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すわれてますね

「……あの、すみません。予約した木村きむらですけど……」


 翌々日の午前中。おずおずと療術院の引き戸を開けて入ってきたのは、いかにも線の細い男子大学生だった。Tシャツの襟元からは鎖骨が不健康に浮き出ており、目の下にべっとりと濃いクマをこしらえている。まるで歩く幽霊のように生気がない。


「あ、木村さんですね。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」


 受付カウンターの奥から声をかけたのは、白衣を着た驚くほどの美男子――藤堂 義明だった。

 涼しげで切れ味のある目元に、彫刻のようにシャープなフェイスライン。どこか儚げな雰囲気を纏った姿はモデルか俳優のようだが、なぜか着ている白衣だけが異様にブカブカで、サイズが全く合っていない。


 大学生の木村は、義明を見るなりぱっと顔を輝かせた。


「あの! ホームページで『熊みたいに大柄で、包容力のある先生がやってます』って書いてあったのを見て来たんですけど……。もしかして、あの大男の先生の、弟さんか何かですか!?」


「いえ、本人です」


「えっ」


「ちょっとここ数日、ハードな現場が続きましてね。……まあ、よくあることです」


「よくあってたまるか」


 横から、受付のバインダーで義明の頭を軽く叩きながら、葵がすかさず容赦のないツッコミを入れる。


「木村さん、騙されちゃダメですよ。この人、一昨日の夜にちょっと無理な除霊しごとをしたせいで、今、絶賛『エネルギー(肉体)』切れなんです。早くちゃんこ鍋を胃袋に詰め込んで肉を戻してほしいのに、小食のモデルさんみたいなスピードでしかお箸が進まなくて。見てください、この無駄に顔が良いだけのガリガリ男を。ただの燃費の悪いヴィジュアル系ですよ」


「葵さん、言い方。これでも一応、命を削って仕事をしてるんだから……。今はバナナを一本咀嚼するだけでも顎の筋肉が悲鳴を上げてるんだよ」


 義明はフラフラと頼りない足取りで、ぶかぶかの白衣をなびかせながら木村を施術ベッドへと案内した。


「……さ、木村さん。ベッドにうつ伏せになってください。あ、その前にちょっと骨盤の歪みを見たいので、そのままリラックスしてベッドの端に腰掛けてもらえますか? 」


「あ、はい……」


 木村は言われるがまま、ベッドの端に浅く腰を下ろした。


「……これ、完全に『吸われて』ますね」


「座れる……? はい、ちゃんと座ってますけど……」


 木村が不思議そうに首を傾げた瞬間。

 義明の細められた瞳が、激痩せモード特有の、冷徹で鋭い光を帯びた。


 義明の視界には、一般的な整体師には決して見えない、おぞましい光景が映り込んでいた。

 ベッドにちょこんと座る木村の背中から腰にかけて、粘着質で毒々しいピンク色をした、太い『ストロー』のような半透明の*が、何十本も容赦なく突き刺さっているのだ。その無数のストローの先は、院の窓を通り抜け、遠く離れた場所にいるであろう「誰か」へと不気味に繋がっている。


 シュウ、シュウ、と不快な音を立てて、木村の若々しい生命エネルギーが、文字通り限界まで吸い上げられていくのが見えた。


(うわあ、えげつないな……。生霊のエネルギー吸引だ。友達か?彼女か?彼の生気を吸い上げて自分の栄養にしてる。そりゃ、こんなクマができるわけだ)


 義明は木村の細い肩にそっと手を置いた。いつもなら肉厚な手のひらで丸ごと包み込めるのだが、今の義明は指先まで皮一枚のように細い。手のひらから伝わる体温も、どこか頼りなかった。


「木村さん。最近、新しい環境とか、人間関係の変化はありましたか?」


「あ……はい。実は一ヶ月前から彼女ができたんですけど。すごく可愛い子なんですけど、束縛が激しくて……。LINEの返信が五分遅れると『どこにいるの』って電話が何十件も来たり、僕のSNSのフォロワーの女子を全員ブロックさせられたり。最近は、寝ても寝ても疲れが取れなくて、頭がボーッとするんです」


 木村は自嘲気味に、力なく笑う。

「彼女のことは好きなんですけど、なんだか自分という人間が、どんどん擦り切れていくみたいで……」


「……彼女に尽くしてばかりで、自分を蔑ろにしていませんか?」


 義明は静かに告げ、木村の骨盤のあたりに両手を当てた。


「いいですか。人間関係の歪みは、骨の歪みと同じです。自分の軸――つまり他人との境界線がグラグラしているから、相手が境界線を越えて簡単に侵入してくる。そして、あなたのエネルギーを吸い尽くすんです。……ちょっと、そのストロー、全部抜きますね」


「え? ストロー?」


 木村が聞き返した瞬間、義明は木村の腰のツボをグッと指圧した。

 ――と同時に、義明は心の中で、木村の背中に突き刺さっている見えないピンク色のストローを一本ずつ束ねて掴み、強引に引き抜き始めた。


 パチン、パチン、と空間で何かが硬く弾けるような音が鳴る。

 だが、今回は相手がすでに死んだ霊ではなく、今まさに生きている人間の「生霊」――リアルタイムの強い執念だ。引き抜こうとする義明の手のひらに、ぬるりとした粘着質な抵抗感と、生々しい嫉妬の情念がまとわりつく。


(くっ……! 生霊の粘着力は侮れないな。今の俺の肉体アーマーじゃ、この質量を撥ね返しきれない……!)


 エネルギー不足の細い体では、相手の執着の「重み」に力負けしそうになる。義明のシャープな額から、ダラダラと冷や汗が流れ落ち、視界がかすみ始めた。


「師匠!」


 異変に気づいた葵が、素早く動いた。

 受付の奥からタタタッと駆け寄り、ラップに包まれた特大の「塩むすび」を、義明の口元にグイッと容赦なく押し込む。おにぎり一個で、なんと米二合分はある爆弾サイズだ。


「これ食べて、気合い入れてください!」


「ふぐっ……もぐ、もぐ……!」


 義明は半分涙目になりながら、巨大な塩むすびを噛み砕き、喉の奥へと丸呑みにした。

 米という名の純粋な炭水化物が胃袋に落ちた瞬間、義明の体内で爆発的な熱エネルギーが駆け巡る。瞬く間に細かった指先がガッシリとした「職人の手」へと戻り、腕の筋肉が、胸板が、服を押し広げるようにして一瞬で膨らんでいく。


「――ふぅ。ごちそうさま」


 急速にエネルギーをチャージした義明は、木村の背中に刺さった残りのストローを一網打尽にガシッと掴み取った。


『人のものを勝手に吸い尽くすな。恋人なら、エネルギーは与え合うもんだろ』


 心の領域でそう一喝し、掴んだ念の束を、窓の外へ向かって力任せに投げ返した。

 バチンッ!!! と、ひときわ大きな衝撃音が療術院の空間に響き渡る。


「……ふあぁ!?」


 木村が、背後から弾かれたように勢いよく背筋を伸ばした。

「あれ……? なんだこれ……。今、背中がすっごく軽くなりました。というか、頭のモヤモヤが急に晴れて、なんか……『何であんな理不尽な束縛に耐えてたんだろ?』って、急に冷静になってきました」


「お、心の境界線が戻りましたね」


 いつの間にか、元の「100キロ超の熊男」に戻った義明が、のんびりと首を回しながら汗を拭いていた。あまりの体型の急変に、木村は目を丸くして固まっている。


「骨盤の位置を正常に戻しておきました。自分をしっかり持っていれば、他人に振り回されることも、エネルギーを吸われることもなくなります。……あ、でも、その彼女さんとは、一度ちゃんと話し合った方がいいですよ」


「はい……! ちゃんと自分の意見を伝えてみます! 先生、ありがとうございました!」


 顔色が劇的に良くなり、目に生気が戻った木村は、すっきりとした顔で帰っていった。


「ふぅ。生霊は粘着質だから疲れるねぇ……」


 首を回す義明に、葵が深いため息をつきながら、バインダーに挟んだ伝票を差し出す。


「お疲れ様でした、師匠。はい、これ、さっきのおにぎり代と、エネルギー補給用に夜頼むちゃんこ鍋の出前代、しっかり師匠のお給料から引いときますからね」


「えぇーっ! 経費で落としてよ!」


「ダメです。体重管理は自己責任。ほら、廊下狭くなるから早く片付けてください!」


 元の巨漢に戻った義明は、「ケチだなぁ」とぼやきながら、再び次の患者を待つためにベッドをのんびりと整えるのだった。

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