第55話 待つ時間
戦力が揃うまで数日掛かる。そうロバートは言った。そして実際その通りだった。毎日のように人が来る。数は少しずつ増えていた。だがまだ足りない。コアの存在を知る者は少ない。まして世界が滅ぶなどと言われても信じられる者はもっと少ない。だから時間が必要だった。説得する時間。理解させる時間。
覚悟を決める時間。その間三人もただ待っていたわけではない。砦の外。森の手前。キアラは今日も訓練していた。
「もう一回」
アカネが言う。
「うん!」
キアラが構える。拳。踏み込み。最短距離。以前よりずっと良くなっていた。無駄な動きが減っている。力みも減っている。だがまだ足りない。アカネは避ける。最小限。本当に紙一重。
「惜しい」
「ほんと?」
「三日前より、だいぶ良い」
キアラの顔が明るくなる。アカネは滅多に褒めない。だから嬉しかった。しかし次の言葉が続く。
「でもまだ大きい」
「またそれ!」
キアラが叫ぶ。アカネは真面目だった。
「力余る」
「余らない!」
「余る」
即答だった。その時サフィラが近付いてくる。背中には氷翼。最近ではかなり安定していた。もはや飛ぶだけなら苦労しない。
「お前は殴る前から殴ろうとしている」
サフィラが言う。
「え?」
「肩に力が入る腰も入る敵からしたら分かりやすい」
キアラが固まる。言われてみればそうかもしれない。
「強く殴ろうとしすぎだ」
「でも強い方がいいじゃん」
「当たればな」
その一言で黙った。ぐうの音も出ない。サフィラが笑う。
「アカネを見ろ」
キアラが視線を向ける。アカネは首を傾げる。
「?」
本人は分かっていない。
「こいつは斬る瞬間まで力を入れていない、だから読まれない」
それは長年の積み重ねだった。生き残るため。少しでも体力を残すため。少しでも長く戦うため。そうして身に付いた戦い方。
「真似しろとは言わん」
サフィラが言う。
「今は無理だ」
「うん」
キアラも分かっている。
「だが覚えておけ」
「強い奴ほど無駄がない」
その言葉は心に残った。未来。きっと役に立つ。その日の夜。砦では小さな宴会が開かれていた。酒ではない。士気を保つための食事会だ。集まった兵士たち。警備隊。傭兵。皆が同じ鍋を囲んでいる。その中で。
「おい」
誰かが言った。
「見ろ」
視線の先。アカネだった。食べている。ひたすら食べている。
「何杯目だ?」
「八杯」
「嘘だろ」
「いや九杯目だ」
ざわつく兵士たち。アカネは気付いていない。
「育ち盛り」
本人は真面目だった。
「育ち盛りって歳じゃないだろ」
ロバートが呆れる。サフィラが吹き出した。キアラも笑う。決戦前とは思えない空気だった。だがだからこそ必要だった。こういう時間が。皆が笑える時間が。その翌日エドガーから手紙が届いた。ロバートが読む。そして表情が変わる。
「来たか」
静かな声。アカネも立ち上がる。サフィラも。キアラも。全員が集まる。
「各地の戦力が到着する」
ロバートが言った。
「明日だ」
静寂。そして誰かが息を吐く。つまり準備期間は終わり。明日。最後の軍勢が到着する。そしてその次の日。コア討伐作戦が開始される。アカネは北の森を見る。遠く見えない場所。それでも分かる。
「待ってろ」
小さく呟く。今度こそ。逃がさない。翌日。朝から砦は騒がしかった。見張り台から声が飛ぶ。
「西街道に増援部隊確認!」
「東側にも!」
「南からも来るぞ!」
次々と報告が上がる。砦へ人が集まっていた。様々な者たちが続々と到着する。数千人規模。この辺境では滅多に見られない人数だった。キアラは砦の壁の上からそれを眺めていた。
「すごい……」
思わず呟く。こんなに人がいるのを見たことがない。その隣でロバートが腕を組む。
「神父様は本当に顔が広いな」
感心したように言う。実際その通りだった。エドガーが送った手紙。それがなければここまで集まらなかった。信じてくれた人間。信じてくれなかった人間。半信半疑の人間。様々だろう。それでも来た。戦うために。守るために。その事実は大きかった。昼過ぎ。最後の部隊も到着した。ロバートが砦中央へ集まった者たちを見る。静かになる。数千人の視線。全てが集まる。
「諸君」
ロバートが口を開いた。普段より少しだけ大きな声。
「明日、我々は森の最奥へ向かう」
ざわめき。だが誰も口を挟まない。
「ヴォイドを生み出す元凶、コアを破壊するためだ」
コア。その言葉を初めて聞く者もいる。それでも。ここまで来た人間たちは逃げなかった。
「怖い者もいるだろう、俺も怖い」
正直な言葉だった。だからこそ皆が聞く。
「だが、後ろには町がある、家族がいる、守りたいものがある」
静かだった。誰も笑わない。皆同じだからだ。
「だから戦う」
短い言葉。だが十分だった。大きな歓声はない。ただ覚悟を決めた者たちの空気だけがあった。その日の夕方。砦の外。アカネは一人で剣の手入れをしていた。特に意味はない。昔からの習慣だった。そこへキアラがやって来る。
「隣いい?」
「いいよ」
座る。しばらく沈黙。珍しくキアラから話しかけなかった。
「緊張してる?」
アカネが聞く。キアラは少し考える。
「してる」
素直だった。
「死ぬかもしれないし」
アカネは頷く。
「うん」
「アカネも?」
「する」
即答だった。キアラは少し驚く。
「するんだ」
「する、でも行く」
当たり前のように言う。それがアカネだった。キアラは少し笑った。
「なんか安心した」
「そう?」
「うん」
怖いのは自分だけじゃない。それだけで少し気が楽になる。その時だった。
「ここにいたか」
サフィラが現れる。手には三つのマグカップ。湯気が立っている。
「コーヒーだ」
「苦い」
アカネが言う。
「飲めるだろう?大人ならな」
意地が悪い。キアラが笑った。
三人で並んで座る。夕日が森を赤く染めている。静かな時間だった。しばらくして。サフィラが口を開く。
「明日は私が空を抑える」
「うん」
アカネが頷く。
「地上は私、キアラも」
「わかった」
簡単な確認。何度も話し合った内容。だが大事だった。
「アブソリュートゼロは?」
キアラが聞く。
サフィラが少し笑う。
「使うさ」
二人が見る。
「ただし最後だ」
その言葉にアカネも頷く。切り札。最後まで温存する。それが決まっていた。そして。夜。皆が眠りについた後。
森の最奥。轟音。木々が揺れる。大地が震える。コアの前に現れる巨大な影。コア最後の守護者。
その巨体は小さな家など軽く踏み潰せるほど巨大だった。コアが脈動する。守れ。殺せ。排除しろ。
命令が流れ込む。黄金の瞳が開く。
そして。北の砦の方角を見た。決戦まであと一日だった。




