第50話 炎
赤熱する喉。燃え上がる炎。空を旋回するワイバーン。そしてその視線の先。キアラ。間違いなかった。
「キアラ!」
アカネが叫ぶ。
「中へ!」
キアラも流石に異常を察する。走る。その瞬間。ワイバーンが炎を吐いた。轟音。火炎が空を裂く。真っ直ぐキアラへ。次の瞬間。アカネが飛び出していた。
「舞姫!」
無数の剣が空中へ現れる。剣の壁。炎がぶつかる。爆発。熱風。周囲へ火花が散る。
「っ!」
兵士たちが顔を庇う。だが。防げた。キアラも無事。
「アカネ!」
「走る!」
「うん!」
キアラが砦の建物へ駆け込む。その様子を見て。アカネは確信した。偶然じゃない。本当に狙われている。
「サフィラ!」
「分かっている!」
サフィラは既に動いていた。刀を抜く。地面を蹴る。砦の壁。見張り台。屋根。足場を利用して一気に高度を上げる。そして。一体目のワイバーンへ跳んだ。
「はぁっ!」
一閃。翼が切り裂かれる。悲鳴。巨大な身体が墜落する。地面へ激突。兵士たちが歓声を上げる。
「すげぇ……」
「落としたぞ!」
だが。数が多い。五体。六体。さらに奥から現れる。しかも。全てがキアラを探していた。アカネの表情が険しくなる。
「やっぱり」
嫌な予感が当たった。コアは学習した。何を根拠にしたのかは分からない。だがキアラを危険と判断した。だから対策した。だから送り込んだ。
「面倒」
アカネが呟く。その時だった。建物の中。窓際。キアラも外を見ていた。ワイバーン。炎。燃え上がる空。そして何故か胸の奥がざわつく。嫌な感覚。怖い。炎が。あの炎が。理屈じゃない。本能的に。近付きたくない。その時左腕の紋様が僅かに脈打った。
「え?」
さらに。もう一度。脈打つ。そして。キアラは気付く。リリが。怯えている。
「……リリ?」
今まで一度もなかった。怒りもない。喜びもない。言葉もない。ただ存在していただけ。そんなリリが。初めて。拒絶していた。炎を。あのワイバーンを。その瞬間。キアラの脳裏へ閃く。森での出来事。黒い怪物。大量のヴォイド。そして。アカネたちの言葉。リリを知れ。もっと繋がれ。今なら分かる。
「炎……?」
小さな呟き。そして。外。空。また一体。ワイバーンが炎を吐く。その瞬間。リリがさらに反応した。明らかだった。
「弱点なの……?」
キアラが呟く。自分でも信じられなかった。だが否定できない。リリは炎を嫌がっている。本能的に。
明確に。その頃。森の奥。コアは観察していた。遠くから。静かに。炎。飛行。遠距離攻撃。学習結果。
観測。対象反応確認。適合。有効。学習継続。根が脈打つ。次の情報を求めるように。
そして。その時だった。コアの観測の中へ。一つの異物が入り込む。アカネ。森へ向かって走っていた。
「見つけた」
小さな声。怒ってはいない。焦ってもいない。だが確実に。コアを殺しに来ていた。その瞬間。コアは理解する。危険。最優先危険対象。即時撤退推奨。そしてワイバーンたちへ命令が送られる。時間を稼げ、と。
森の奥へ。アカネが駆ける。木々を飛び越え。枝を蹴り。一直線にコアを目指す。だが当然。コアも黙ってはいなかった。森中のヴォイドが動き出す。獣型。人型。大型の個体まで混ざっている。地上から。そして空から。アカネを包囲するように襲い掛かった。
「邪魔だな、舞姫」
アカネの周囲へ剣が現れる。銀閃。次々とヴォイドが貫かれる。だが数が多い。地上だけではない。上空からもワイバーンが降下してくる。完全な時間稼ぎだった。
「逃げる気満々」
アカネが呟く。予想通り。コアは戦わない。戦う準備が整うまで決して前へ出ない。だからこそ厄介だった。その頃。砦上空。サフィラも激戦の最中にいた。刀が閃く。一体。また一体。ワイバーンを撃墜する。だがこちらも数が多い。
「本当に面倒な敵だな!」
上空から炎。横から爪。背後から突進。普通の兵士ではどうにもならない。だからサフィラが抑えるしかない。そして一体のワイバーンが翼を切られた。
「ギャアアアアアッ!!」
悲鳴。制御を失う。巨大な身体が回転しながら落下していく。
「まずい!」
だが落下地点が悪かった。砦の建物群。そして。キアラがいる場所だった。
「ナスク!!」黒い鎧が全身を覆う。
轟音。建物が揺れる。壁が砕ける。窓が吹き飛ぶ。巨大なワイバーンが屋根を突き破った。木材が飛び散る。土煙が舞う。そしてその中心にいたキアラ。瓦礫が降り注ぐ。だが防げた。吹き飛ばされながらも立ち上がる。黒い鎧が軋む。無事だった。しかし。問題は終わっていない。目の前。瓦礫の中。ワイバーンが起き上がる。翼は半分切断されている。飛べない。だがまだ生きていた。赤い眼。黒い鱗。巨大な牙。そして燃える喉。キアラの身体が強張る。左腕が反応する。リリが嫌がっている。本能的に。明確に。あの炎を。
「っ……」
怖い。今まで感じたことのない恐怖だった。ヴォイドと何度も戦った。大型種とも戦った。だがこれは違う。リリが怯えている。だから自分も怖い。その時ワイバーンが口を開いた。喉が赤く染まる。
「っ!」
来る。キアラは即座に横へ飛んだ。直後。炎が放たれる。轟音。熱風。壁が溶ける。木材が燃え上がる。
「うわっ!?」
熱い。近い。危ない。ナスクの表面が僅かに焦げる。それを見て。キアラは理解した。直撃したらまずい。本当にまずい。
「じゃあ!」
キアラが構える。拳を握る。逃げる選択肢はない。サフィラは上。アカネは森。今ここにいるのは自分だけ。
「やるしかない!」
ワイバーンが咆哮する。キアラも地面を蹴る。初めての天敵。初めての相性最悪の敵。そして。リリを理解するための戦いが始まったキアラが地面を蹴る。一直線。距離を詰める。ワイバーンも気付く。
大きく口を開く。喉が赤く光る。
「またそれ!」
キアラが叫ぶ。炎が来る。分かっている。だから避ける。横へ飛ぶ。直後。火炎が通り過ぎた。熱風だけで頬が痛い。ナスクの表面がじりじりと音を立てる。怖い。本当に怖い。だが止まれない。キアラはさらに踏み込む。ワイバーンの懐へ。巨大な爪が振り下ろされる。それを躱す。拳を握る。そして。
「はああぁっ!!」
全力の一撃。黒い鎧が拳を覆う。ワイバーンの顔面へ直撃。鈍い音。巨大な身体が揺れる。だが倒れない。
「硬っ!?」
キアラが驚く。大型種ほどではない。しかし十分硬い。ワイバーンが咆哮する。尻尾が振り抜かれる。
キアラが吹き飛ぶ。
「きゃっ!」
瓦礫へ激突。壁が崩れる。肺の空気が抜けた。痛い。だが立ち上がれる。以前より身体は強い。確実に。
「リリ!」
無意識に呼ぶ。返事はない。だが。黒い紋様が脈打つ。その瞬間。キアラは気付く。怖い。でもそれ以上に。リリも怖がっている。それが分かる。言葉じゃない。感情でもない。ただ感覚。それでも。確かに伝わる。
「……怖いんだ」
ぽつりと呟く。リリが。炎を。恐れている。そして。その事実にキアラは少しだけ腹が立った。自分じゃない。ワイバーンにだ。
「なんだよそれ」
立ち上がる。拳を握る。
「怖がらせるな」
ワイバーンが再び炎を吐こうとする。赤い光。燃える喉。左腕じゃない。全身。黒い糸。身体の中を走るもう一つの神経。それを。強く意識する。瞬間。世界が少しだけ変わった。身体が軽い。景色が遅い。筋肉が自然に動く。リリが助けてくれてる。そんな感覚。
「え」
自分でも驚く。だが。止まらない。ワイバーンが炎を吐く。キアラが動く。今までよりずっと速く。炎の横を抜ける。
「なっ」
自分で驚く。今までなら避けられなかった。だが避けられた。ワイバーンも反応が遅れる。その隙。
キアラが懐へ潜り込む。 拳。 肘。膝。連撃、ナスクの力。そしてリリの補助。ワイバーンの頭が揺れる。首が曲がる。巨体が後退する。しかしまだ倒れない。
「やっぱり硬い!」
キアラが叫ぶ。その時だった。頭の中へ。妙な感覚が流れ込む。喰う。吸収。取り込む。再構築。
それは言葉ではない。リリの本能。リリが森で繰り返していた行動。そして。キアラは一瞬だけ理解する。
「そうか」
今までの自分は。リリの力の半分も使っていなかった。形状変化。鎧。拳。それだけ。本当は違う。
リリの本質は。捕食。吸収。再構築。そちらだ。その瞬間。ワイバーンが再び炎を吐こうとする。だが今度はキアラが先だった。地面を蹴る。全力。今までで最速。そしてワイバーンの喉へ。黒い拳が突き刺さる。轟音。骨が砕ける音。ワイバーンの目が見開かれる。炎が暴発する。口から漏れる。喉の内部で爆ぜる。苦悶の咆哮。巨体が倒れる。地面が揺れる。静寂。キアラも息を切らす。
「勝った……?」
まだ死んでいない。だが立ち上がれない。勝負は決まった。その時ワイバーンの傷口から。黒い靄が漏れた。そしてキアラの左腕が。強く脈打った。まるでその力を欲しがるように。




