第38話 教会の神父
「じゃあ、教会来る?」
あまりにも自然な提案だった。アカネとサフィラは顔を見合わせる。
「いいのか?」
サフィラが聞く。
「うん」
キアラは頷いた。
「神父様なら何とかしてくれると思う」
「何とか」
「うん」
「困った人は助けてあげなきゃ」
なんとも不安になる説明だった。ものすごく信頼しているらしい。
アカネは少し笑った。
「じゃあお願いしようかな」
「うん!」
キアラが嬉しそうに頷く。
そして歩き出した。
「町は近いのか?」
「歩いて二十分くらい」
「結構近い」
「だから神父様にはあまり遅くまで夜の森にいちゃだめて怒られる」
言いながら目を逸らす。
常習犯らしい。
「怒られるならやめた方がいい」
サフィラが言う。
「うっ」
キアラが詰まる。
「でも」
少しだけ唇を尖らせる。
「強くなりたいの」
その言葉に。アカネは少しだけ眉をひそめた。十二歳の子供の言葉ではない。責任感。焦り。どこかサフィラにも似ている。
「町は大変なのか?」
アカネが聞く。
「最近は特に、ヴォイドが増えてる。森だけじゃなくて、町の近くにも出るし、人も死んでる」
声音が少し暗くなる。
「軍は?」
サフィラが聞く。
「いるよ、でもどこも人手不足」
なるほど。この世界も平和ではないらしい。少なくとも表面上は。森を歩きながら話しているうちに、遠くに明かりが見え始めた。町だった。かなり大きい。高い外壁。石造りの建物。レンガの街並み。ガス灯のような街灯。煙突から立ち上る煙。
「大きいな」
サフィラが素直に感想を漏らす。
「でしょ?」
キアラが少し得意げになる。
「この辺じゃ一番大きい町だよ」
アカネは周囲を観察する。第一印象としては。活気がある。だが同時に。どこか疲れている。そんな空気を感じた。窓に板が打ち付けられた建物。武器を持って巡回する警備隊。急ぎ足で帰路につく人々。見慣れた光景だった。ヴォイドが現れる世界特有の。
「ここ」
キアラが指差す。町の少し高い場所。そこに教会があった。大きな鐘楼を持つ石造りの建物。古いが手入れは行き届いている。窓から暖かな光が漏れていた。
「ただいまー!」
キアラが勢いよく扉を開ける。すると。
「キアラ」
落ち着いた男性の声が響いた。
「今日は少し遅かったな」
教会の奥から一人の男が現れる。四十代半ばほど。短く刈った灰色の髪。日に焼けた顔。そして。右脚が義足だった。男はまずキアラを見る。次に。アカネとサフィラを見る。一瞬だけ。本当に一瞬だけ。視線が鋭くなった。観察。警戒。評価。その全てが一秒にも満たない時間で終わる。そして男は微笑んだ。
「客人かな?」
「うん!」
キアラが頷く。
「森で会ったの!困ってたから連れてきちゃった」
「そうか」
男は二人へ向き直る。
「初めまして」
穏やかな声だった。
「私はエドガー」
「この教会を預かっています」
神父らしい柔らかな笑み。だが。アカネは分かった。この人は戦ったことがある。何度も。何度も。死線を越えてきた人間の目だ。サフィラも同じことを感じたらしい。少しだけ表情が引き締まる。
「アカネです」
「サフィラです」
エドガーは頷く。
「歓迎します」
少しだけ笑う。
「まずは事情を聞かせてもらっても?」
当然だった。夜の森。突然現れた旅人二人。普通ならもっと警戒してもおかしくない。それでも教会へ入れてくれた時点で十分だろう。
「長くなるけど」
アカネが言う。
「構いません」
エドガーは答えた。
「幸い」
そう言ってキアラを見る。
「こちらも長くなりそうなので」
「え?」
キアラが固まる。教会の扉が閉まる。暖炉の火がぱちぱちと音を立てていた。外はまだ冷えるらしい。
教会の中は暖かかった。アカネとサフィラは案内された長椅子へ腰を下ろす。キアラはその場で気まずそうに立っていた。エドガーが静かに口を開く。
「キアラ」
「はい」
「既に六の鐘は鳴り終わってしばらく経ちますが?」
キアラの視線が逸れた。
「いやぁ...その...すこし夢中になり過ぎちゃって....」
エドガーが小さくため息を吐いた。怒鳴るわけではない。声を荒げるわけでもない。それなのにキアラは居心地が悪そうだった。
「私は夜の森へ行くなと言ったかな」
「言ってないです」
「そうだ」
エドガーは頷く。
「だが帰る時間は守れと言った」
「うん」
「何故だ」
キアラは少しだけ黙った。そして小さく答える。
「心配するから」
「そうだ」
エドガーの声は穏やかだった。
「お前が帰ってこなければ心配する人間がいる」
「それだけだ」
「……ごめんなさい」
今度は素直だった。エドガーもそれ以上は言わなかった。
「次から気を付けなさい」
「はい」
そこでようやく話は終わったらしい。キアラもほっと息を吐く。その様子を見ながらサフィラが少し笑った。キアラがむっとする。
「いや」
サフィラは肩を竦めた。
「先ほどまで怪物を殴り倒していた子供とは思えなくてな」
「子供じゃないもん」
「十二歳だろう」
「十二歳は大人だよ」
「違うな」
即答だった。キアラが不満そうな顔をする。そのやり取りにアカネまで笑っていた。エドガーも口元を緩める。どうやら久しぶりに賑やかな夜らしい。やがてエドガーがアカネたちへ向き直る。
「さて」
穏やかな声だった。
「今度はこちらの話を聞かせてもらえますか」
当然の質問だった。アカネは頷く。
「旅人です」
「最近は、あまり見かけませんが、どちらから来られたので?」
「遠くから来ました」
エドガーが少し笑う。アカネは困った顔をした。
「説明しにくい」
「事情があるのですね」
「ある」
即答だった。
サフィラが補足する。
「嘘ではありません」
「ただ普通に話しても信じてもらえないと思います」
エドガーは二人を見る。そして少し考えた後。
「なるほど」
とだけ言った。深く追及するつもりはないらしい。その代わり別の質問をする。
「追われていたり、犯罪者ということは無いですね?」
「それはない」
アカネが首を横に振る。エドガーは満足そうに頷いた。
「なら十分です」
「いいの?」
キアラが驚いた顔をする。
「今ので信じるの?神父様」
「構いません」
エドガーは笑った。
「人には事情があります」
「私にもあります」
「君にもあります」
「ならこの二人にもあるのでしょう」
その言葉にアカネは少しだけ目を丸くした。優しい人だと思った。ただのお人好しではない。踏み込むべきところと踏み込まないところを知っている。そんな大人だった。
「それで宿は?」
アカネとサフィラが顔を見合わせる。
「ない」
「食事は?」
「まだ」
「お金は?」
「使えるか分からない」
エドガーが黙った。キアラが黙った。サフィラが少しだけ気まずそうな顔をした。
「流石にここまで無計画な旅人は初めてですね」
エドガーが言う。キアラが吹き出す。
「旅人ってそんなゆるい感じなの?」
「まあね」
アカネは目を逸らした。サフィラが呆れる。絶対もっと計画を立てるべきだと思った。
「とりあえず」
エドガーが立ち上がる。
「今夜は泊まっていきなさい」
「いいの?」
「部屋は余っています」
キアラが元気よく手を上げた。
「私案内する!」
「その前に、手を洗ってきなさい」
「はーい」
キアラが走り出す。その背中を見送りながら。アカネは少しだけ肩の力を抜いた。知らない世界。知らない町。だがどうやら最初の夜を過ごす場所は見つかったらしい。そしてその時。アカネはまだ気付いていなかった。この教会が。この少女が。この世界で最も深く関わる存在になることを。




