奇妙な集まり -2-
良く晴れた日曜日。
僕は自転車を漕いでひたちなか文化会館へと向かっていた。時刻は正午を回っている。昼下がりの時間帯だけど、勝田駅近辺は車通りが多く賑やかだ。
だめだ……緊張してきた。
チノパンの尻ポケットを確認する。今日の持ち物は財布と携帯だけ。服装はあまり気取っていない風の長袖のシャツ。休日の私服としては地味なものを選んだ。思えば休みの日に小野寺と顔を合わせたことは過去に一度もない。
小野寺の私服はどんなのだろう。脳裏には色々な姿の小野寺が映る。
――あの夜、小野寺の返事が届いてから翌日のスケジュールが決まるまでは早かった。白河先輩は僕に劇の時間を伝えて、チケットは白河先輩から小野寺に渡すということで話がついた。土曜日を挟んでの今日、僕は小野寺と劇を観に行く。
ガタン、と自転車を文化会館の駐輪場へと停める。
ひたちなか文化会館は豆腐のような四角い大きな建物で、建物の外壁から敷地の床まですべてが茶塗りのレンガ模様になっている。一角には屋外ライブが開けそうな円形ステージもあり、駅のすぐ近くに建っている割に広々としている。
建物には演劇の公演に使用できる大きなホールや、ピアノの発表会向けの小ホール。さらには楽器の練習室や茶道教室を開けそうな和室、お料理教室に使えるキッチンだったりと様々な施設があって用途には事欠かない。市の公共施設なのでレンタル料金も良心的で利用者も多い。
小学校や中学校のときにはよく学校行事の観劇で連れてこられた憶えがある。それ以外では一度も来たことはなかったけれど、小学中学の吹奏楽部が壁に張り出した定期演奏会のお知らせで、毎度のように文化会館を会場に利用していたことは知っている。
「篠崎くん、こっち」
「早いね」
小野寺は駐輪場のそばのベンチで僕を待っていた。
その姿を一目見て、息を呑む。
いつもの制服と違い、休日らしいラフな服の小野寺は数割増しで可愛い。上着は毛糸で袖の長いカーディガン、下は折り返しのある長いスカートを穿いている。制服のスカートとは一味違った趣だ。こんな女の子と休日の観劇って、いきなり違う世界に連れてこられたかのように思える。足元が揺れるような目眩を憶えつつ、僕は立ち上がった小野寺と並んで文化会館に歩いていく。
「今日演るのってどんなのかな?」
「劇団パプワはいつもオリジナルだから、実際に見てみなきゃわからないと思う」
「知ってる劇団なんだ?」
「うん。昔、友達に連れられて見た劇団だから」
「へぇ……」
演劇に詳しい人が周りにいない僕としては、そういう友達がいるのは楽しそうだなと思う。自分の知らない世界を教えてくれる友達は貴重だ。
小野寺は肩に提げていたポシェットを開けてチケットを出した。
「はい、これ楓さんから貰ったチケット。篠崎くんの分ね」
「ありがとう」
渡されたチケットには『ネモの船旅』というタイトルと共に、綺麗な青空をバックに大きな帆船が描かれている。券の端には入場の際に切り離す半券がくっついていた。
「海洋冒険モノなのかな?」
「だと思う。私もタイトルだけ聞いて話の内容は調べてないから」
「ふうん。小野寺さんは演劇好きなの?」
「普通かな。好きの度合いでは映画や本とあんまり変わらないよ」
「……その言い方だと小野寺さんがどのくらい演劇が好きなのかイマイチわからないな」
僕の言葉に小野寺は「あー」と濁すような顔をして、
「ごめん、凄く好き。あんまり何かを好きっていうのに慣れてないから」
と、はにかんだ。
「なんか照れくさいよね」
「うん……ただ演劇は元々あんまり好きでもなかったんだけどね。何度も見させられて徐々に好きになったから」
「何度も見せられてって?」
「……友達に付き合わされたの」
「演劇を何度も見に行くって仲良いんだね」
「まあね」
小野寺は曖昧に答えて、僕の一歩先に出た。文化会館の自動ドアが反応して、生暖かい風が吹く。
……小野寺にも友達の一人くらいはいるだろうけど、今までにその相手を見たことは無い。どんな子なんだろう?
僕は顔を上げてエントランスを見回した。
天井から外に面した壁まで全部がガラス張りで、都市部の企業窓口のような空間。空いたスペースには休憩用のソファが並んでいて、トイレは奥側にある大ホールのすぐ近くに設置されている。水飲み場もあり、そこでは何人かが立ち話をしていた。
正面の受付を見ると、劇のポスターが二枚並んで貼られている。受付を指して言う。
「とりあえず中で座っちゃおうか」
「うん」
受付で「お願いします」と言ってチケットを差し出すと、受付嬢のお姉さんが半券を千切って大ホールのほうに進むように手で示した。
明るいエントラスから大ホールに入っていくと、視界が急に暗くなり特別な場所に来たという感覚に少し鳥肌が立った。
隣に小野寺がいるせいか、劇を見始める前からドキドキしてきた。
座席は既にけっこう埋まっていて、僕らは千切った半券に書かれた座席番号を目を凝らしながら確認して彷徨う。座っている観客の前を失礼しつつ、腰を下ろすとようやくひと心地つけた。
「いや、すごいね」
思わず呟いてしまう。
「だねー」
小野寺も少し興奮したように言った。
文化会館に来たのは久しぶりだけど、映画館とは比べものにならないほど広い。席は三階層に別れていて上段はかなり高い位置にある。劇場らしく赤色に染められた空間にはどこか荘厳な雰囲気が出ていた。僕らの座席は中段左手の場所だったので、僕は小野寺の左手に座ることにした。
「しかし白河先輩の友達も凄いよね。劇のチケットをくれるなんてさ」
「楓さんは顔広いから」
「運動だけじゃなく、コミュ力もお化けか……」
白河先輩とは知り合って間もないけれど、僕の中ではなんでもありな人というカテゴライズが済んでいる。驚きこそすれど、意外には思えなくなってきた。
小野寺は僕の呟きに「でも」と言って続けた。
「篠崎くんも友達は多いんじゃない? ほら、ディアゴスティーニを集めてるっていう友達とか」
「いやぁ、そいつは中学からの友達だから。そいつ以外だと、教室でよく雑談する相手でも遊びに行ったりはしないんだよね。クラスメート以上友達未満みたいな?」
「ふうん、篠崎くんは友達多そうに見えるのにね」
「え、どうして?」
「去年の体育祭で、篠崎くんがクラスメートと仲良さそうにサッカーしてたから」
「見てたの?」
横を向くと、小野寺は僕のほうを見てコクリと首肯した。
「決勝で篠崎くんのクラスと当たったからね。今年になって篠崎くんと顔を合わせるようになって、そういえば……って思い出したの。篠崎くんのクラス強かったよね」
「……そういうことか。まああのときは同じクラスに中学時代のエースストライカーもいたしね」
「中学時代の?」
「うん、例の友達だよ。中学のサッカー部でエースストライカーをやってたんだ。僕はそいつのアシストに徹してたんだよ」
一年生のときは石上とはクラスが同じで、さらにクラスのサッカー経験者も多かったので体育祭ではほとんど無双だった。おかげで僕自身もアシストを決めるのがすごく楽だったし、あれで活躍できなかったら逆にサッカー経験者失格だ。
僕は自分のことを話すよりも小野寺のことを訊こうと思い、話題を別方向に向ける。
「小野寺さんは運動とかどうなの?」
「全然」
小野寺は肩を竦めてみせる。
「運動音痴なの。楓さんを見てると自信無くすよ」
「……たしかに僕も従兄弟にあんな人がいたら自信が失せそう」
身近に突出して凄い人がいるとその背を追いかけようとは思えなくなるものだと思う。僕にとってはそれが石上だったけど、小野寺にとっては白河先輩がそれに当たるのだろう。
「近くに凄い人がいると大変だね」
「ほんとね」
「はは……」
お互いに頷き合って、なんだかおかしくて笑ってしまった。
僕はカーテンで隠された舞台に視線を向けて訊く。
「しかし、劇団パプワって名前は聞いたことがないけど、前回観たときはどうだったの?」
「パプワは基本的に芝居メインのストレートプレイだから、本を読むみたいに物語を楽しめたよ」
「ストレートプレイ?」
「演劇の形態は色々のあるの。ストレートプレイは簡単に言うと歌を歌わない演劇のこと。歌を歌ったり踊ったりするのはミュージカルって言うの」
小野寺はすらすらと台本を読むように言った。いつもとは別人のようなその迷いのない口調に少し驚きながら、さらに問いかける。
「ああ……歌ったり踊ったりって言うと、ウェストサイドストーリーとか?」
「そう。ウェストサイドストーリーはミュージカルの代表だね」
「中学の音楽の授業で映画版を見せられたよ。内容は全然わからなかったけど……」
普通の映画やドラマに慣れている身としては、歌や踊りよりも話をとっとと進めてくれと思ってしまった。ミュージカルという響きは好きなのだけど、惹かれたのは響きだけで内容は合わなかった。
「ミュージカルは取っ付きにくいから」
小野寺は苦笑して言う。
「篠崎くんは劇団四季は知ってる?」
「知ってる。名前だけだけどよく聞くよね」
「劇団四季がやっているのも大体はミュージカルだけど、ライオンキングとかは初心者でも楽しみやすくて入りやすいよ」
「へぇ……ライオンキングはCMとかでもたまに見るしなぁ……」
ライオンキングはたしかに取っ付きやすそうだと思う。
それにしても、小野寺が演劇にここまで詳しいとは思っていなかった。この口ぶりを見るに友達にそうとう付き合わされたんだろうなぁと容易に想像できるし、余計に相手が気になる。
「しかしさ、小野寺さんは図書委員じゃなくて演劇部に入ろうとかは考えなかったの?」
「考えはしたけど、そもそも私達の学校に演劇部はないんだよね」
そう言う小野寺は少し残念そうだ。
「そうだっけ? 文化祭で劇をやってたとこがあったような……」
「あれはクラスの出し物だよ」
「ああ、なるほど……。だったら小野寺さんの友達は残念だったんじゃない?」
「高校は別だから。向こうは家の方針で女子高に進んでね」
「そうなんだ」
答えながら、密かにほっと息を吐く。
こんなに友達との仲良しエピソードを聞かされて、実は男友達でしたなんて言われたらどうしようと思っていたところだ。
「ごめん、ちょっとお手洗い行ってくるから」
小野寺はそう言うと、ポシェットを席に置いて立ち上がった。
「あ、いってらっしゃい」
手を振って送り出し、ホールの電子時計に目を向ける。
一時半。そろそろ開演の時間だ。僕は携帯の電源を切って劇が始まるのを待つことにした。




