第59話 凍てつく覚悟
終わる。そう思った。タンニーンは進化した。偽の核。第二形態。再生。強化。さらに軍勢側には新たなヴォイドの群れ。ロバートたちの戦線も崩れ始めている。そして。アカネは重傷。右腕は折れ。肩は裂け。膝をついている。今まで見たことのない姿だった。
「アカネ……」
キアラの声が震える。タンニーンが口を開く。喉が赤く染まる。極大の炎。狙いはアカネ。今のアカネでは避けられない。誰もが理解した。終わる。そう思った。だがアカネは顔を上げた。血に濡れた顔。
それでも瞳だけは死んでいない。そして。
「サフィラ」
小さく呟いた。それだけだった。だがサフィラには十分だった。何を言いたいのか。何を託したのか。
全部分かる。長い時間を共に戦ってきた。だから。
「まったく」
サフィラが苦笑する。
「本当に無茶ばかりだ」
そして。刀を握る。ユルムガンドの魔力。そして自分自身の魔力。全てを解放する。空気が変わった。
冷える。いやそんな生易しいものではない。熱そのものが奪われ消えてゆく。森が白く染まり始める。地面が凍る。吐く息が凍る。兵士たちが震える。
「なんだ……」
ロバートが空を見上げる。そこには。巨大な氷翼があった。今までとは比較にならない。空そのものを覆うほど巨大な翼。サフィラはゆっくり上昇する。高く。さらに高く。タンニーンも気付く。
危険。危険。危険。本能が叫ぶ。逃げろと。だがもう遅い。
「アカネ」
サフィラが振り返る。
「後は頼むぞ」
アカネが立ち上がる。折れた右腕を抱えながら。それでも。頷く。
「任せて」
サフィラが笑った。そして。刀を掲げる。空が凍る。雲が凍る。大気が凍る。兵士も。ヴォイドも。
全員が空を見る。圧倒的だった。まるで神話。人ではない。龍だ。氷龍そのものだった。
「アブソリュートゼロ」
一拍。静寂。そして。
「アンリミテッド」
世界が白く染まった。轟音すらない。音が死ぬ。熱が死ぬ。炎が死ぬ。タンニーンの炎が凍る。ワイバーンが凍る。大型種が凍る。ヴォイドが凍る。森が凍る。大地が凍る。空気が凍る。敵だけが。例外なく。完全に停止する。数百。その全てが。巨大な氷像へ変わる。ロバートは言葉を失った。
兵士たちも。狩人たちも。誰も喋れない。あまりにも規格外だった。タンニーンですら動かない。第二形態。圧倒的な怪物。それすら凍り付いている。完全停止。そして。サフィラが落ちる。
「サフィラ!」
キアラが走る。地面へ着地したサフィラは膝をついていた。呼吸が荒い。顔色も悪い。指先すら震えている。魔力が空だった。完全に。限界を超えていた。
「大丈夫!?」
キアラが支える。サフィラは苦笑した。
「少し……やり過ぎた」
「少しじゃないよ!」
思わず叫ぶ。だがサフィラは笑っていた。後悔はない。やるべきことをやった。それだけだった。そして。アカネが近付いてくる。傷だらけ。満身創痍。それでも立っている。
「かっこよかった」
サフィラが吹き出した。
「今言うなよ」
「本当」
「知っているさ」
少しだけ。二人が笑う。その姿を見ながら。キアラは息を呑んでいた。届かない。まだ全然。自分が命懸けで届こうとしている場所へ。この二人はもう立っている。アカネ。サフィラ。英雄。化け物。いや努力し続けた人たち。だからこそ。キアラは拳を握る。悔しい。でも。嬉しかった。いつか必ず追いつく。
その決意を胸に前を見る。タンニーンは凍った。軍勢も持ち直した。そしてその先。コア。巨大な黒い塔。逃げようとしていた。
「逃がさない」
アカネが言う。舞姫。六本の剣が現れる。キアラも構える。スクラン。巨大な捕食器官が開く。決着の時だった。 巨大な根が地面を引き裂く。黒い肉塊が蠢く。塔のような巨体がゆっくりと後退を始める。
「逃げるぞ!」
ロバートが叫ぶ。兵士たちにも分かった。あれは撤退だ。コアは勝てないと判断した。だから逃げる。
生き残るために。次の世界を壊すために。次の機会を待つために。そしてアカネの顔から表情が消えた。
「駄目」
小さな声。だがキアラは聞いたことがないほど冷たい声だった。
「絶対駄目」
アカネが走る。地面を蹴る。疾走。限界など考えない。折れた腕も。傷も。全部無視。ただ前へコアだけを見ていた。キアラも走る。サフィラは立てない。それでも笑っていた。
「行け」
その一言だけ。
「うん!」
キアラが頷く。そして追う。巨大なコア。その先森の最奥。逃げられたら終わり。アカネは知っている。一度逃したらどうなるか。知っている。嫌というほど。だから必死だった。舞姫。剣が飛ぶ。黒い根を切り裂く。肉を削る。だが。止まらない。コアは巨大すぎる。削れている。傷付いている。それでも止まらない。
「止まれ!」
珍しくアカネが叫ぶ。怒り。焦り。後悔。色々な感情が混ざっていた。そしてコアも抵抗する。根が飛び出す。黒い槍となって襲う。アカネは切る。避ける。進む。それでも。距離が縮まらない。キアラが見ていた。アカネの背中。初めて見る。焦っているアカネ。追い詰められているアカネ。その時。
アカネが躓いた。ほんの少し。傷のせいだった。足がもつれる。
「アカネ!」
キアラが叫ぶ。アカネは立ち上がるだが遅い。コアが遠ざかる。あと少し。本当にあと少し。それなのに届かない。そして。キアラは気付く。自分の方が近い。今だけは。アカネよりも。コアへ近い。左腕が脈打つ。キアラは拳を握る。怖い。何が起こるか分からない。でも今やらなければ終わる。
アカネが救えなかった世界。サフィラが守ろうとした人たち。エドガー。孤児たち。町。全部。終わる。だから。
「リリ」
左腕を見る。黒い紋様が全身を巡る。
「食べるよ」
返事はない。だが。脈打つ。力強く。そして。キアラが飛んだ。ナスク。全力。地面が爆ぜる。一直線。コアへ。アカネが顔を上げる。瞬間舞姫の一本が飛びコアへ突き刺さる。
「キアラ!そこを狙って!」
叫ぶ。巨大な捕食器官が開く。今までで最大。牙。口。異形。そして。
「スクラン!!」
噛み付いた。コアへ。その中心へ。核へ。世界を蝕み続けた存在へ。牙が食い込む。コアが初めて悲鳴を上げた。耳では聞こえない。だが分かる。絶叫している。嫌がっている。恐怖している。そしてキアラは喰らった。コアを。その核を。その存在そのものを。次の瞬間。世界が流れ込んできた。
「――――ッ!!」
キアラの絶叫が森へ響いた。熱い。痛い。苦しい。頭が割れる。脳が焼ける。理解できない。情報。情報。
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膨大すぎる。人間が受け止めていい量ではない。視界が白く染まる。足が崩れる。それでも。捕食は止まらない。リリが喰う。吸収する。取り込む。そして。コアが崩れ始める。巨大な塔が崩壊する。黒い根が朽ちる。肉塊が消える。世界を蝕んだ元凶が。ゆっくりと。確実に死んでいく。アカネは立ち尽くしていた。目の前の光景を見ながら。そして小さく笑う。
「やった」
本当に小さな声だった。だが確かな喜びがあった。その直後。キアラの身体が倒れる。前へ。力を失ったように。アカネが飛び込む。抱き留める。
「キアラ」
返事はない。熱い。異常なほど。汗。発熱。痙攣。呼吸も荒い。そして閉じた瞼の奥で。少女は世界の真実を見始めていた。
この世界での戦いは。終わった。




