第31話 王からの褒美
翌日。サフィラは皇帝に呼び出された。執務室へ入ると、皇帝は珍しく機嫌が良さそうだった。
「来たか」
「陛下」
敬礼をする。すると皇帝は机の横に置かれていた長い木箱を指差した。
「褒美だ」
「褒美、ですか」
「今回の戦功に対するな、正直足りないと思うくらいだ」
サフィラは首を傾げた。褒美と言われるようなことをした覚えはない。軍人として当然のことをしただけだ。
「開けてみろ」
促されるまま木箱へ手を伸ばす。蓋を開ける。そして言葉を失った。そこには一本の刀が納められていた。鞘は雪のような白。柄は漆黒。鍔には氷龍を模した意匠。そして何より。刀身から淡い蒼い光が漏れていた。ただの刀ではない。一目で分かる。名剣だった。いや国宝級と言っても過言ではない。
「これは……」
「ユルムガンドの牙と鱗を使った」
皇帝が言った。
サフィラは目を見開く。
龍王の牙。
龍王の鱗。
その価値は計り知れない。
「まさか」
「本人から貰った」
皇帝は肩を竦めた。
「今回の褒美としてな」
「お前に渡せと言われた」
「ユルムガンドが?」
「ああ」
少しだけ笑う。
「もっとも、牙も鱗もそのままでは使い道がない」
「だから刀にした」
サフィラは刀を見る。確かに美しい。だが。どう考えてもおかしい。
「何故刀なのです」
皇帝がにやりと笑う。
「何故だろうな」
「陛下」
「何だ」
「どう考えても私は刀など使ったことはありません」
「そうかもしれんな」
絶対に分かってやっている。サフィラは確信した。この国で刀など珍しい。あるにはあるが、騎士も軍人も使わない。
剣が主流だ。わざわざ刀を作る理由など一つしかない。アカネだ。
「余計なお世話です」
「知っている、城内でも噂になっているぞ」
皇帝は楽しそうだった。
「若者への気遣いというやつだ」
「お節介とも言います」
「そうとも言う」
全く悪びれない。サフィラは頭を抱えたくなった。そんな様子を見て皇帝はさらに笑う。
「まあ安心しろ」
「何をです」
「刀匠は泣いていたぞ」
「は?」
「あのような見事な刀など見たことがないとな」
思わずサフィラも吹き出しそうになる。
「どうやって作ったのです」
「アカネが持っていた刀参考させたのだ」
「寝ている間に?」
「ああ」
サフィラは額を押さえた。本当に何をしているのだろうこの人は。
「そうだ」
皇帝がふと思い出したように言う。
「伝言も預かっている」
「伝言?」
「ユルムガンドからだ」
サフィラの表情が変わる。皇帝は少しだけ声色を真似るように言った。
『あの娘にくれてやれ』
サフィラが刀を見る。蒼い刀身が静かに光っている。
『あの娘はこれから数多くの困難と向き合うことになるだろうが、折れるなと伝えろ』
思わず笑った。龍王らしい。
「それだけですか」
「いや」
皇帝が少しだけ真面目な顔になる。
『それと、また会う時まで預けておく』
その言葉に。サフィラの手が止まる。また会う時。つまり。ユルムガンドも分かっているのだ。
アカネは旅立つ。この世界に留まる人ではない。サフィラは刀を見つめた。美しい刀だった。これを見せた時。アカネはどんな顔をするだろう。喜ぶだろうか。驚くだろうか。少しだけ。その光景を見たいと思った。だが同時に。別の考えが浮かぶ。アカネが旅立つ時。私はどうする。またその問いだった。何度も繰り返してきた問い。だが以前とは少し違う。家族は背中を押してくれた。だから今度は。部下たちに聞かなければならない。自分が本当に守るべきものは何なのかを。
翌日の朝。サフィラは珍しく訓練場へ向かっていた。まだ復興作業の途中。本来なら執務室に籠もっている時間だ。だが今日は違う。考えなければならないことがあった。逃げ続けてきたことがあった。訓練場ではレオンたちが朝の訓練を行っていた。戦争は終わった。それでも兵士たちは鍛錬を止めない。それが彼らだった。
「少佐!」
レオンが気付いて敬礼する。他の兵士たちも続いた。
「休め」
サフィラが言う。全員が動きを止めた。
「珍しいですね」
レオンが笑う。
「少佐がこんな時間に訓練場に来るなんて」
「たまには来る」
「たまにですね」
その通りだった。少しだけ笑いが起きる。平和だった。ついこの前まで世界の終わりみたいな戦場にいたとは思えないほど。その光景を見て。サフィラは少しだけ安心した。そして。意を決して口を開く。
「もし」
兵士たちが首を傾げる。
「もし私がしばらく国を離れると言ったらどうする」
一瞬。訓練場が静かになった。レオンとミリアが顔を見合わせる。そして。二人同時にため息を吐いた。
「やっとですか」
「やっとですね」
サフィラが固まる。
「何だその反応は」
「いえ」
レオンが肩を竦めた。
「いつ言い出すかなと思ってました」
「私もです」
ミリアまで頷く。
「待て、何故そうなる」
今度は全員が不思議そうな顔をした。
「いや」
レオンが言う。
「行きたいんですよね?」
即答だった。
サフィラは言葉に詰まる。
「それは……」
「少佐」
レオンが少しだけ真面目な顔になる。
「俺たちが頼りないですか」
サフィラが眉をひそめる。
「違う」
「なら問題ありません」
あっさり返された。
「少佐が守った国です、そんな簡単に壊れません、俺たちは少佐に守られてきました、今度は俺たちの番です」
周囲の兵士たちも頷く。
「その通りです」
「任せてください」
「帰ってくる場所くらい守れます」
サフィラは黙った。何も言えなかった。目の前にいるのは部下たちだ。守るべき存在。そう思っていた。だが違った。いつの間にか。彼らも前を向いていた。自分の足で立っていた。
「少佐」
今度はミリアが前へ出る。
「帰ってきた時には席を残しておきます」
「だから」
少しだけ微笑む。
「安心して行ってきてください」
胸の奥が熱くなる。家族だけではない。部下たちまで。自分を送り出そうとしている。その時だった。
「なら最後は私だな」
聞き慣れた声が響く。全員が振り返る。そこにいたのは。皇帝だった。
「へ、陛下!?」
レオンたちが慌てて敬礼する。皇帝は気にした様子もなく手を振った。
「楽にしろ」
そして。サフィラを見る。
「少し歩くぞ」
それだけ言って歩き出した。サフィラは黙って後を追う。訓練場から離れた中庭。雪解けの進む静かな場所。そこで皇帝は立ち止まった。
「悩んでいるらしいな」
開口一番だった。
「……聞いていたのですか」
「聞こえた」
全く悪びれない。この人らしかった。
「陛下」
サフィラは視線を落とす。
「私は、旅へ出たいと思っています」
初めて口にした。はっきりと。誰にも誤魔化さずに。
「だが責任がある、国もある、軍もある、家族も――」
皇帝は静かに聞いていた。最後まで遮らずに。サフィラが言い終わるのを待ってから口を開く。
「お前は真面目すぎる」
「陛下」
「責任を背負うことは悪くない、だがな」
皇帝は少しだけ笑った。
「全部一人で背負う必要はない」
サフィラは黙る。
「お前が守った国だ、お前が育てた兵だ、お前が信頼している家族だ、なら少しは信じろ」
その言葉は不思議と胸に響いた。家族にも似たようなことを言われた。部下にも言われた。そして今。
皇帝も同じことを言う。
「陛下は」
サフィラが尋ねる。
「反対しないのですか」
「何故反対する」
「私は国を離れます」
「戻ってくるのだろう?」
当然のような口調だった。サフィラは少しだけ目を見開く。
「それは……」
「戻ってこい」
皇帝は言った。
「それだけだ」
短い言葉だった。だが。それで十分だった。
「陛下……」
「許可する」
皇帝が笑う。
「行ってこい」
その瞬間。長い間胸を締め付けていた何かが消えた気がした。家族が背中を押した。部下が背中を押した。そして皇帝が許した。なら。もう迷う理由はない。サフィラは空を見上げる。春の空だった。その向こうに。まだ見ぬ世界がある。そして。そこを旅する白髪の少女がいる。自然と笑みが零れた。
「ありがとうございます」
皇帝は何も言わなかった。
ただ。満足そうに頷いた。




