第46話 見せる札、隠す札
戦場。砦の前。ヴォイドの群れは未だ押し寄せていた。だが。前線は崩れていない。むしろ押し返している。その中心にいるのは二人だった。サフィラ。そしてアカネ。サフィラの刀が閃く。一閃。二閃。
三閃。ヴォイドがまとめて崩れ落ちる。兵士たちが歓声を上げる。これだけでも十分異常だった。だがさらに異常なのがアカネだった。無数の剣。空中に浮かぶ銀の刃。舞姫。兵士たちにはそういう異能だとしか見えない。剣が飛び。刺さり。斬り裂く。近づく前にヴォイドが死んでいく。
「なんだあれ……」
ロバートが呆然と呟いた。見れば見るほど常識が壊れていく。だがその二人は余裕があるようには見えなかった。アカネが森を見る。奥。見えない場所。コア。ずっとこちらを見ている。学習している。
「サフィラ」
アカネが声を掛ける。
「なんだ」
「アブソリュートゼロは使わないで」
サフィラの眉が動いた。
「無茶を言う」
即答だった。
「なら長期戦は出来んぞ」
「うん」
アカネも分かっている。サフィラの最大火力。最大殲滅能力。そして最大継戦能力。それがアブソリュートゼロだ。だが。
「見せたくない」
アカネが言う。
「コアにか?」
「うん」
サフィラも森を見る。理解した。学習。観察。それがコアの本質。ならば。こちらの手札は出来るだけ隠すべきだ。
「お前はどうなんだ」
サフィラが聞く。アカネは肩を竦めた。
「舞姫までなら」
「なるほど」
そこまで聞いて。サフィラは苦笑した。
「徹底しているな」
「コア嫌い」
「知っている」
サフィラも同意だった。あの頃散々思い知らされた。学習する敵。逃げる敵。準備を整える敵。面倒極まりない。
「それで」
サフィラが刀を振るう。ヴォイドが吹き飛ぶ。
「どうする」
「見えてる分くらい殺したら帰る」
アカネが答える。
「帰る?」
「うん」
「理由は」
「殲滅じゃなくて、偵察がメインだから」
サフィラが少し考える。そして。納得した。
「なるほど」
今回の襲撃。最初からおかしい。数は多い。だが本気ではない。タンニーンもいない。大型種もいない。コア自身も出てこない。完全に偵察。
「ブリンクで飛ぶか?」
サフィラが聞く。アカネは首を振った。
「意味ない、逃がすだけ」
即答だった。コアならそうする。間違いなく。
「追いつけないか」
アカネが森を見る。
「前もそうだった」
サフィラの表情が少し険しくなる。思い出した。逃げられたコア。あと少しだった。あと少しで仕留められた。だが逃げられた。
「二の舞というわけか」
「うん」
アカネは頷く。だから今回は違う。焦らない。準備する。確実に殺す。そのための時間を取る。そして。その時が来た。森の奥。コアの気配が動く。後退。撤退。離れていく。アカネはそれを感じた。
「帰った」
短い言葉。サフィラも気付いたらしい。
「逃げたか」
次の瞬間。ヴォイドたちの動きが変わる。統率が消える。ばらばらになる。そして。森へ引いていく。ロバートが叫ぶ。
「追うな!」
兵士たちが止まる。無理に追撃する理由はない。敵は退いた。防衛は成功した。それだけで十分だった。やがて戦場に静寂が戻る。砦には歓声が上がる。兵士たちが喜ぶ。生き残った。守り切った。それだけで十分な勝利だった。だがアカネとサフィラの表情は晴れない。
「始まったな」
サフィラが呟く。
「うん」
アカネも頷く。コアはいた。間違いなく。そして。こちらを認識した。つまり。次はもっと本格的になる。今度こそこの世界の戦いが始まる。その夜。砦は束の間の平穏を取り戻した。負傷者の治療。武器の整備。食事。見張り。兵士たちは忙しく動いている。一方。キアラはベッドに寝かされていた。相変わらず全身が痛い。窓の外を見る。戦いは終わったらしい。そこへ。
「入るぞ」
サフィラだった。後ろにはアカネもいる。
「終わった?」
キアラが聞く。
「終わった」
「勝った?」
「勝った」
キアラがほっと息を吐く。そして。
「私も戦いたかった」
不満そうに言った。サフィラは思わず笑った。
「その状態で何を言う」
「だって」
「寝てろ」
「むぅ」
いつものやり取りだった。だがその空気は少しだけ明るい。コアはいる。問題は山積み。それでも。今夜だけは休める。久しぶりに。ほんの少しだけ。平和な夜だった。
夜。砦の屋上。見張り以外の兵士たちは休息に入っていた。遠くで焚き火が揺れている。静かな夜だった。アカネは外壁の上に腰掛けていた。足をぶらぶらと揺らしながら。森を見ている。その隣へサフィラがやってきた。
「こんなところにいたか」
「ん」
短く返事をする。サフィラも隣へ座った。しばらく沈黙。風が吹く。森が揺れる。コアの気配はもう遠い。今夜は来ないだろう。
「不思議」
アカネがぽつりと言った。
「何がだ?」
「今日」
アカネは森を見たまま続ける。
「一人だったら出来なかった」
サフィラは黙って聞く。
「手札を隠すとか、様子を見るとか、待つとか」
アカネらしくない。本当に。昔のアカネなら。コアを見つけた瞬間に飛び込んでいた。逃げられても。罠でも。関係なく。殺しに行っていた。
「コアがいたら」
アカネが言う。
「無理やり殺しに行くしかなかった」
「そうだな」
サフィラも否定しない。実際そうだった。あの頃のアカネは。ずっとそうだった。
「運が良ければ勝つ、運が悪ければ死ぬ。そんな感じ」
少し考える。そして。
「命を懸けた博打だった」
サフィラは黙った。否定できない。実際そうだったから。アカネは強い。だが万能じゃない。一人で世界を救えるほどではない。だからいつも無理をしていた。無理を重ねて。ギリギリで勝っていた。
「でも」
アカネが少し笑った。
「今は違う」
サフィラを見る。
「サフィラがいる」
その一言だった。
「だから手札を隠せる、全部使わなくてもいい、守れる、余裕がある」
サフィラは少しだけ目を伏せた。嬉しい。顔が熱い。少しだけ悔しさを思い出す。あの頃。自分は守られる側だった。助けられる側だった。アカネが戦って。アカネが背負って。アカネが無理をしていた。自分はその背中を見ることしか出来なかった。だから。
「何を言うんだ」
サフィラが言った。アカネが首を傾げる。
「私は」
サフィラは空を見る。星空。見慣れない世界の星。それでも綺麗だった。
「お前一人に背負わせなくてもいいように強くなったんだ」
静かな声だった。だが。確かな意志があった。
「そのための力だ、そのための剣だ」
腰の刀へ手を置く。龍王の牙。仲間たちの想い。全部詰まっている。
「お前が前へ出るなら私も出る」
「お前が戦うなら私も戦う」
「お前が世界を渡るなら私も渡る」
サフィラが笑った。
「今さら一人でやろうとするなよ?」
アカネが少し目を丸くする。それから。小さく笑った。
「うん、ありがと.....」
短い返事。だけど。それで十分だった。風が吹く。二人の髪を揺らす。しばらく沈黙が続く。嫌な沈黙ではない。心地いい沈黙だった。そしてサフィラがふと口を開く。
「ところで」
「ん?」
「キアラの件はどう思う」
アカネは少し考えた。リリ。分裂。捕食。吸収。あの異常な成長。
「危ない」
正直な感想だった。サフィラも頷く。リリは敵ではない。少なくとも今は。だが力としては危険すぎる。ヴォイドを喰う。吸収する。成長する。際限がない。
「でも」
アカネが続ける。
「キアラだから大丈夫」
迷いなく言った。サフィラは苦笑する。
「根拠は」
「キアラだから」
「相変わらず、答えになっていないな」
「なってる」
アカネは真面目だった。サフィラはため息を吐く。だが完全には否定できない。実際。あの少女なら。
力に呑まれない気がした。そんな不思議な信頼感がある。その時。砦の下から怒鳴り声が聞こえた。
「だから歩けるってば!」
キアラだった。
「寝なさい」
エドガーだった。
「もう痛くない!」
「嘘です」
「ちょっとしか痛くない!」
いつものやり取り。アカネが笑う。サフィラも笑う。平和だった。本当に。今だけは。そして二人はまだ知らない。森の奥。撤退したコアが。
今回の戦いで得た情報を元に。新たなヴォイドを生み出し始めていることを。




