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すじが通りませんね

「おい……誰か、頼む。誰でもいいから、この痛みをどうにかしてくれ……ッ!」


 平日の昼下がり、お香の煙がのんびりと揺れる療術院の引き戸を、乱暴に蹴破るような音を立てて入ってきたのは、黒い高級スーツに身を包んだ見るからにガラの悪い男――地上げ屋の幹部である鮫島さめじまだった。

 後ろにはいかにもな風貌の子分を二人従えているが、鮫島本人はまるでマリオネットの糸をめちゃくちゃに引っ張られたかのように、手足の「すじ」が奇妙な方向に引き攣り、激痛のあまり顔中に滝のような脂汗を流している。


「いらっしゃいませ。……おや。お客さん、全身の『スジ(筋)』が完全に狂ってますね」


 受付カウンターの奥からぬっと現れた義明は、前回の特大すき焼き丼とプロテインが見事に肉体化し、体重百キロ超のどっしりとした「通常モード(熊男)」だ。その圧倒的な巨体と揺るぎない存在感に、鮫島と子分たちは一瞬だけ気圧された。だが、鮫島はすぐに痛みに耐えかねて、苛立ちをぶつけるように怒鳴り散らした。


「あぁ、そうだよ! 昨日の夜から急に、全身の筋肉が雑巾みたいに引き攣って、まともに歩けねえんだよ! 病院の救急に行ってもレントゲンじゃ原因不明だって言いやがった! ネットでここが腕がいいって聞いて来たんだ、早くなんとかしろ!」


「まあまあ、そう怒らずにお掛けください。……でもねぇ、鮫島さん」


 義明はのんびりとした口調を崩さないまま、しかしその細められた瞳は、鮫島の全身を観察するように冷ややかに見つめていた。


「あなたは人間の法律の『スジ』は通したつもりでしょうが……あちらさんの『筋(道理)』が通っていないから、こんな事になってるんですよ」


「あ……!? 手前、何の話をしてやがる!」


 鮫島が語気を強めて凄んだ瞬間、その身体が再びピキッと硬直した。

 義明の鋭い霊視眼には、鮫島の衣服のさらに奥、全身の筋肉繊維の一本一本に、おびただしい数の「黒い木の根」のような禍々しい呪いの触手が深く食い込み、ギリギリと骨ごと締め上げているのが見えていた。


 それは、これまでの人間の霊(死者や生霊)などでは到底ない。もっと根源的で、冷酷な自然の怒り――すなわち、その「土地」が下した神罰だった。


(なるほどな。こいつ、最近どこかの古いほこらか、地元のやしろを、きちんとしたお祓いも手続きもせずに強引に取り壊して地上げしやがったな。土地の神様の怒りが、こいつの肉体の『筋』を直接掴んで、怒りに任せて絞り上げてるんだ。そりゃ、現代医学のレントゲンじゃ写るわけがない)


 義明は小さくため息をつき、静かに首を回した。

 人間の未練をほぐすのとは訳が違う。自然の神罰を相手にするのは、文字通り「命がけ」の施術になる。義明は隣にいる葵に、短く目配せした。


 葵は黙って力強く頷くと、ただごとではない不穏な空気を肌で察し、裏の棚から邪気を祓うお清めの塩が並々と入った器を静かに握りしめた。


「いいでしょう。とりあえず、その引き攣って狂った筋、少しだけ緩めます。ベッドへどうぞ」


 鮫島がまるで油を差していない機械のように、痛々しい悲鳴を上げながらベッドに横たわると、義明はその太く頑強な両手で、鮫島の背中の中心――背骨を挟み込む分厚い背筋のラインをガシッと力強く掴んだ。


「――ッ! ぎゃあああああああああ痛えええええ!!」


 鮫島が文字通り喉を引き裂くような声で絶絶叫する。

 義明の手のひらが触れたその瞬間、鮫島の肉体に巣食う神罰の『黒い木の根』が、侵入者を排除せんと義明の腕に向かって逆流し、猛烈な勢いで侵食してきたのだ。脳が焼き切れるほどの凄まじい激痛と寒気が、義明の太い腕を駆け巡る。


(くっ……! さすがに、何百年もの間、土地に根付いていた神様の怒りは重すぎる……っ!)


 義明の肉体から、これまでの除霊とは比較にならない、恐るべきスピードでエネルギーが削り取られていった。百キロ以上あった豊かな体重が、八十キロ、七十キロ、そして六十キロ台へと一瞬にして激減していく。

 衣服は一気にぶかぶかになり、優美な鎖骨が浮き出、顎のラインはカミソリのように鋭く尖る。妖しいまでの凄艶な美しさを持つ「超絶イケメンモード」となった義明は、全身の血を吐き出すかのように歯を食いしばり、神の呪縛に抗いながら鮫島の背中を深く押し込んでいく。


「お、おい! 兄貴の背中を押してる先生が、急にガリガリの超イケメンに……!? なんだこれ、どんな術だ!?」


 あまりの怪奇現象に、後ろに控えていた子分たちが顔を青ざめさせ、慌てて懐のモノ(凶器)に手をかけようとしたその瞬間――。


「そこ、動かないで」


 低く冷たい声とともに、葵が子分たちの足元へ、邪気を祓うお清めの塩をザッと扇状に力強く撒いた。

 ただの塩のはずなのに、そこには目に見えない強固な壁があるかのように、「ひぃっ」と子分たちはそれ以上一歩も動けず怯み、立ち尽くす。


「鮫島さん」

 激痩せし、どこか神聖さすら纏った義明は、冷徹な治療師の目で鮫島を見下ろし、掠れた声を絞り出した。


「中央区の裏路地……古い敷地。……あそこを更地にして商業ビルにする時、敷地の奥にあった、小さな、古い祠を叩き潰しましたね」


「な……!? なぜ、それを……っ!」


「人間の作った法律や書類の上では、土地の買収の『スジ』は通ってるんでしょう。でもね、何百年もその場所にいた土地の神様を、挨拶もなく泥棒みたいに追い出すのは、『スジが通らない』んですよ。神様が激怒して、あんたの肉体のすじを、怒りのままに雑巾みたいに引き千切ろうとしてるんです」


「ひ、ひぃ……っ! た、助けてくれ! 悪かった、知らなかったんだ!!」


 鮫島は極道のプライドもかなぐり捨て、恐怖のあまり涙と鼻水をボロボロと流しながら、ベッドの上で必死に懇願した。


「……葵さん、アレを。この院で、一番重いやつを頼む」


 義明が限界の声を絞り出す。肉体のエネルギーは完全に枯渇し、肋骨の形がありありと浮き出て、細い指先は白く透け始めていた。


「了解です! 療術院特製・ハイパーマウンテンスタミナ丼!!」


 葵が裏の台所から、信じられないほどの重量感で両手で抱えて持ってきたのは、洗面器のような特大の器。そこには山盛りの大麦白米が三合、その上にビタミン豊富な国産豚の生姜焼きがこれでもかと敷き詰められ、さらに健康的な大豆おからと、純度百パーセントの蜂蜜、おろしニンニクをドバドバに絡めた、総重量数キロ、推定五千キロカロリー超の化け物ヘルシー肉丼だった。


 義明は片手で鮫島の背中をがっちりと押さえつけたまま、もう片方の手でその特大丼を鷲掴みにし、バケツをひっくり返すような凄まじい勢いで口の中へと流し込んだ。


「――っ、んぐ、もぐ……はぁッ!!」


 純粋な炭水化物とアミノ酸、そして圧倒的な質量のカロリーが、義明の飢餓状態の体内でダイナミックに大爆発を起こす。


 バキバキバキバキッ!!! と、施術室全体に、骨が軋み肉が急速に膨れ上がる音が響き渡り、義明は一瞬にして、体重百キロ超の屈強な「熊男モード」へと完全復活を遂げた。白衣の袖がはち切れんばかりに膨らみ、室内を圧倒するほどの凄まじい威圧感に、鮫島も子分たちも息を呑んで完全に硬直する。


『よし。――土地の神様。こいつには、僕の責任で、ちゃんとした『筋』を通させます。だから……今回はこの辺で、勘弁してやってください』


 義明は低く轟くような声でそう呟くと、丸太のような両腕に全霊力を込め、鮫島の背骨の横にある、狂って引き攣っていた太い主筋を、親指でフンッ!! と大地を穿つような力強さで押し流した。


 バリバリバリバリッ!!! と空間そのものが引き裂かれるような強烈な衝撃音がして、鮫島の身体に深く、残酷に食い込んでいた黒い木の根が、一斉に弾け飛んで空気中で完全に消滅した。


「――ぶはっっっ!?」


 鮫島はまるでバネが弾けたようにベッドの上へ大きく跳ね起きると、自分の手足を何度も動かして、狂ったように触りまくった。


「あ……直った。痛みが……どこにもねえ。ちゃんと、思い通りに動くぞ……!」


「直ったんじゃないですよ。神様が、僕の顔に免じて『執行猶予』をくれただけです」


 元の圧倒的な巨漢に戻った義明が、冷ややかな、逃げ場のない視線で鮫島を真っ直ぐに見据えた。


「今すぐあの土地に行って、社を再建する準備をしてください。神職の人間を呼んで、ちゃんとお詫びの筋を通さないと、次は筋が引き攣るだけじゃ済みませんよ。あんたの命のごと、完全に消されます」


「は、はいぃっ! すぐやります! 祠、今すぐ建て直します!!」


 鮫島は子分たちに両脇を抱えられながら、文字通り脱兎のごとく、転がるようにして療術院から逃げ去っていった。


「ふぅ……。神様相手の施術は、さすがに生きた心地がしなかったよ」


 義明がどさりと受付横のソファーに巨体を沈めると、葵が空になったハイパーマウンテン丼の巨大な器を拾い上げた。


「ヤクザより師匠のそのドカ食いの瞬間の方が、よっぽどホラーですからね。おからと大豆ベースだから健康的とか、そういう問題じゃないんですよ。ほら、床に撒いたお清めの塩、ちゃんと自分で掃除してくださいね」


「ええー、今、命がけで神様と交渉してめちゃくちゃ疲れてるんだけど……」


「ダメです。たくさん食べたんですから、少しは動いてカロリー消費してください、師匠」


 いつもの賑やかで呆れた声が院内に響く中、義明はほうきを手に取りながら、「やっぱり、スジの通らない仕事は、体に良くないねぇ」と、大らかな大男の笑顔でのんびりと笑うのだった。

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