第41話 出発の日
翌朝。一の鐘が町に響く。教会の子供たちが起き出し、いつもの一日が始まる。だが今日は少しだけ違った。補給隊の出発日だった。朝食の席でもその話題が出ている。
「北へ行くんでしょ?」
キアラがパンを齧りながら聞く。
「行く」
アカネが答える。
「いつ帰るの?」
「分からない」
「適当だね」
「いつものこと」
サフィラが呆れた顔をする。エドガーも苦笑していた。
「長くても十日ほどでしょう」
「そんなに?」
キアラが少し驚く。北の森は町から離れている。往復だけでも時間が掛かる。
「その間ちゃんと訓練してる?」
アカネが聞く。
「する」
「嘘」
「するってば」
怪しい。非常に怪しい。アカネもそう思った。朝食が終わる。祈りを終える。町の大門の前。補給隊が待っていた。荷馬車五台。護衛の兵士が十数名。規模としては小さい。だがこの時代なら普通なのだろう。隊長らしき男がエドガーへ敬礼する。
「神父殿」
「久しぶりですね」
「元気そうで何よりです」
どうやら顔見知りらしい。エドガーは二人を紹介する。
「こちらがアカネさん、サフィラさん、今回の部隊に護衛として派遣します」
隊長は二人を見る。若い。どう見ても若い。特にアカネなど少女にしか見えない。だがエドガーが紹介する以上文句は言わなかった。
「よろしくお願いします」
サフィラが礼を返す。アカネも軽く手を振った。そして出発の時間になる。
「気を付けてね」
キアラが言う。
「うん、キアラもね」
アカネが答える。
「門限守る」
エドガーが頷いた。キアラがむっとする。それを見て皆が笑った。平和な見送りだった。荷馬車が動き出す。町を出る。石畳が土の道へ変わる。やがて森が見えてくる。北の森。この地域最大の森林地帯。遠くから見ても広い。
「嫌な感じ」
アカネがぽつりと言った。サフィラが横を見る。
「なにか分かるのか」
「少し」
アカネは森を見つめる。嫌な予感。漠然とした違和感。それだけ。だが今まで何度も命を救ってきた感覚だった。サフィラも真面目な顔になる。
「コアか?」
「まだ分からない、でも何かいる」
それだけは確かだった。
道中少々の戦闘はあったものの無事に三日後の夕方に補給隊は森の入口にある監視砦へ到着した。
石造りの小さな砦。兵士が常駐しているらしい。だが雰囲気がおかしかった。兵士たちの顔が暗い。
疲れている。焦っている。そして。砦へ入った瞬間。アカネとサフィラは理解した。状況が想像以上に悪いことを。
「神父様が送ってきた協力者か」
砦の指揮官らしき男が現れる。三十代後半。無精髭。疲れた顔。
「状況は?」
サフィラが聞く。男は少し迷った。そして。
「最悪だ」
そう答えた。
「ヴォイドの数が異常に増えている、調査隊は戻らない、偵察隊も半分が帰ってこない」
静かな声だった。だが重い。
「大型種は?」
アカネが聞く。男の顔色が変わる。
「見た者がいる」
嫌な答えだった。
「生き残ったのか」
「いや」
男は首を振る。
「死ぬ直前に伝えてきた」
砦の空気が重くなる。男は続ける。
「高さは二階建ての家ほど、人型、全身が黒い外殻で覆われていたらしい」
アカネとサフィラが顔を見合わせる。大型種。ほぼ確定だった。だがアカネの表情は晴れない。何かが引っ掛かる。人型。黒い外殻。どこかで聞いたような。見たような。そんな感覚。そしてその瞬間。アカネの脳裏に浮かんだのは。黒髪の少女。キアラだった。
「……違うよね」
思わず呟く。
「何だ?」
サフィラが聞く。
「なんでもない」
アカネは首を振った。流石に考えすぎだ。そう自分へ言い聞かせる。だが胸騒ぎだけは消えなかった。
一方その頃。教会ではキアラがこっそり準備を始めていた。誰にも見つからないように。静かに。北の森へ向かうための準備を。
監視砦へ到着したその夜。アカネとサフィラは砦の一室を借りていた。狭い部屋だった。簡素なベッド。机。椅子。それだけ。軍の施設らしい。
「ここの兵士はかなり疲弊しているな」
サフィラが言う。
「うん」
アカネも頷いた。砦の兵士たちは明らかに疲弊していた。負傷者も多い。包帯を巻いた者。腕を吊った者。足を引きずる者。戦況は良くない。
「コアなら納得」
アカネが窓の外を見る。
「でも変」
「何がだ」
サフィラが聞く。
「静かすぎる」
砦へ来るまでにもヴォイドは見ていない。兵士の話では大量発生している。だが姿がない。まるで。何かを待っているように。その感覚が嫌だった。
「明日偵察に出られるか交渉してみるか」
「うん」
アカネも同意した。このままでは何も分からない。森を見なければ。一方教会では。キアラが窓から外を見ていた。子供たちはもう寝ている。静かな夜だった。キアラの足元には小さな荷物。水筒。干し肉。
毛布。そして短剣。決して大荷物ではない。だが旅の準備だった。
「何してるの」
声がした。
「ひゃっ!?」
キアラが飛び上がる。振り返る。そこには小さな女の子が立っていた。八歳くらい。教会で暮らす孤児の一人。
「メアリーかぁ、脅かさないでよ……」
「荷物?」
「いや、これは..」
「旅?」
「違うよ?」
「嘘だ」
即答だった。キアラが詰まる。子供相手に隠し事は難しい。
「キアラ」
メアリーが真面目な顔になる。
「サフィラ先生のとこいくの?」
図星だった。キアラが黙る。
「駄目だよ、神父様怒るよ」
「怒るね」
「なら駄目」
正論だった。だがキアラは視線を落とした。
「でも、アカネたちだけじゃ危ない」
「危ないの?」
「分からない」
正直な答えだった。自分よりも遥かに強い彼女たち。心配することなど無い。ただ嫌な予感がしている。北の森。大型種。増え続けるヴォイド。全部が繋がっている気がする。
「それに」
キアラが左腕を見る。
「私も知りたい」
「何を?」
キアラは少し考える。
「リリのこと」
メアリーは首を傾げた。意味が分からないらしい。無理もない。キアラ自身も上手く説明できない。最近リリが変だった。ヴォイドと戦うたびに。少しずつ。何かが変わっている。言葉には出来ない。だが確かに。何かが。
「……行くの?」
メアリーが聞いた。
「行く」
キアラは頷いた。迷いはなかった。するとメアリーが小さくため息を吐く。八歳とは思えない顔だった。
「神父様には言わない」
「ありがとう」
「でも」
メアリーが指を向ける。
「絶対帰ってきて」
キアラが少し驚く。それから。笑った。
「うん、約束しようか」
「ん.....約束」
小さく指切りをする。そして深夜。教会の裏門。キアラはそっと外へ出た。誰にも気付かれないように。静かに。夜の町を駆ける。北の森を目指して。だが教会の鐘楼の上。そこからその姿を見ている人影があった。エドガーだった。夜風にコートを揺らしながら。遠ざかる背中を見つめている。
「全く」
小さく呟く。
「誰に似たのでしょうね」
困ったような顔だった。だが止める様子はない。しばらくして。後ろから声がした。
「追わないんですか」
振り返る。サフィラではない。アカネでもない。教会の古参のシスターだった。エドガーは少し笑う。
「追いますよ、子供たちを頼みます」
夜空を見る。その目は元軍人のものだった。キアラが気付いていないだけで。エドガーは最初から分かっていた。あの子は行く。止めても行く。ならせめて死なないように。見守るのが大人の仕事だった。
そして翌朝。北の森。アカネたちが最初の異変を発見する。それはヴォイドの死体だった。大量の。異常な数の。そして全てが。何かに喰われていた。




