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おもいですね

「――あ、こんにちは! ネットで『駆け込み寺みたいな凄い整体院がある』って見て来たんですけど……。本当にここ、効くんですかぁ?」


 お香の煙が静かに漂う院内に、ツカツカと派手なハイヒールの足音を響かせて入ってきたのは、SNSのフォロワー数数十万人を誇る人気美容系インフルエンサーの美咲みさきだった。

 隙のないバチバチのメイクに、これ見よがしなハイブランドのバッグ。一見すれば非の打ち所がない現代的な美女だが、義明の目には、彼女の美しい輪郭がひどく不自然に歪んで見えていた。


「いらっしゃい、美咲さん。……なるほど、これは相当な『思い』ですね」


 受付カウンターからぬっと顔を出した義明は、前回のちゃんこ鍋とおにぎりの貯蓄が効きすぎて、現在、体重100キロを余裕で超える「完全な熊男モード」だ。


 美咲は義明のプロレスラーさながらの巨体に一瞬ビクッとしたが、すぐに自分の頭を押さえて、美貌を台無しにするほど深く顔をしかめた。


「ちょっと先生、失礼ですね! 私の体重はそんなに重くありませんよ!……でも、確かに身体が最近いつも重くて、数日前から頭痛がすごくて……。まるで頭に冷たいセメントでも流し込まれたみたいに、ずうっとズキズキするんですけど」


「身体のせいだけなら、まだ可愛いんですけどね……」


 義明はため息混じりに美咲を施術ベッドへ促しながら、彼女の全身を覆う「どす黒い泥のようなナニカ」を凝視していた。


 それは、彼女自身が日々眺めているスマートフォンの、液晶画面の向こう側から飛んできたものだった。見知らぬ無数の人々から向けられる、粘着質な「嫉妬」や「羨望」、そして「引きずり下ろしてやりたい」「不幸になればいい」という、『思い』の塊。

 そのおぞましい精神の泥は、彼女の頭から首、そしてデコルテにかけてべっとりと泥着し、まるで絞殺するように、彼女の瑞々しい生気をじわじわと締め付けていた。


「……葵さん、一応スタンバイしといて。ヘビーそうだ」


 義明が声のトーンを落として低く囁くと、隣にいた葵は「うわ、また面倒なやつですね」と小さく眉をひそめ、臨戦態勢をとるようにそっと受付の奥へと下がっていった。


「じゃあ美咲さん、ベッドへうつ伏せに。……リラックスしてくださいね。まずはデコルテと首のリンパから、じっくり流していきますから」


「はぁい。よろしくお願いしまーす」


 スマホをいじりながら生返事をする美咲の首筋に、義明の大きな、岩のように温かい手が触れた。その瞬間――。


「ひゃんっ! ……つ、冷たっ!? 先生の手、何ですかそれ、氷みたいに冷たいんですけど!」


「あはは、僕の手じゃなくて、あなたの首が芯から冷え切ってるんですよ」


 義明はいつものようにのんびりと答えるが、内心ではどっと冷や汗をかいていた。

 美咲の肌に指先が触れた刹那、彼女の肌にべっとりとこびりついていた無数の『思い』が、濁流のようなノイズとなって義明の脳内へ直接流れ込んできたのだ。


『可愛い気取りやがって』

『どうせ全部整形だろ』

『裏でパパ活でもやってるんじゃないの?』

『調子に乗るな』

『早く炎上して落ちぶれろ』――。


 耳元で何千人もの見知らぬ人間が呪詛を喚き散らしているかのような、凄まじい悪意の精神攻撃。


(うわ、キツ……っ! これだけの数の濁った嫉妬を、防壁もなしに毎日無意識に浴びてりゃ、頭痛どころか発狂してもおかしくないぞ)


 義明は奥歯を噛み締め、美咲の首のリンパに沿って、その泥のような悪意のエネルギーを指先で絡め取り、自らの肉体へと引き受け始めた。

 同時に、泥の毒性を相殺するために、義明の肉体からみるみるうちに脂肪と筋肉が消費されていく。


「……っ、ふぅー、……っ」


 義明の呼吸が、目に見えて荒く、苦しげになっていく。百キロ超あった豊かな体重が、施術の進展とともに九十キロ、八十キロと、恐ろしい速度で削り取られていく。白衣の襟元が目に見えてぶかぶかに緩み、ガッシリと分厚かった肩幅が、まるで早回しの映像のようにみるみる狭くなっていく。


「先生……? なんか、急にハァハァ言ってません? 大丈夫ですか……? 一応言っておきますけど、変なことしたらすぐにSNSに書きますからね?」


 美咲が怪訝そうに、スマートフォンの画面から目を離さずに呟く。


「大丈夫……ですよ。他人の視線を、過剰に浴びすぎるのも、一種の毒素ですから。今、あなたの中に溜まった過剰な『思い』を、僕の指から外へ流しています……」


 義明の頬の肉が削げ、鼻梁がツンと高く尖る。またしても、憂いを帯びた妖艶な「超絶イケメンモード」へと変貌していく。


 しかし、今回の泥はこれまでの霊とはわけが違った。圧倒的に粘度が高く、流しても、流しても、次から次へと彼女のスマートフォンから、無限のパイプラインがあるかのようにドバドバと湧き出てくるのだ。


(ダメだ、キリがない……! 画面の向こうの悪意も異常だが、それ以上に彼女自身が『見せびらかす快感』と『他人の嫉妬』を養分にすることに強く執着している。彼女がその乾いた渇望を止めない限り、この泥の供給元が遮断できない……!)


 悪意の泥を処理しきれず、義明の手の動きが目に見えて鈍り出す。激痩せしすぎた彼の肉体は、もう体重六十キロ台にまで突入していた。白衣の隙間から痛々しいほど肋骨が浮き出る。限界を超えた脳が悲鳴を上げ、義明の視界がチカチカと白く明滅し始めた。


「師匠、特製プロテインですッ!!」


 背後から、全てを察した葵の鋭い声が響いた。

 限界を迎えた義明の口元に、葵が迷いなく突きつけたのは、特大のガラスジョッキに並々と注がれたドロドロの液体。プロテインパウダーをベースに、山盛りのギリシャヨーグルト、完熟バナナ二本、生卵五個、濃厚な蜂蜜、そしてなんと炊き立ての白米を丸ごとミキサーで跡形もなく攪拌した、藤堂療術院秘伝の「超高エネルギー復活ドリンク(悪魔のヘルシーシェイク)」だった。


「んぐっ、んぐっ、んぐっ……ぷはぁっ!!」


 義明は美咲に気づかれないよう、一瞬の隙を突いてそれを一気飲みした。もはや味わう余裕などない。

 ドロリとした純粋な栄養の塊が五臓六腑へと滑り落ちた瞬間、体内で爆発的なカロリーの熱風が吹き荒れる。パキパキ、バキバキと細胞が急速に再構成される音が室内に微かに響き、義明の背筋が再び凄まじい勢いで膨らんでいく。細かった指先は瞬く間に肉厚になり、熊のような強固な肉体が、邪気を撥ね返す「アーマー」として完全復活を遂げた。


「よし……っ! 仕上げだ!!」


 全盛のパワーを取り戻した義明は、ぶかぶかだった白衣の袖を完全に引き絞り、美咲の鎖骨の下――すべてのリンパが最終的に流れ込むツボへ、丸太のような親指をグッと深く、力強く押し込んだ。


『――他人の目を気にして数字ばかり追う前に、まずは自分の体に目を向けな。あんたの健気な体は、もうとっくに限界だって悲鳴を上げてるぞ』


 心の中の領域でそう一喝しながら、義明は美咲の全身にへばりついていた悪意の泥を、ごっそりと根こそぎ掴み取った。そして、排水口に汚水を投げ捨てるかのように、床へと向かって力任せに叩きつける。

 精神の泥は床に触れた瞬間、パチパチッと激しく火花を散らし、そのまま一瞬で白い煙となって消え去った。


「――ひゃぁああっっ!?」


 美咲が、まるで溺れていた人間が水面に顔を出したかのように、大きく息を吐き出しながらガバッとベッドの上に起き上がった。


「あれ……!? 頭痛が……消えてる! え、っていうか、目がめちゃくちゃ開く! 視界がすっごく明るいです、先生!」


 美咲は慌ててバッグから手鏡を取り出し、自分の顔を覗き込んで歓声をあげた。


「すごーい、何これ! くすみが完全に消えて肌がめちゃくちゃトーンアップしてる! 先生、マジで神の手ですね! これ、今すぐインスタのストーリーに書いてもいいですか! メンションします!」


「あはは、できれば隠れ家的なお店にしておきたいので、名前は伏せて『下町の凄い整体師』くらいに濁してもらえると助かります」


 いつの間にか百キロ超の元の巨漢(熊男)に戻った義明が、ポリポリと頭を掻きながら苦笑いした。


「あとね、美咲さん。SNSでファンを喜ばせるのもいいですけど、たまにはスマホの電源を完全に切って、静かにお風呂にでも浸かってください。他人の『思い』ばかりを画面越しに受け止めすぎると、またすぐに体が『重く』なっちゃいますからね」


 鏡を見ていた美咲の手が、ふと止まる。彼女は少し寂しげに、しかしどこかホッとしたように微笑んだ。


「……そうですね。最近、フォロワーやいいねの数字ばかり気にして、ちょっと疲れちゃってたかも。今夜はスマホをリビングに置いて、ゆっくり寝まーす!」


 美咲は憑き物が落ちたような、本来の彼女が持つ優しくみずみずしい笑顔を見せて、羽が生えたかのように軽やかな足取りで療術院を去っていった。


「ふいー、助かったよ葵さん。あの特製ドリンク、相変わらずギリシャヨーグルトの酸味と白米の粘り気が絶妙に喉に詰まるけど、効き目は抜群だね」


 義明がソファーにどさりと巨体を沈めると、葵が呆れた顔で空になった特大ジョッキを回収した。


「当たり前です、プロのアスリートが限界まで増量するときのメニューなんですから。健康に良い食材しか使ってないのがせめてもの救いですね。……あ、ほら、美咲さんが『これ、ギルティだけど超美味しいですよ』って置いていった、お裾分けの高級マカロンありますよ。どうせまたすぐ次の仕事で痩せるんだから、今のうちに糖分補給しといてください」


「わーい、マカロン! ピスタチオ味だ!」


 百キロ超の巨漢が、指先ほどの小さなマカロンを本当に嬉しそうに、大切そうに頬張る姿を見ながら、葵は「本当に、割に合わない療術院ですね」と、小さく、けれど温かく笑うのだった。

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