第45話 器
森の奥に広がった気配。コア。アカネが最も警戒している存在。それを感じた瞬間。場の空気が変わった。
「戻ろう」
アカネが言う。即決だった。サフィラも異論はない。
「賛成だ」
ロバートも頷いた。今の目的は確認。討伐ではない。そして何より。キアラの様子がおかしい。
「大丈夫?」
アカネが聞く。
「へいき」
全然平気そうじゃなかった。顔色が悪い。呼吸も荒い。額には汗。それでも歩こうとしている。そして。三歩進んだところで。膝をついた。
「キアラ!」
アカネが駆け寄る。身体を支える。
「痛い……」
小さな声だった。
「どこが?」
「全部」
冗談ではなかった。本当に全部らしい。腕。足。背中。胸。身体の内側から焼けるような痛みが走っている。ロバートが顔をしかめた。
「怪我か?」
「違うな」
答えたのはサフィラだった。キアラの左腕を見る。黒い紋様。先程より濃くなっている。
「力に身体が耐えられていない」
「どういうことです」
ロバートが聞く。サフィラは少し考えた。
「本来扱える量を超えた力が流れ込んだ、今は身体がそれに合わせている途中だ」
ロバートが納得したように頷く。
「器の問題か」
「そうだ」
サフィラも頷く。
「力が急激に増えた、だが身体は昨日までのまま、だから体が悲鳴を上げている」
キアラは歯を食いしばる。立とうとする。
「歩ける」
「無理」
アカネが即答した。
「歩けるもん」
「無理」
いつものやり取りだった。だが今回は本当に無理だった。立ち上がった瞬間。再び膝をつく。全身が震えていた。
「ほら」
「うぅ……」
反論できない。アカネはため息を吐く。そして。
「乗る?」
「え?」
数秒後。キアラは背負われていた。不満そうだった。だが降りようとはしない。本当に辛いらしい。その時だった。アカネの表情が変わる。
「急ぐ」
短い言葉。サフィラも気付いた。森の奥。先程より近い。コアの気配。
「来ているな」
「あれ何?」
ロバートが聞く。アカネは少し迷った。そして答える。
「世界を壊すやつ」
非常にアカネらしい説明だった。
「分かりやすいようで分かりにくいですね」
ロバートが苦笑する。だが冗談ではないことは理解した。全員が足を速める。森を抜ける。砦が見える。門が開く。見張りがこちらに気付く。
「隊長!」
「戻ったぞ!」
ロバートが叫ぶ。兵士たちが駆け寄る。そして。
「キアラ!?」
聞き慣れた声。エドガーだった。今回は気づかなかったらしい。無理もない。エドガーも砦の防衛に参加しているのだ。
「神父様」
キアラが弱々しく笑う。エドガーはすぐ状態を確認した。額に触れる。脈を見る。瞳を見る。
「なるほど」
状況を理解したらしい。
「怪我ではありません、ですが重症です」
ロバートが驚く。
「重症?」
「ええ」
エドガーは頷いた。
「身体が急激な変化についていけていません、数日は動けないでしょう、」
「そんなに!?」
キアラが叫ぶ。そして激痛で顔をしかめた。
「大人しくしていなさい、大丈夫、つらいですが死にはしません」
エドガーが即答する。その時。砦の警鐘が鳴った。全員が顔を上げる。ゴォォォン。ゴォォォン。
重い鐘の音。 兵士たちがざわつく。壁の上から叫び声が響いた。
「ヴォイドだ!」
「森から出てくるぞ!」
ロバートの顔が変わる。隊長の顔だった。
「全員戦闘配置!」
兵士たちが走る。エドガーも振り返る。森を見る。暗い木々の向こう。無数の気配。そして。さらに奥。はるか遠く見えない場所。そこにアカネだけが感じていた。コアがいる。こちらを見ている。
まるで。値踏みするように。学習するように。静かに。じっと。
警鐘が鳴り響く。砦全体が慌ただしく動き始めた。兵士たちが壁の上へ駆け上がる。弾薬が運ばれる。銃が構えられる。ロバートもすでに隊長の顔になっていた。
「第一班東側!」
「第二班は門を固めろ!」
「弾薬を運べ!」
怒号が飛ぶ。その中で。アカネは森を見ていた。無数の気配。ヴォイド。数は多い。かなり多い。だが。まだ本命ではない。コアは後ろにいる。それが分かる。
「サフィラ」
アカネが呼ぶ。
「分かっている」
サフィラも森を見ていた。冷静だった。あの頃とは違う。もう慌てない。もう焦らない。自分の役割が分かっている。
「お前はコアを探せ」
「まだ早い」
アカネは首を振る。
「もう少し見る」
コアの目的が読めない。偵察か。試し攻撃か。それとも別の何かか。判断材料が足りなかった。その時。
「来ます!」
見張りの兵士が叫んだ。森の中から。黒い影が飛び出す。ヴォイド。一体。二体。三体。十体。二十体。そして。さらに後ろから続々と現れる。
「撃てぇ!!」
ロバートの号令。銃声が響く。乾いた発砲音。火花。悲鳴。最前列のヴォイドが倒れる。だが止まらない。次が来る。また次が来る。
「数が多いな」
サフィラが呟く。その手には刀があった。 龍王の牙と鱗。それらから作られた刀。異世界の名工が打った一振り。この世界の兵士たちが持つ剣とは明らかに違う。ロバートもちらりと視線を向けた。見たことのない武器だった。
「サフィラ」
アカネが言う。
「うん」
「おねがい」
サフィラは笑った。久しぶりだった。純粋な戦場。守るべき場所。守るべき人々。それはどこか懐かしかった。
「任せろ」
次の瞬間。砦の壁から飛び降りる。
「なっ!?」
兵士たちが驚く。ロバートも目を見開いた。壁の外。ヴォイドの群れ。その真ん中へ。サフィラが着地する。そして。刀を抜く。銀色の軌跡。一閃。最前列のヴォイドがまとめて両断された。静寂。一瞬だけ。兵士たちが理解できない。何が起きたのか。
「……え?」
誰かが呟いた。サフィラは構え直す。そして。群れへ突っ込んだ。速い。人間とは思えない。踏み込み。斬撃。回転。次々とヴォイドが倒れていく。まるで刈り取るように。圧倒的だった。
「化物か……」
兵士の一人が呟く。ロバートは否定しなかった。否定できなかった。その頃。砦の中。キアラはベッドに寝かされていた。全身が痛い。少し動くだけで激痛が走る。だが外の音は聞こえる。銃声。叫び声。戦闘音。
「くそ……」
悔しかった。動けない自分が。神父様を助けたい。アカネたちを助けたい。なのに身体が言うことを聞かない。その時。
「大人しく寝ていなさい」
エドガーだった。椅子に座っている。見張っていたらしい。
「戦いたい」
「知っています」
「なら」
「耐えるのも、また戦いです」
即答だった。キアラが唸る。エドガーは少しだけ笑った。
「強くなったからこそ休むべき時もあります」
「むぅ」
「今は任せなさい、あの方達は強い」
そう言って窓の外を見る。サフィラ。アカネ。ロバート。兵士たち。皆戦っている。だから。今だけは。キアラも休むべきだった。
一方。戦場。サフィラの刀が再び閃く。血飛沫。断末魔。倒れるヴォイド。しかし。アカネの視線は別の場所にあった。森の奥。遥か奥。そこにいる。ずっといる。コア。そしてアカネは気付いた。
「なるほど」
小さく呟く。サフィラが振り返る。
「分かったか?」
「うん」
アカネは森を見つめた。コアは攻めてきていない。見ているだけ。学習している。戦力を。人間を。サフィラを。そして。自分を。
「偵察だ」
アカネが言う。
「だろうな」
サフィラも頷いた。ならやることは一つだった。アカネの目が細くなる。森の奥。見えない敵を見るように。
「見つけた」
そして。コアもまた。アカネが自分へ意識を向けたことに気付いた。




