入ってたってことは中でパーティーでもやってたのかな。文化会館で飲み食いのパーティーってますます謎だ」
僕は小さく唸った。
「文化会館でそういうのっていいの?」
小野寺は首を傾げる。
「事前に話を通していれば大丈夫なんじゃないかな」
文化会館のルールについて詳しくはないけれど、飲食の可否についてはダメならダメで施設の人が注意すると思う。それよりも一つ気になる点がある。
「飲み食いするならそこらへんの居酒屋を貸し切るほうが簡単な気がするけど、文化会館を選んだ理由はなんだろう」
居酒屋を貸し切れば簡単だろうに。文化会館で飲み食いをするなら、部屋を借りて食べ物を持ち込む都合上、後始末も考えなければいけない。
「費用の問題じゃないかな。たしか文化会館で会議室を借りるのってほとんどタダだから」
「……なるほど」
場所代が浮くのは大きそうだ。
だけど、それ以上にわざわざ文化会館を場所に指定した、そのこと自体に何かヒントがあるように思えてきた。会社の付き合いで文化会館を選択することはないだろうし、それなら親戚の集まりのほうが目がある。
なんて考えている間に、さっきの男の人に続いて何人かがタクシーに乗って帰っていったみたいだ。徒歩で文化会館の敷地の外に出ていく人もいる。集団の規模も小さくなっていた。
小野寺は徒歩の人に視線を向けて言う。
「ココらへんは住宅地から遠いし、駅に行くのかな?」
「だろうね。勝田駅はすぐ近くだし」
思えば文化会館はアクセスしやすい立地ではある。遠方から来るにしても、そこらへんの居酒屋で待ち合わせるよりは集合が楽そうだ。
小野寺は足をぶらぶらさせて、やや投げやりに訊く。
「んー……宗教の集会はどうかな?」
「宗教か……それもどうだろうね。ああいうのって、年齢層がもっとバラけると思うけど」
「そういえば皆同じくらいの年齢だもんね」
「うん……年齢か。同じくらいの……」
年齢というキーワードは引っかかる。年齢、人数、身なり……。
ああ、出かかっていた答えがようやく見えた。なるほど、そういうことか。
確信を込めて言う。
「わかった。あれは同窓会の集まりなんだよ」
「同窓会?」
「そう考えると色々と辻褄が合う。年齢層が同じなのは全員同級生だからで、身なりに気を遣っているのは久しぶりの再会で気合を入れてのことだから。なにより文化会館は駅に近いから、遠方に住んでいる人も電車で来やすい」
「たしかに」
小野寺は合点がいったというように頷いて、彼らをまじまじと見る。
同窓会は参加者の人数が当日まで把握しにくいだろうけど、集まる人数に幅があっても会議室なら受け入れられる。同窓会をするのに、文化会館は多くの部分でマッチした会場だったのだろう。
小野寺は不思議そうに言う。
「でも、全員来ているようには見えないね」
「……それはたぶん、女の人なんかは育児とかで大変なんじゃないかな」
「四十代の子供っていうと、小学校から高校までくらい?」
「たぶん。僕の親がそのくらいだし。あとさっき送迎の車に乗ってた子は小学生だったね」
結婚時期によって子供の年齢は幅がありすぎるから、ここらへんは予想しても仕方がない。ただ、四十代は仕事にしろ私生活にしろ、何かと忙しい年代ではあるはずだ。
僕は軽く伸びをしながら呟く。
「同窓会かぁ……」
自分が四十代になった姿は想像できないけれど、自分の親の姿と重ねると、なんとなく彼らの日常風景も想像できる。同窓会に行く気分というのは、どんなものなんだろう。
「……」
小野寺はなにか考えるように俯く。
「どうかした?」
「いや、なんとなくだけど、私は同窓会には行かないタイプなのかなと思って」
「タイプ?」
「ああいう昔を懐かしむ集まりって、なんだか苦手な気がする」
「それは大人になってみないとわからないんじゃない?」
「そう?」
「大人になれば考え方だって変わるかもしれないし。それに僕は、学生時代がどんなにダメダメだったとしても、昔の仲間と会うのは大事なことだと思う」
僕は正直、中学サッカー部のみんなには謝りたい気持ちがある。勝つためとはいえ、厳しいことを言ったり、やったりしたからだ。同窓会を大事に考えるのも、そういう背景があるからだとは思う。
ただそれを抜きにしても、やはり大人になるということは過去の成長過程があってこそだ。同窓会という場は、人生の振り返りとして必要なのだと思う。それがどんなに恥ずかしい過去であったとしても、それが自分自身を形作ってきたものの一つなのであれば、大事にするべきだ。
「昔の大事なこと、か……」
小野寺は少し暗い顔をして、遠くに視線を向けた。視線の先にどんな過去を見ているのかはわからない。僕にとっての過去が中学サッカー部であったように、小野寺にも僕の知らない過去があるはずだからだ。
沈黙が少しの間だけ流れて、小野寺は思い出したように明るい顔をして僕を見た。
「でも凄いね、篠崎くん」
「え?」
切り替えの唐突さに付いていけず、僕は一瞬戸惑った。
小野寺は捲し立てる様に言う。
「カフェのときも、楓さんのときもそうだったけど、今回もすっきり謎を解いてみせたじゃない」
「……偶然だと思うよ。それに、小野寺さんが匂いから感情を読み取ってヒントもくれたし」
「でも私には解けなかった謎だよ。そんな人はいままでで初めて」
かすかに微笑み、小野寺は上目遣いで言う。
「またなにか困ったことがあったら、解いてくれる?」
「……う、うん」
その問いに深い意味があるのだろうかと勘ぐるも、答えはでない。呆然としている僕をよそに、小野寺はベンチから立ち上がった。
「もう酸欠も治ったみたい。篠崎くんオススメのシュークリームってどこの?」
「えっと、近くに西友があるのは知ってる?」
「うん、すぐそこのだよね」
「その裏手に最近出来た店なんだけど、クリームがチョコだったり、グレープ風味のがあったりで美味しいらしいよ」
「美味しそう。行こっか」
「うん」
小野寺の興味を惹けるように調べて見つけ出した店だ。一度下見にも行った店なので、味も確かである。
自転車に乗り込み、僕は小野寺を先導するように走り出す。
同窓会でやってきていた人たちは、もう駐車場からは消えていた。




