第5話 反動
白い亀裂が閉じる。静寂。吹雪の音だけが残った。
「……アカネ」
返事はない。目の前から少女が消えた。サフィラは思わず一歩踏み出す。だがどうしようもない。追えない。どこへ行ったのかも分からない。
「くそっ……」
初めてだった。戦場でこんな感覚を覚えたのは。敵が見えない。味方も見えない。自分だけが取り残されたようだった。その時。遠くで爆発のような音が響く。轟音。さらに。もう一度。大地が揺れる。雪が舞い上がる。
「向こうか……!」
コアのいた方向。何かが起きている。間違いなくアカネだ。だが距離が遠すぎる。サフィラには見えない。ただ。黒い空が時折赤く光っていた。まるで雷のように。まるで誰かが世界そのものを叩いているかのように。数分。あるいは数十分。体感では分からなかった。やがて。光が止む。轟音も消える。雪原に静寂が戻る。
「……終わったのか」
誰に向けた言葉でもない。答える者もいない。すると。空間が揺れた。サフィラは反射的に剣を構える。白い亀裂。再び現れる。そして。その中から人影が飛び出した。
「アカネ!」
雪の上へ転がる。何度も。何度も。止まらない。まるで投げ捨てられた人形のようだった。サフィラは駆け出す。
「おい!」
返事がない。アカネは雪の上に倒れていた。呼吸はしている。だが荒い。顔色も悪い。唇から血が流れている。
「アカネ!」
「……ん」
ようやく反応した。赤い瞳が薄く開く。
「生きてるか」
「たぶん」
「たぶんじゃない」
サフィラは安堵しながら怒鳴った。アカネは少し考える。
「生きてる」
「そうか」
今度は即答だった。サフィラは肩の力を抜く。すると。アカネがゆっくりと起き上がろうとする。だが。途中で崩れた。
「おい」
「立てない」
本人も驚いているようだった。
「無理するな」
「でも」
「でもじゃない」
サフィラは呆れた。本当にこの少女は。自分のことを後回しにしすぎる。
「コアは」
アカネが尋ねる。
「逃げた」
沈黙。アカネは空を見上げた。吹雪。黒い雪。どこまでも広がる灰色の空。
「そう」
静かな声だった。
「追えなかったか、十分だ」
サフィラは言う。
「お前が居なければ今頃砦は終わってた」
それは事実だった。誰も否定できない。アカネは少し考える。
「次は時間ある」
「何?」
「コア」
呼吸が荒い。言葉も少し途切れ途切れだ。
「いっぱい使った」
「能力か?」
「うん」
アカネは目を閉じる。
「しばらく来ないと思う」
「どれくらいだ」
「たぶん数ヶ月」
サフィラは目を見開いた。数ヶ月。それは大きい。今までのヴォイド戦争では考えられない時間だった。
「本当か?」
「たぶん」
「お前のたぶんは信用していいのか?」
「だいたい合ってる」
少しだけ。ほんの少しだけ。得意げだった。サフィラは笑いそうになる。だが。その直後。アカネが再び倒れた。
「おい!?」
「……ねむい」
声が小さい。
「どれくらい動けない」
アカネは少し考える。
「数日」
そして付け加えた。
「たぶん」
サフィラは額を押さえた。数ヶ月の猶予。そして数日戦えない切り札。悪くない。むしろ良い結果だ。
だが。
「次からはちゃんと説明しろ」
「ん」
「一人で突っ込むな」
「ん」
「聞いてるのか?」
「ん」
たぶん聞いていない。既に半分寝ている。サフィラはため息を吐く。そして。アカネを背負った。
「軽いな」
驚くほどだった。あれだけ食べているのに。アカネは小さく唸る。
「サフィラ」
「なんだ」
「ごはん」
「寝ろ」
「おなかすいた」
「寝ろ」
即答だった。アカネは不満そうだった。だが数秒後には静かになる。本当に寝たらしい。サフィラは吹雪の中を歩き出す。砦へ向かって。背中には世界を渡る旅人。そして。知らず知らずのうちに。彼女自身の運命もまた。少しずつ動き始めていた。




