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ほねまであいされてますね

「……よしあき、たすけ、て……。もう、身体の『骨』が……中から、バラバラに砕けそうだ……ッ」


 激しい雨風が窓を叩き、激しい雷鳴が轟く嵐の夜。

 とっくに営業時間を過ぎ、静まり返った療術院の引き戸が、暴風に押し開けられるようにして激しく開いた。そこに倒れ込んできたのは、全身ずぶ濡れになった若い男――義明の幼馴染であり、この地方で古くから続く由緒ある旧家の跡取り息子、拓海たくみだった。


 拓海は全身の関節をあり得ない角度に軋ませ、まるで内側から骨組みを握り潰されているかのように、床を這い回りながら血を吐くような悲鳴を上げている。


「拓海……!? おい、しっかりしろ、何があった!」


 受付の奥から弾かれたように飛び出してきた義明は、前回のメガ盛りスタミナ生姜焼き丼の貯蓄がまだ十分に肉体として残っている、体重百キロ超の「完全なる熊男モード」だ。義明はすぐさま、苦痛に悶える拓海の大きな身体を大樹のような両腕で軽々と抱き上げ、施術ベッドへと素早く寝かせた。


「師匠、これ……ただの呪いじゃありません! 空間の歪み方が異常です!」


 ただ事ではない気配を察して奥から走ってきた葵の顔が、恐怖で青ざめ、強張る。

 義明の鋭い霊視眼には、すでに人間の許容量を遥かに超えた、恐るべきおぞましい光景がはっきりと見えていた。


 拓海の皮膚や筋肉を完全に透過し、彼の中心にある「骨の髄」にまで、泥のような、どす黒い無数の『人間の手』が、まるで血管のようにびっしりと絡みつき、同化するように食い込んでいるのだ。


 それは、外部からかけられた呪いなどではなかった。拓海の一族が何代にもわたって血統を守るために引き継いできた、歪んだ偏愛の成れの果て――強大すぎる「先祖代々の生霊と執着(守護霊の暴走)」だった。


『どこにも行かせない』

『他の一族の血に染まるな』

『我が一族の繁栄のための器となれ』


 何十人、何百人もの身内の、死してもなお消えぬ狂気的な執念が、拓海の骨を内側から万力のように締め付け、今まさに木端微塵に圧砕しようとしていた。


「骨の髄まで、身内に愛され――いや、蝕まれちまってるな……。拓海、お前、ずっと一人でこの重圧に耐えてたのか」


 義明はいつになく険しい、獣のような鋭い表情で白衣の袖を肩までまくった。


「葵さん! 店の周りに結界の塩を全部撒いて!あと、奥にある『あの冷蔵庫』の中身、全部ミキサーにかけて、いつでも喉に流し込めるように準備しておいて。……今回は、俺の命の貯金が、全部なくなるかもしれない」


「師匠……! 死んだら、絶対に承知しませんからね! おいてかないでよ!」


 葵は溢れそうになる涙目を乱暴に袖で拭い、全力で院の奥へと走っていった。


「よし、待たせたな拓海。お前の一族の歪んだ歴史ごと、その骨の歪み、全部俺が力ずくでひっくり返してやる。……歯を食いしばれ!」


 義明は、拓海の歪んだ背中に向けて、丸太のような両手を真っ直ぐに叩きつけた。


 ガツンッ!!!! と。

 それは、人間の肉と肉がぶつかり合う音では断じてなかった。巨大な金属の塊同士が正面衝突したかのような、凄まじい衝撃波が施術室の空気を激しく引き裂き、嵐の風を撥ね退ける。


「――っ、ぐあああああああああああ!!!」


 拓海が五臓六腑を振り絞るような絶叫を上げ、同時に、義明の口からもドッと鮮血が吐き出された。

 一族の強大な呪縛が、拓海を救おうとする邪魔者――義明を確実に殺害せんと、ダイレクトに牙を剥いてその生命力を侵食してきたのだ。


 凄まじい反動。義明の肉体から、かつてない質量と速度でエネルギーが強引に奪い去られていく。

 百キロあった豊かな熊男の肉体は、一瞬にして削ぎ落とされ、八十キロ、六十キロ……いや、それを一気に通り越して、五十キロ台の極限状態へ。


 がっしりとしていた体躯は一瞬で細くなり、服の奥の肋骨が浮き出て、今にも空気の中に消えてしまいそうなほどに儚く、しかし神々しいまでの美しさを放つ「究極の激痩せイケメンモード」へと変貌を遂げる。


 義明の視界が、自身の血と呪いのせいで真っ赤に染まっていく。指先の感覚が冷たく消えかける。

 それでも、義明の瞳の光は消えない。

 彼は激痩せして細く、しかし鉄のように硬くなった指先を拓海の背骨へと深くくい込ませ、骨にへばりつく一族の『黒い手』を、一枚一枚、己の命の炎を燃料にしながら、力任せに力任せに剥がし続けていく。


『――おい、そこにいるじいさんばあさん達よ……ッ!!』


 義明は血の混じった呼吸を吐き出しながら、心の中の領域で、拓海の骨の髄に巣食う先祖たちのどす黒い怨念の群れに向かって、魂の怒号を浴びせた。


『あんたらがやってることは、愛なんかじゃない! ただの醜い執着だ! 身内を骨の髄まで愛して、内側からすり潰して、何が守護霊だ! こいつの人生は、あんたら一族の操り人形じゃない……こいつ自身のもんだ!!』


 しかし、数百年もの長きにわたって血統を縛り続けてきた、怨念の質量はあまりにも重く、強大だった。義明の細く、限界まで削ぎ落とされた腕の骨が、神罰の負荷に耐えかねてピキリ、と嫌な軋み音を立てる。視界が急速にブラックアウトしていく。


「師匠―――ッ!!!! ……飲んでっ!!!!」


 その命の灯火が消えかける絶妙な瞬間、葵が叫びながら、巨大なガラスジョッキを義明の口元に叩きつけるように突きつけた。


 中身は、藤堂療術院の今月の全財産を注ぎ込んで急遽練り上げられた、純度百パーセントの超濃縮・特級カロリーペースト。厳選された純良なバター、濃厚な黒糖、身体の芯を爆発させる高麗人参のエキス、そして実に五人前のマッシュポテトを跡形もなく極限まで練り上げた、この世で最も重く、最も健康的にエネルギーを凝縮した「悪魔の劇薬」だった。


「んぐっ……、んぐっ……、ぶはあああああああああッッ!!!!」


 塊のような猛烈な糖質と脂質が喉を通り、胃壁に叩きつけられた瞬間。地響きのようなエネルギーの奔流が、義明の背骨を、全身の細胞を怒涛の勢いで駆け上がった。


 バキバキバキバキバキバキッッ!!!!!!!


 施術室の空気が、肉体の膨張に伴う衝撃波で派手に爆ぜた。

 義明の肉体が、衣服の繊維をブチブチと引き千切らんばかりの猛烈な速度で再構成されていく。それはいつもの百キロ超の姿すら遥かに凌駕する、過去最大の「超・熊男モード(百二十キロ超)」への超バルクアップだった。

 人智を超えた圧倒的な肉体の質量――最強の防壁アーマーが、拓海の骨を締め付けていた先祖の呪いを、力技で上から無慈悲に押し潰していく。義明の丸太のような指先に、爆発的な膂力が戻った。


「これで……最後だあああ――ッッ!!!!」


 義明は拓海の骨盤から脊椎、そして頸椎にかけて、すべての骨の歪みを本来あるべき正しい位置へと叩き直すように、渾身の、全霊の力を込めて指圧を放った。


『パキパキパキパキパキッッッ!!!!!!!』


 室内に、凄まじい骨の矯正音が鳴り響く。


『――元の場所へ、還れ!!!!』


 義明の地鳴りのような怒号とともに、拓海の骨の髄から、へばりついていた無数の黒い『手』が、悲鳴に似た風切り声を上げて一斉に引き剥がされた。引き抜かれた呪縛の腕は、天井へ向かって吹き飛ぶと、そのまま光の塵となって霧散していく。

 それと同時に、窓の外で猛威を振るっていた嵐の雨風が、まるで魔法のようにピタリ、と嘘みたいに静まり返った。


「……はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 ベッドの上で、拓海が信じられないほど深く、軽い呼吸をして、ゆっくりと目を開けた。その瞳からは、長年彼を曇らせていたどす黒い影が完全に消え去っていた。


「……息が、吸える……」


「……当たり前だ、バカ野郎。お前のところのご先祖様たち、引くほど頑固で、めちゃくちゃ手強かったんだぞ……」


 元の百キロ超のどっしりとした熊男に戻った義明が、役目を終えて、床に大の字にひっくり返りながら、天井を見上げてへらへらと安堵の笑みを浮かべた。


「もう、心配いらない。お前の一族のドロドロした因縁は、この俺が全部綺麗に『ほぐして』やったから。これからは誰の目も気にせず、自分の足で、お前の好きなところへ歩いていけ」


「……あぁ。ありがとう、義明。本当に……ありがとう……っ」


 拓海は子供のように涙をボロボロと流しながら、床に横たわる義明の分厚い手を、何度も、何度も、壊れ物を扱うように強く握りしめた。



 嵐の去った深夜。

 すっかり静まり返り、お香の優しい香りが満ちる施術室で、義明と葵は並んでソファーに腰掛けていた。


「いやぁ、今回は本当に三途の川が見えたよ。葵さんが最高のタイミングでペーストを流し込んでくれたおかげだ。ありがとうね」


「ふん。感謝するなら、明日からのドカ食いを少しは控えてください。今回ので、食費とプロテイン代、完全に大赤字なんですからね」


 葵はぷいっと不機嫌そうに横を向いたが、その大きな目には、大切な師匠を失うかもしれないという恐怖から解放された、うっすらとした涙がまだ浮かんでいた。


 義明はそれを見て小さく大らかに笑いながら、

「わかった、じゃあ、明日からは一日三人前に減らすよ」

 と、熊のような大きくて温かい手で、葵の頭をぽんぽんと優しく叩くのだった。


 窓の外には、嵐が去った後の、綺麗な満天の星空が広がっていた。

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