第36話 いってきます
旅立ちの日は快晴だった。春の空だった。冬しかなかった世界とは思えないほど青い空。柔らかな風。
雪解けの匂い。新しい季節の始まり。ヴァルター邸の前には多くの人が集まっていた。家族。友人。部下。そして皇帝まで。
「大袈裟」
アカネがぽつりと言う。
「お前が言うな」
サフィラが苦笑した。世界を救った英雄が旅立つのだ。むしろ少ないくらいだった。最初にリリアが飛び付く。
「絶対帰ってきてね!」
「うん」
「約束だからね!」
「約束」
小指を差し出される。アカネも真似する。指切り。子供みたいな約束だった。次はエレナ。優しくアカネを抱き締める。
「身体を大事にするのよ」
「努力する」
「努力じゃなくて守るの」
「難しい」
「難しくないわ」
エレナが苦笑する。そして。サフィラの頭も撫でた。
「二人とも無事に帰ってきなさい」
「はい」
珍しくサフィラも素直だった。アーノルドは腕を組んで立っていた。
「父上、行ってきます」
サフィラが言う。アーノルドは数秒黙る。そして。
「行ってこい」
短かった。だがそれで十分だった。アーノルドはアカネを見る。
「娘を頼む」
「ん」
「お前も娘だからな」
アカネが少し固まる。
「そういうことになってる」
「そういうことだ」
周囲が笑った。次にレオンが前へ出る。
「少佐」
「今は少佐じゃない」
「癖です」
レオンが笑う。
「帰ってきたらまた鍛えてください」
「お前はまず休め」
「善処します」
絶対休まない顔だった。ミリアも続く。
「席は残してあります」
「気が早いな」
「帰ってくるんでしょう?」
サフィラは少し笑う。
「ああ、帰る」
ミリアが安心したように頷いた。そして最後。皇帝。
「行くのだな」
「はい」
皇帝は笑った。
「見てこい、世界を、そして帰ってこい」
「お前たちの居場所は残しておく」
サフィラとアカネは頷いた。全員との別れを終える。そして。アカネが前へ出た。深呼吸。赤い瞳が淡く光る。
「行くよ」
サフィラが隣に立つ。
「ああ」
少しだけ緊張していた。世界を渡るのは初めてだから。アカネが右手を伸ばす。
「パノラマ、ブリンク」
空間が裂けた。黒でも白でもない。色のない裂け目。世界と世界の隙間。向こう側には知らない空。
知らない風景。知らない世界が待っている。
次の旅路。アカネとサフィラが振り返る。皆がいた。笑っている。見送っている。だから。自然とその言葉が出た。
「「行ってきます」」
迷わない。帰る場所があるから。
「行ってらっしゃい!」
リリアの声が響く。続いて。家族の声。友人の声。仲間たちの声。そして。
ユルムガンドの咆哮が遥か彼方から響いた。春空へ。祝福するように。アカネとサフィラは顔を見合わせる。そして手を繋ぎ、笑った。
二人で一歩を踏み出す。新しい世界へ。
まだ見ぬ物語へ。
第一章を読んでいただきありがとうございました。
気付けば三十話以上になっていましたが、ようやく最初の世界の物語を書き切ることができました。
サフィラというキャラクターは私自身かなりのお気に入りで、彼女の世界を描くのはとても楽しかったです。
そして次章からは舞台も大きく変わり、新たな仲間との出会いも待っています。
アカネたちの旅はまだまだ続きますので、これからも見守っていただけると嬉しいです。
それでは第二章でお会いしましょう。




